一本の旅路

@yk1989

一本の旅路

『しんどい...しんどい...しんどい...』


 今年の3月に大学を卒業して以来、俺の人生は挫折続きだった。

 大学3年の3月から丸2年就活を続けたが、結局在学中に就職できずに終わってしまった。大学を卒業してアルバイトをしながら就活を続けようと思っていた矢先に3年間付き合った彼女からのいきなりの別れの通告。理由は、『正社員の就職も決まらない男には将来性が見えない』とのことだ。『俺だって好きでフリーターやってるわけじゃないっつうの!!』。俺だって就活をサボっていたわけではない。最終面接まで行った企業もいくつかあった。だけど、就職の縁には結びつかなかった。それに別れた元カノは俺の就職についてとやかく言っていたが、別れた理由がそれだけではないのは薄々勘づいていた。元カノは半年前から密かに浮気をしていたのを俺は知っていた。卒業前は何度かデートに行ったものの会話が弾むわけでもなく、『次はどこどこに行きたい』という会話になるわけでもなかった。俺はうすうす自分が異性として見られていないということには気づいていた。きっと将来性云々うんぬんは後付けの理由だろう。

 彼女に振られたショックから、俺は大学時代の女友達に片っ端から連絡をした。LINEの連絡先にあった片道1時間以内で会えそうな女友達に『今度時間のある時に飲みに行こう』と連絡した。大学時代は仲の良かった女友達だって卒業して仕舞えば余程のことがなければ会うことはないだろう。もしかしたらこの先一生会うことのない人の方が多いのではないだろうか?結果は無視が半分、都合が悪いが半分。まぁ、予想はしていた。そのうち、花音かのんからだけ、『7月2日の夜なら空いてるよ』という返信が返ってきた。

 花音は俺が通っていた研究室の同期だった。花音は才色兼備で気立がいい女性で皆から人気者だった。指導教員も違ったし、内気な俺は花音と挨拶くらいしかしたことがなかったのだが、研究室のグループLINEに入っていたので初めてLINEを送ったのだった。花音は地元の化粧品メーカーに就職したという話を噂に聞いていたので、ダメ元で連絡したが返信が返ってきた。


『大学時代は接点がなかったけど、これはもしかしてチャンスなんじゃないのか!?』


 俺は花音からの返信にすぐOKの返事をした。俺は7月2日が待ちきれず、アルバイトにも身が入らない日々が続いた。

 そして、いよいよデートの当日。俺は雑誌で読んだ『男のイケてるコーディネート』を参考にして花音とのデートに臨んだ。デート当日は花音が探してくれた駅前の居酒屋に入って談笑を楽しんだ。花音は新卒で入った会社のこと。仕事で大変だったこと。上司のグチなんかを楽しそうに話してくれた。花音は時折『浩太くんの方はどう??』と俺に話を振ってくれたが、俺は花音の話を聞くのが楽しくて聞き手側を死守した。正直、就活に失敗して、彼女にも振られた情けない俺に対して、楽しそうに自分のことを話してくれたのが嬉しくてたまらなかった。時間はあっという間に過ぎていき、23時30分にお店を出て別れた。


「ねぇ、浩太くん。今日はあたしの話をいっぱい聞いてくれてありがとうね。

大学時代はあまりお話ししたことなかったけど、またお話ししたいなぁ。

たまには、連絡ちょうだいね!」


 花音はそういうと、両手を思いっきり振って駅の向こうへと消えていった。俺はその晩。嬉しくて嬉しくてたまらなかった。


『花音は確かに俺とまた話をしたいって言ってくれたよな!!

