元魔王様の愛人にされそうですが、俺は元勇者です
佐倉陽介
プロローグ 二人の勇者
第1話
鐘の音が、まだ眠そうな村の屋根と石畳を震わせる。
小高い丘の上に建つ修道院——そこがスバルの育った場所だ。石造りの壁と尖った屋根は少し古びているが、ここは村人たちにとって祈りと学びの場であり、同時に剣を学ぶ訓練場でもある。スバルはそこで物心ついたときから暮らしてきた。
年齢は十二。髪は真っ黒で、肌は少し浅黒い。どこにでもいそうな少年だが、目つきは妙に落ち着いていて、大人びていると周りからよく言われる。
彼自身は知らないのだが——本当はこの国の生まれではない。赤ん坊の頃に修道院の門の前に捨てられていたのを拾われ、修道士たちに育てられた。ただの孤児だと思っているが、身にまとっていた布や小物は、どう見てもこの国のものではなかった。だが、そんなことを本人が知るはずもない。スバルにとって修道院が世界のすべてであり、自分はこの国のひとりだと信じて疑わなかった。
——今日も日の出前から訓練だ。
石畳の中庭に立ち、木剣を振り下ろす。風を切る音が耳に残り、足裏に石の硬さが伝わる。何百回と繰り返してきた動作なのに、まだ思うようにいかない。肩に力が入りすぎて、師匠に毎回指摘される。
「まだだな、スバル」
背後から声がした。振り向けば、長い灰色のローブをまとった修道士——師匠のグラディウスが立っている。年の頃は五十ほどだろうか。白髪混じりの髭をたくわえ、穏やかながらも目だけは鋭い。
「力むな。剣は振り回すもんじゃない。呼吸と心を剣に通せ」
「……はい」
スバルは頷き、再び構えをとる。息を吸い、吐き、余計な力を抜く。木剣を振るたび、胸の奥に少しずつ静けさが広がっていく。
修道院で教わるのは剣だけじゃない。祈りの言葉、読み書き、そして心の制し方——怒りや恐怖に飲まれれば剣は鈍る。戦士である前に、心を律する人間であれと叩き込まれてきた。スバルにとっては当たり前のことだった。
けれども、時々思う。
——どうして俺はこんなに剣を振らされてるんだろう。
村の同年代の子どもたちは羊を追ったり、畑を手伝ったりしているのに、自分は剣と祈りばかり。子どもらしい遊びをした記憶はほとんどない。それでも不満を口にしたことはなかった。だって、ここしか居場所を知らないから。
その日の昼、修道院に珍しい客が現れた。王都からの使者だ。分厚い鎧を着た兵士を連れ、やけに偉そうな態度で大広間に通される。スバルは柱の陰からこっそり覗いていた。
「闇が広がりつつある。我らには戦える者が必要だ」
低い声が響き、師匠たちが難しい顔をする。細かい話は子どものスバルには理解できなかったが、ただならぬ気配だけは伝わってきた。
その晩。
訓練を終えて汗だくのまま水を飲んでいると、師匠グラディウスに呼び止められた。
「スバル。お前はいずれ、修道院の外に出ることになるだろう」
「……え?」
予想外の言葉に、手の中の木杯を落としそうになった。
「王都の連中は、お前のような若い剣士を求めている。だが——」
師匠はしばし言葉を切り、じっとスバルを見つめる。
「お前の剣はまだ未熟だ。心もだ。だが……不思議なことに、わたしにはお前が“選ばれた子”のように思えてならん」
「選ばれた……子?」
意味がわからない。けれど、師匠の目が冗談を言っていないことだけはわかった。
その夜、眠れなくなったスバルは中庭に出て、月明かりの下でひとり木剣を振った。息が切れても、手のひらが痛んでも止めなかった。
——俺は何者なんだろう。
初めてそんなことを思った。今まで考えもしなかった疑問が胸に広がる。
けれど答えは出ない。月は黙って彼を照らすだけだった。
そしてスバルは知らなかった。
この後、異世界から“女子高生”が召喚され、自分と出会うことを。
その瞬間から、彼の本当の運命が動き出すことを——。
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