第五話『二本松から会津へ』
八戸から江戸(東京)までの道のりは、当初せつがゆきに渡した地図案内図に書いてあった奥州街道を真っ直ぐ上るコースだとおよそ百六十里の距離、十六泊か十七泊の旅程だが、途中、会津若松に寄るとなると、二本松宿から二本松街道へ進み会津若松に向かわなければならない。
これは奥州街道を真っ直ぐ進むことに比べると、足すことおよそ二十二、三里遠回りすることとなり、計百八十里強の道のりとなって、今のゆきの足だと総計二十泊以上を重ねる旅となるであろう。
ゆきは八戸を出て一泊目を一戸宿、次に渋民宿、盛岡宿、黒沢尻宿と泊まりを重ね、十一泊目に二本松街道への分岐点となる二本松宿に到着した。
これは、せつが書いてくれた地図案内図の通りであったのだが、この旅程は八戸藩の殿様が江戸への参勤交代の折のものと同一だったということは、旅するゆき本人はもちろん、地図案内図を書いたせつも知らないことである。
(生まれで初めで旅籠に泊まったげど…
こらほど贅沢して良いんだべか?どこも米のおまんま、
これもおせつさんのおかげだな…
何としても花魁さなっで、おせつさんに恩返し
せつが書いてくれた地図案内図には道順のみならず、泊まるべき宿場町名と各宿場町において評判の高い旅籠の名前とその宿賃、更には各地の名所や名物なども記されていた。
ゆきは、せつが二本松宿の名物として
「ここの
と強い字体で案内図に書いていた玉嶋屋の羊羹に
(
…
おせつさん、おっしゃってだげど、江戸から流れ落ちる旅どはいえ旅は旅、大いに楽しま
それで何もかも良ぐ覚えで
おらも本格的な旅は初めてだ…
会津から斗南へは、旅
ここ二本松から会津若松まではおよそ二十数里、二泊
(会津か…もう一生戻るごどは
八戸の遊女
(大砲の音…火…悲鳴……
まず思い出すのは
その前の
「この二本松でも戦があっだと聞いたげど、会津ほど酷ぐ
ゆきは玉嶋屋の店先から街を行く人々を見回しながら呟いた。
(会津若松の城下町は燃えてしまった…
西軍が城下に攻めてきた時、あの御方が偶然居合わせでくれでいねかったら、今頃おらは……)
ゆきはふと、ある男性のことを思い出した。
年の頃二十歳代後半から三十歳手前くらいの背の高い男性。
口元が引き締まった
(…中村…半次郎さま……)
第五話 (終)
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