第三話『吉原から来た女(ひと)』

「はい、お話って何だべか?」


 ゆきは、話しかけてきたせつに答えた。


「ああ、さっき言った通り、あんたさ、こんな田舎のこんな店にゃあ勿体無もったいないって話さ。

 どうだい?どうせ遊女になるってんなら、江戸に、吉原に行って勝負してみないかい?」


「江戸…吉原……?」


「そうさ。江戸…おっと今じゃ東京って言うんだったねえ。

 あんた程の美形なら充分通用するよ。もしかしたらさ、上手くいったら花魁おいらんにだってなれるかもしんないよ。」


「おい…らん…?げんどだけども、おら、江戸に知ってる人どがいねえ。」


「アタイが紹介状書いてやるよ。

 アタイは前には江戸に、吉原にいたのさ。」


「どおりでおせつさん、お江戸言葉だで思った。」


「あんた、江戸なまりが判るのかい?」


「はい、おらの殿様、佐川の殿様が江戸さ住んでだことがあって、よくお江戸言葉で話すんだ。」


「頭で判ってるんなら、すぐに江戸訛りでしゃべれるようになるさ。

 まあ、吉原には独特のくるわ言葉があるんだけど、その訛りをすぐに直せたら問題ないよ。」


「おせつさんは吉原の遊女だったのだが?」


「そうさ、格子こうしまで昇ったよ。花魁まであと一歩だったさ。」


「格子…だが?何のごどがよぐ判らねえが、凄いというごどだべか?どうりで、おせつさんはうんとめんこいと思っだ。

 …げんども、なして今は八戸におられるのだが?」


「…歳だからさ…格子だったけど、歳を重ねるごとに格が下がっていってね、そんでもって、吉原じゃ二十七になると追い出される決まりでさ、それから二年、流れ流れてこの八戸に来たって訳さ…」


「ほえーっ、したっけそしたらおらが吉原に行っても、歳とったら追い出されるづー訳が?」


「そうなる前に身請けされればいいんだよ。

 花魁になれれば、身請けしてくれるのは御大尽おだいじんばかりだよ。大金持ちのめかけにでもなりゃあ、一生贅沢ぜいたくに暮らせるさ。」


「妾…か…うーん、げんども、おら、やっぱし…」


「おらもおゆきちゃんは江戸にぐべぎで思うよ!

 おゆきちゃんみたいにめんこい娘、醜女しこめのおらと違って江戸でも絶対さ通用するで思うよ!」


 せつからの、東京行きのすすめに戸惑っているゆきにたけが横から口を挟んだ。


「そうさ!友達の竹鶴もこうやって背を押してくれるんだ。さあ行きなよ!江戸に!!」


「あわわわ、げんども、おら江戸までの食べ物どがお金どが全ぐ持ってねえ。」


「アタイが路銀を貸してやるよ。

 あと、そのボロボロの着物の代わりに、この店の、あんたくらいの背格好の娘から着物を買い取ってあんたにやるよ。」


「なして初めて会ったおらに、そらほど親切にしてくれんだが?」


「…夢だったのさ…吉原の遊女になったからにゃあ、花魁にまで昇りつめるのがね。

 アタイが果たせなかったその夢を、代わりに叶えてくれそうなが目の前に突然現れて、ちと舞い上がっちまったよ。」


「うーん、げんども、おら、やっぱし…

 江戸は何も知んねえし…」


「おゆき!あんた遊女になるんだろ!遊女なんて、女として底の底まで堕ちるってことだよ!

…だからさ、せめて、そのドン底の世界での天辺てっぺんを取りなよ…」


 せつは、そう言った自分の言葉に感情が入ったのか、若干、涙声になっている。


「…底の底、だが…」


「そうさ、だって、なりたくてなるんじゃないだろ?

 アタイだってそうだったよ…でも、なった以上は上を向いて生きてきたんだ!

 あんたみたいな良い娘が上を見ないでどうすんだい!!」


 ゆきは、せつのその迫力に言葉を繋ぐことが出来なくなった。


 この日の晩、ゆきは遊女屋「多志南美たしなみ屋」のたけの部屋に、たけと一緒に泊まった。

 たけは今夜は客が付かなかったらしい。

 せつは今夜、客が待つ船宿へ行き、翌朝まで帰ってはこない。

 たけとせつは、ゆきのことを旅の途中に寄った昔馴染なじみの友達というふうに紹介し、店主に遊女志望の者とは斡旋あっせんしてくれなかった。

 店主は部外者を、しかも無銭で泊めることをだいぶ渋ったが、せつがいいように言いくるめてくれ、ゆきは泊まることができた。

 ゆきとたけは、普段、たけが使っている薄い布団に二人並んで横臥おうがしていた。


「…おたけちゃん、お腹すいでねえ?自分の分のおまんま、おらに呉れだりして…」


さすけねえ大丈夫よ、おゆきちゃん。おらは出先でおまんま、うんと御馳走ごぢそうになっでぎだがら…あまり食べ過ぎるど太るし…

 おまんま、旨がった?おゆきちゃん。」


「うん!旨がった。おら、米のまんま食べるの久し振りだ。どうもね、おたけちゃん。」


「ははは、半分以上が麦の麦飯げんとだけどもね。」


「麦だって久し振りだ…なんせ、良ぐでひえ飯だったがんからね。」


「良ぐで稗…やっぱし斗南となみの生活はひどがったんだね。」


「うん、よぐ生ぎでこられだでたと思う……それもみんな佐川の殿様のおがげだ。」


「…おゆきちゃん、まだ江戸さぐの躊躇ためらってんの?」


「うん…知り合いがいるわけでねえし…

 いや、斗南藩が無くなったら、お館様に付いて江戸さぐ人がいるみたいで、そうなれば知り合いが江戸にもでぎるげんど…江戸で遊女になって、知ってるお人が客どしてきだら嫌だな…て。」


「それはさすけねえで大丈夫だと思うよ。

 吉原の遊女は、下の方でも値段がたけえし、そねがその中でも藤松ねえさんがいた店なんかは、うんと格式が高え店だったっていうし、よほどのお金持ぢしか行けねえ。

 そんだから、さすけねえで思うよ、失礼な話だげんども。はははは…」


「…ん、げんとも、やっぱし…」


「ううん、やっぱし、おゆきちゃんは江戸、東京さ行ぐべきだよ。

 何か、わけがわがんねえけど…おゆきちゃんが江戸に行ぐといごどがあるような気がすんだ。」


 たけは、心のこもった真剣な眼差しでゆきに語りかけている。


 (おたけちゃん…おらのごどを真剣に思っでくれんだな…これには答えっぺぎだな。

 それに、おたけちゃんの言うように、江戸さ行ったら、何だかいいごどがあるような気がする…)


わがった、おら江戸に…東京さ行ぐだ。」


               第三話 (終)

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