第2話
夏休み明けの九月。教室の窓から差し込む光は、まだ少しばかり暑さを残していた。
焔堂有可里(えんどうあかり)は、頬杖をつきながら窓の外をぼんやりと眺めていた。十六歳、高校二年生。長い黒髪を一つに束ねているが、毛先が頬に触れるのを時折、指で払う。
「アカリ、ノート写させてー」
隣の席の友人が声をかけてくる。有可里は小さく笑い、無造作にノートを差し出した。
しっかり者。そう言われることが多い。実際、彼女は要領がよく、部活でもクラスでも面倒事を押し付けられがちだ。断り切れない性分もあって、気がつけば周囲の雑務を引き受けている。
ただ、本人はそれを嫌ってはいなかった。むしろ、誰かの役に立てるならと前向きに受け止めている。それが彼女の強さであり、同時に少し不器用なところでもあった。
授業が終わり、放課後になる。教室のざわめきの中、有可里は机に突っ伏して深いため息をついた。
——何かが足りない。
心の奥で、いつもそんな思いがくすぶっていた。勉強もそこそこ、友人関係も悪くない。だけど、この日々が永遠に続くと考えると、胸の奥に小さな焦燥が生まれるのだ。
夕焼けが校舎を赤く染めるころ、有可里は帰路についた。駅前の書店に立ち寄り、文庫本を一冊手に取る。ファンタジー小説。異世界の英雄譚。いつの間にか、そうした物語ばかりを手にしている自分に気づく。
「……現実逃避、かな」
口に出してみて、苦笑する。けれど心の奥では、その世界に飛び込みたいと強く願っていた。
その夜。
自室で読みかけの本を閉じ、有可里はベッドに横たわった。窓の外には星が瞬き、夏と秋の境界の風がカーテンを揺らしている。まぶたを閉じると、胸の奥のざわめきが再び大きくなった。
——このままじゃ、きっと何も変わらない。
そう思った瞬間。視界の闇に、不意に赤い光が差し込んだ。
耳の奥で、低く唸るような響きがし、身体が宙に浮いたような感覚に襲われる。
「……え?」
目を開けたとき、有可里の周囲は闇ではなく、まばゆい炎のような光で満ちていた。ベッドも部屋も消え失せ、赤い紋様が幾重にも輝く空間のただ中に立たされていた。
足がすくむ。心臓が早鐘を打つ。声を出そうとしたが、喉は乾き、言葉にならなかった。
——そして。
そのころ、遥か彼方。中世ヨーロッパ風の石造りの大聖堂。
高い天井には神々を描いたフレスコ画。祭壇の中央に刻まれた巨大な魔法陣が、紅蓮の炎のように燃え上がっていた。
その光の前に立つのは、一人の少女。
銀糸の髪を結い上げ、翡翠のような瞳を持つ皇女——Elisaria(エリサリア)・ヴァルムント。一国の皇女にして、召喚の儀を司る存在。まだ十六歳にすぎないが、その背筋は王族の威厳を宿し、炎の光に映える姿は聖女のようでもあった。
「……来る。異界の扉が開かれる」
祭司たちがざわめく中、エリサリアはまっすぐ前を見据えた。 この召喚は国運をかけた儀式。長き戦乱に終止符を打つため、異界の力を借りねばならない。彼女自身もまた、その宿命から逃れるつもりはなかった。
光が最高潮に達したとき。
空間の裂け目から、一人の少女が姿を現した。
制服姿のまま、怯えた表情を浮かべる——焔堂有可里。
「……っ!」
膝が崩れそうになるのを必死で堪えるアカリを、エリサリアの瞳がとらえる。
異界より来たりし者。見慣れぬ衣服、あまりに幼い風貌。しかし、その身から立ち上る炎の気配に、エリサリアは確信した。
「あなたが……我らが求めし、“紅き炎”」
そう告げる声は、どこか安堵と期待を織り交ぜていた。アカリの戸惑いと、エリサリアの決意。二人の少女の出会いは、やがてこの世界の運命を揺るがす物語の始まりとなるのだった。
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