これってもしかして脈アリなんじゃないか!?』


 オレは家に帰ると無意識に花音へのLINEのメッセージを作成していた。2人で飲んでいる時は聞き役に徹しようと思っていたので自分のことは極力話さないようにしていたが、家に帰ると花音に対する思いが途切れることなく湧き上がってきた。気が付いたら俺は夜中の2時にものすごい長文のLINEを書いて送信していた。これを機に花音とLINE友達のように毎日LINEができるんじゃないかと楽しみにしていた。

 しかし、何日経ってもLINEの返信はなかった。2、3日だった時はただ単純に長文LINEになんと返信したらいいのか考えているだけだと思っていた。だけど、1週間経っても返信は返って来ない。流石におかしいと思って、俺は『この間はめちゃくちゃ長いLINEを送っちゃってゴメン。花音といっぱいお話できてつい嬉しくなっちゃったんだ。またお話したいなぁ』と送った。3週間経った今もそのメッセージに返信はないし、既読もついていない。

 鈍感な俺も『流石にこれは脈ナシなのだ』と気がついた。すでに精神的にまいっていたが、これが引き金となってもう全てがどうでも良くなった。俺は人生で初めて『死んでしまいたい』『消えてしまいたい』という感情を胸に抱いた。


 今の時刻は17時30分。俺は富士山の『本八合目』にいる。標高は約3400mだ。雲の上から顔を出して強い西日に晒されている。酸素は地上の7割まで減少して数歩歩くだけでも息苦しい。地上は最高気温35℃を越える灼熱だが、今の気温は13℃である。正直寒い。

 どうして俺が富士山にいるのかって?俺は別に山登りが趣味というわけではない。ただ気づいたらここに来ていたというのが正しいと思う。

 8時に家を出て、最寄りの東松戸駅からなんとなく新宿方面へと向かった。俺の頭の中はまだ花音のことでいっぱいでしばらくアルバイトも休みを入れていた。電車の中で何気なく見た富士山の広告を見て、俺は無性に富士山を見てみたくなった。考えてみれば、富士山は『日本一の山』として誰もが知っている山だが、その姿をしっかりと見たことがなかった。俺は新宿駅に着くとバスタ新宿に吸い寄せられ、気がつくと『9:25発 河口湖行き』のバスに乗っていた。

 天気は快晴。バスは中央自動車道を西に進み八王子方面へと向かっていた。高井戸ICを通り過ぎると車窓の左側から見知った台形の山が姿を表した。富士山である。手前の山に隠れて裾野は見えなかったが、特徴的は形の山頂はハッキリと見えていた。


『江戸の街は栄えていたが、もちろん今ほど高い建物は無く、ちょっと高い所へ登れば富士山を見ることができたという話を聞いたことがあるけど、本当だったんだ。』


 俺は今の東京から富士山が見えることすら知らなかったのでとても新鮮だった。

 八王子ICを過ぎると高速道路は山に向かって走り、富士山も見えなくなった。高速道路は東京都と神奈川県の県境の小仏峠に差し掛かり、全長1642mの『小仏トンネル』へと入った。小仏トンネルを出て相模湖に差し掛かった時に再び富士山が顔を出した。

 高速道路は山梨県に入ると富士山がどんどんと近くなっていく。俺はスマホを開くことなく外の景色を見ることに夢中になっていた。バスは大月JCTに差し掛かると富士五湖道路を南に進んだ。富士五湖道路に入ると富士山はずっと右前方に見えてどんどん近づいていくのがわかった。富士急ハイランドの『FUJIYAMA』のアトラクションの背景に堂々と富士山がそびえていたので、俺はスマホのシャッターをきった。


 11時12分にバスは富士山駅に到着した。ここからさらにバスを乗り継いで、12時30分には富士スバルラインを通って、富士吉田五合目に着いていた。

 気温は17℃。8月の昼過ぎとは思えないほど涼しかった。薄い雲がかかっていて太陽の光が遮られると寒いくらいだ。地面は黒や赤黒い多孔質の火山礫が広がっていて歩くとザクザクと音を立てた。眼下には青木ヶ原樹海が広がっていて、上を見ると山頂が見え隠れしていた。正直想像以上の絶景だ。

 時間的にもお昼ご飯を食べて軽く散策したら帰ろうかと思ったが、俺の心の中で『行けるところまで上に行ってみたい』という気持ちが芽生え始めていた。足元は登山靴ではなくスニーカー。小さなリュックサックひとつで登山装備は何も持っていない。地元に山がなかったのもあるが、ハイキングで有名な高尾山や筑波山にも登ったことがない。初めての登山が富士山で登山装備も何も持っていないなんて『山を舐めてる』と言われたって仕方ないが、俺はその時どうしても登山をしないと気が済まなかった。

