第4話 中学生編

第一走に岡田、第二走に平岡、第三走に富野、アンカーに俺。

俺より手前のメンバーは各々の種目で準決勝まで辿り着いていた。

俺は当然予選敗退。

ただ、自己ベストを出したのは俺だけだった。

波に乗っていてかつ、体力も残っている俺がアンカーを務めるのはある意味納得のいく走順なのかもしれない。


召集も済まし、各々またウォーミングアップに戻っていった。

各校がバトンの練習をしている。

その中に混じることなく、個々でウォーミングアップ。

周囲のバトン練習が終わる頃にようやく我々もバトンの練習をするようにした。


100m、200mで準決勝まで残った平岡の調子はよく、軽やかにかつパワフルに走っていて疲れを感じさせなかった。

岡田、富野共にこの地域ではコーナーのスペシャリストと言って過言ではないだろう。

しなやかにカーブを曲がり走る。

カーブを走るというのは、かなり酷なことだ。

テクニックが要る。

重心の位置によって加速に乗れるか乗れないかが左右される。


いじめの最中ではあったが、頑張って輪に入ろうとしてコーナーのコツについて聞いたことがあった。

「遠心力に振り回されずに、ちゃんと内側に向かって行くんだ」

と岡田は言った。

そして大きく腕をスイングする。

彼らの動きを見ていて、中学生ながらにわかったつもりでいた。

そういった練習も、俺のいないところで行われていたのだろう。


レース直前になり、各々集まって些細なことの調整を話し合い、各々が持ち場のエリアに後輩を荷物係として連れていき、出番を待った。


もう競技は行われていた。

シーズン最後の大会ということもあり、各校熱が入っていた。

我々も静かながらに熱を帯びた状態で散って行った。

珍しく肩も組んだ。

「予選突破はマストだ、一着で抜けるぞ」

と部長の岡田は俺たちを奮い立たせた。

「アンカー、頼むよ」

富野は俺がいじめられながらも支えてくれる友人のうちの一人だった。

その言葉に俺は燃えた。

「バトン落とさないようにね」

と冷ややかに平岡は言った。

ラストのロングストレートを、任されているのだ。

勝敗を決めるアンカーだ、俺で逃げ切りたい、逃げきらなければならない。


俺はジャージを脱ぎ、スポーツ飲料を口に含み、軽く湿らせた。

緊張ですぐ喉が渇く。


──俺たちの出場する組が呼ばれた。


俺はマーカーとなるテーピングをランパンに貼り、歩数を数えた。

数えているうちに、どんどんプレッシャーに押し潰されそうになった。

ただ、同時に歩数を数え間違えてはならないという落ち着きに入っていった。

俺は岡田から繋がってくるバトンをゴールまで走って届けに行かなければならない。

親も観戦しにきている。

いいところを魅せたい。馬鹿野郎と怒鳴ってくれた親父に感謝するように走りたい。


マーカーを貼った後、少し流し(体の力を抜いて走ること)をし、号砲を待った。

最終コーナーから、全体を見渡すと、三人がこちらに目を向け、手を振って合図をした。

繋げよう、走り切ろう、そんなメッセージが込められているのだろう。

富野は春の新人大会での1、2年生リレーの時の悔しさもある様子で、かなり意気込んでいた。

その意気込みが固さにならなければ良いな、と自分よりも他人の心配をしていた。


「オン・ユア・マークス」

各校の声援が消え、トラック全体に静寂が訪れる。

聞こえてくるのは、風の音と、他校の選手が深呼吸している音だけ。

風が追い風なのか向かい風なのか、わからなかった。


「セット」

選手全員が腰を持ち上げる。

「バチン」

そこから間も無く号砲が轟く。

ワァッと各校の声援が一斉にトラック全体を駆け巡る。

岡田はとてもいいスタートを切っていた。

いい重心、中学2年生とは思えない長いストライド、大きく腕を振る姿はとても美しく、初めて走司を見た時の感動に似ていた。

前のレーンを走る選手に近づき、ちょうどバトンが渡るところが高跳びのポールに重なって見えなかったが、かなりいい順位で平岡に渡ったようだった。


