MIND THE GAP

踊る猫

不惑の決意

カクヨムにて、雨伽詩音さんのエッセイ「Another Motherlandとしての英語」(『自由の翼を求めて今日も考える』第1話)を興味深く読ませてもらった。それで、ぼく自身も自分と英語とのかかわりについてあれこれ考えてしまった。実を言うと今年ぼくは50歳になるのだけど、これはおいおい語っていくことになるけどぼく自身が発達障害を抱えていることが奇縁となってめぐり会うことができたぼくのメンターに薦めていただいたことがきっかけで、それで10年前から英語の再学習をはじめて今日までほぼ途切れなく続けてきたのだった。


https://kakuyomu.jp/works/16818792437976381865/episodes/16818792437976399373


「再学習」と書いたのにはそれなりに理由があって、ぼくの時代は中学生から英語教育がはじまったのだけどそこでいちおう(不真面目で間の抜けた生徒ながら)みっちり文法や単語を教わった、というのがまずある。そしてそれに加えて、高校生のころに出会った村上春樹の文学やフリッパーズ・ギターの音楽が海外の文物への興味を駆り立ててくれたので大学に進学する際にある東京の私大の英文学科を選んだのだった。その後、就職氷河期で痛い目に遭い英語はおろか人生そのものを文字どおり放棄するような日々を過ごし、そして40まで生きた。あとは上の話へつながっていく。


だから英語をやりはじめた最初の動機なんてごく単純(単細胞?)な「英語が話せると海外にダイレクトにつながれてカッコいい」という程度のものだった。思い起こせばそこから大学に入って原書購読やそれなりの英会話を経験はしたものの、ただ単に学校で学んだ知識・技術を実に無難に・過不足なく発揮するという程度の英語だったと思う。言ってしまえば実に無味乾燥で話していても面白味もなんにもなかった若僧だっただろうな、と。いま思い起こしても汗顔の至りだ。


いま、ぼくはもっぱらDiscordというプラットフォームを通して海外の友だちとつながり、彼ら・彼女たちにチャットや英文添削などを介して英語を教わる日々を過ごしている。同時に、毎朝行われている日本の英語学習者同士のZOOMミーティングに参加して英会話を楽しんだり、あるいはコロナ禍のころ満足に英会話教室に通えなかった欲求不満からはじめた英語メモを書き続ける習慣を欠かさないようにしている。あとはWhatsAppやLINEを使うこともある。


10年もやっていると、さっき書いたような「不真面目で間の抜けた」人間たるぼくでもそれなりにコツをつかめるものでいまでは英語が昔よりもなめらかに話せるようになった。いや、劇的に・グングン英語力が伸びるような工夫なんてやった覚えはないけれど、たぶん日々場数を踏んだことがこうした結果となって実を結んだとも言えるのではないかな、と思う。ただ、問題は「面白味」だ。これに関して、昔よりかはぼくもスパイシーなことが話せるようになったかなあ……とは思っているのだけれど。


なにはともあれ、これから、ぼくと英語をめぐるヨタ話・よもやま話を書いていけたらと思う。


BGM - Steely Dan "Deacon Blues"

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