 富士山五合目について俺は趣味でも部活でも受験でも就活でも何か目標・・を持って取り組んだことがなかったことに気がついた。部活で県大会に行こうと張り切ったこともなければ、◯◯大学に入りたいから勉強を頑張ろうと思ったこともなかった。部活ではただ大会に出るだけで満足して、受験では自分の実力で入れそうな高校、大学を見つけてあえて少し低い偏差値の学校を受験して無難に入学した。就活だって◯◯社に就職して◯◯が何かやりたいという目標などなく、ただ闇雲に企業に履歴書を送っているだけだということに気づいた。考えてみれば趣味らしい趣味もない。登山が初めての俺にとって富士山がどんなレベルの山かなんてわからないし、今から登り始めたら日没までに山頂に辿り着けるかどうかもわからない。それに挫折続きの俺の人生。もし富士山で遭難して人生を閉じることになったとしても別に構わないという投げやりな気持ちも混ざっていた...。何はともあれ、俺は生まれて初めて自分が作った目標に向かって挑戦したいという気持ちが芽生えたのだ。この気持ちを無駄にしたくないという気持ちが一番強かった。


 とはいったものの、富士登山は思った以上にしんどかった。

 俺は五合目で簡単な防寒着を購入して、簡単に昼食を済ますと山登りを開始した。五合目から六合目にかけては軽快に進んでいき、大したことないじゃないかと山を甘くみていたが、六合目を過ぎた頃から一気に登りがキツくなった。ジグザグとした山道を一歩一歩踏みしめながら前へ前へと進んでいく。歩けば身体はほてって汗をかくが、汗をかいたらそれが富士山の冷たい空気で冷やされて身体が冷やされる。心臓が大きく鼓動を打って全身に血液を送っているのがよく分かった。頭では『死にたい』『消えたい』と思っていても心臓はどんな時も全身に新鮮な血液を送り、酸素を運んで身体を活かしてくれているのだと実感することができた。

 七合目を過ぎると霧の中の登山になった。10m先もほとんど見えない中、俺はひたすら登山者の後ろをついて行くようにして歩いた。今の俺にとって目の前の景色は真っ白な霧だが、地上の人にとっては雲に見えるんだよなという想像が頭の中に広がった。日光が完全に遮られて寒かったので俺は五合目で買った防寒着を1枚羽織った。それでもまだまだ寒かった。メガネは曇って使い物にならなかったので俺はメガネを外して登山を再開した。俺にとって『登山は歩く』イメージが大きかったが、実際には富士山を登る行為はどちらかと言うと『走る』という感覚に近いと感じた。進むペースは地上を歩いているペースよりもさらに遅いが、心臓の鼓動は大きくなり、息が切れて吸っても吸っても全く空気が足りない。意識がだんだん薄れてきて、足取りもやや千鳥足になっていた。『富士山の七合目まで歩いたんだからもうこれで下山してもいいんじゃないか?』という思いがよぎったが、『もう少し高くまで登りたい!』という強い意思がわずかに勝った。

 標高3000mの看板を通り過ぎるといよいよ八合目の山小屋が見えてきた。『太子館』と書かれている。強風が吹いて雲が晴れて、再び太陽が顔を出した。太子館は富士山の斜面にへばりつくようにして立っていて、上を見ると山頂がすぐ近くにあるように見えた。しかし、それはただの錯覚だったことに気づくことになる。

 八合目を過ぎると登山する人がグッと減った。今思えば八合目で16時を過ぎていたので山小屋に泊まる人が多かったのだろう。太子館から先は山小屋が転々としているので、山小屋を通り過ぎる度に登山者が減っていった。当の俺は山小屋の予約などもちろんしていないし、とにかく上に行くことしか考えていなかったので、道が続く限り、上へ上へと進んでいった。八合目から本八合目まではおよそ1時間半かかった。上を見るとなかなか山頂に近づいているという実感は湧かないが、着々と上へと近づいているのだとわかった。