平岡がグンと前に出る。人混みの中を一人で駆け抜けて行く。

岡田に負けないほど綺麗なフォーム、長いストライド、いじめの発端が平岡であることはわかっていた。

ただ、俺は願っても叶わないと思っていた2年生リレーに出ることができた。

周囲のアンカーたちも声を上げて声援を送る。

俺も負けじと、平岡に届けと、大きな声で応援していた。

「平岡!いけぇ!」

グングンと加速する平岡は華麗だった。

疲れを感じさせない、本当に凄い選手だ。


平岡が最後の10m程に入って、富野がスタートを切った。

富野は徐々にスピードを上げ、最高潮の加速に乗りそうなタイミングでバトンが渡った。

富野が、近づいてくる。

それはとてもスローに見えた。

前傾した姿勢に、コンパクトかつ大胆な走りだった。

富野は俺を視野に入れ、さらに加速させた。

どう見ても、他校より一番速く俺にバトンが渡ろうとしている。

背筋がゾクゾクとした。

この瞬間のために挫けず練習をしたのだ、と思うと心が燃え上がった。

心拍数が上がった。

全身がこの歓びをゴールで弾けさせたいと強く叫んでいた。

富野がマーカーを越える直前で、俺は構えの姿勢からスタートの仕草をとった。

体を深く前に倒し、スタートを切った。

徐々に走り出していく感覚が全身を駆け巡ったタイミングで、富野の声がした。

「ハイ!」

俺は左腕を後ろに伸ばし、テークオーバーゾーンギリギリで受け取った。

「長谷部、行けェ!」

その言葉に背中を蹴飛ばされ、前へ前へと走っていった。


スパイクから伝わってくるタータンのバウンド、額から汗が飛び散る感覚、体は非常に軽く、推進力を増していった。

どこからも音は聞こえない、後方の集団の足音も聞こえてこない。


先頭だ、先頭を走らせてもらっているのだ。

スパイクが確かにタータンを蹴る。

弾む、前に進む。

腕が大きくスイングする。

残り50m、ゴールラインが見える。

体がゴールに吸い込まれていくような感覚だ、これが本当に自分の走りなのか?と高揚感に満ち溢れた。

残り20m、視界に他校の選手はいない。

あと少し、ほんの数秒で勝敗が決まる。

トルソーを前に出し、ゴールラインを駆け抜けた。

俺は恥ずかしげもなく

「ヨッシャア!」

と叫んだ。

重圧からの解放、自分とは思えないほどの走り、全てが絶頂に達した。

着順はもちろん一位、そして最終組だったこともあり、予選通過は確実なものだった。

正式なタイムも出た。

偶然得たチャンスではあったが、47秒、良いタイムで、全体の一位で、通過することができた。


──やれる、決勝で俺が走れなかったとしても自信に繋がるレースだった。

スムーズなバトンパス、個々の力量に併せた技量。

全員で掴み取った一位通過だった。

これで都選抜の目にも留まっただろう、あわよくば俺もその都選抜に引き抜かれたい、というこれまでなかったような欲が出た。


ただ、現実は残酷なもので、ゴール地点に荷物係の後輩はおらず、3分後にやってきた。

「すみません、スタンドで観てました…一位通過おめでとうございます!」

どこからが本当でどこからが嘘か、わからなかった。

体は汗で冷え、誰も俺のところには来なかった。

しまいには、他校の選手に

「アイツ、予選でヨッシャアだってよ」

と小声で嘲笑の的になってしまった。

「決勝が楽しみだね〜」

恥ずかしさと悔しさで、押し潰されそうになった。

自力ではないこともわかっていた。

前の三人に勝たせてもらったのだ。

ただ、一位通過したのだ。

これが事実だ。

喜んで何が悪い。


──明日の決勝も、今日と同じ走順で行こう、と顧問がオーダーした。

明日も走ることができるのだ、初の決勝だ、と泣きそうなほどに嬉しい感情に包まれた。

その晩、両親には褒められ、祝われた。

これが何よりの幸せだった。

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