 本八合目から先はより一層息が苦しくて前に進まず、俺は5〜10歩歩いたら休憩するというのを繰り返していた。高校時代は一応テニス部だったので体力には多少自信があったが、そんな自信は打ち砕かれた。気温は低いが歩けば歩いた分だけ汗をかく。ぜーはーいって息を切らして下を向くと、朝が額から瞼の内側を通って鼻筋に達して大きな雫を作っているのがわかる。その雫はやがて大きくなって鼻から滴り落ちると、黒い多孔質の火山礫に落ちた汗の雫を瞬く間に吸い取っていった。俺は汗が落ちる一部始終を見終えると再び歩き始めた。

 標高3600m。九合目。時計を見ると18時25分を指していた。あたりが刻一刻とオレンジ色に染まっていくのを俺は目と心で感じ取った。斜面の右側は太陽を浴びて赤く染まっていたが、反対斜面は陰になって真っ暗になっていた。


『普段の生活をしていてこんなにも夕焼けを感じたことが今までの人生であっただろうか?

世の中には何十万円、何百万円の宝石が売られているけども、もしかしたらこれはどんな高価な宝石よりも美しく、価値がある景色なのではないだろうか?』


 後ろを振り返ると関東平野が一望でき、高いビルが夕陽を浴びてキラキラと輝いているのがわかった。


『あの特徴的な建物は横浜ランドマークタワーだろうか?』


 ここまで来ると寒いという感覚はなくなり、まるで富士山と一体化しているかのような感覚さえあった。


『もし今、東京のビルにいる人が富士山を見たとして、きっと山の真っ暗なシルエットは見えても俺がここにいることなんて誰一人わからないんだろうな』


 俺はそんなことを考えていた。

 

 18時58分。2体の狛犬の先にある大きな白い鳥居をくぐり抜けるとそこは山頂だった。真正面に日没寸前の真っ赤な夕陽が見えた。息苦しさを感じたが俺はそんなことよりも日没の瞬間をこの前に焼き付けたかったので、もう少し良く見えるところを目指して走った。太陽が地平線の下に沈むと、地平線の光の上下からは夜の闇が迫ってきた。昼でも夜でもない時間帯。『逢魔時おうまがとき』である。この時間帯は魔物に遭遇する時間帯、あるいは大きな災禍さいかをこうむる時間帯だと信じられたことからこう呼ばれる。刻一刻とあたりが暗くなっていく感覚は、確かに本能的な怖さを秘めていたが、同時に厳格な雰囲気を感じ取ることができた。そして、普段なかなか感じられない時間の流れを心で感じ取ることができた。今この瞬間は、まさに一瞬で過ぎ去っていってしまうのだ。


『未来は現在になり、そして過去へと変わっていく。これは地球に住む我々が平等に与えられたささだなのだ』


 普段哲学に触れることのない俺だが、自然と心の中にそんな思いが込み上げてくる。


『挫折続きの俺の人生だけど、俺の挫折はすでに過去に流れて消え去っていたんだ。流れて消えてしまったものを、まさに今ここで起きた出来事かのように追いかけていたのはただ唯一俺の心だけだったんだ』


 そんなことを思って物思いにふけていると、スマホに一件の通知が来た。それは花音からのLINEだった。


『浩太くん。ずっとLINEの返信できなくてごめんね。

いきなり浩太くんから長文のメッセージがきて正直戸惑ってた...。浩太くんとの距離感をどうとったらいいのかわかんなくてさ。

大学時代はあまり浩太くんとお話する機会がなかったけど、急にご飯に誘われたってことはもしかして悩み事でもあるの?

もしそうならこの間は一方的にあたしの話をしちゃってごめんね。

もし、もう一度浩太くんと会ってお話しする機会を作ってくれるならあたし浩太くんの悩みをちゃんと聞くね!

お返事待ってます^ ^』


 そういえば、ただただ山頂を目指して歩いてきたけど、完全に真っ暗になる前に山小屋にいそがなくては本当に魔物にさらわれてしまう!!

 俺はメッセージを閉じると急いで登ってきた道を降り始めた。この世の道に終点が無いように、俺の人生の旅路もまだまだ続くのだ。






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