第11話


そして夕陽が西の空を茜色に染める午後五時四十三分、

海岸線から内陸へ六〇〇メートルほど入った丘陵地帯に位置する、

バーベキュー施設を併設した市民公園の芝生広場に足を向けていた。

アスファルトの歩道から芝生へと足を踏み入れると、

バーベキュー場の赤煉瓦の煙突と、

その隣に設置された木製のピクニックテーブルが見えた。

テーブルの表面には、何度も重ねられた使用の痕跡が刻まれ、

木目の隙間に炭の粉が薄っすらと残っている。

風向きによって漂ってくる炭火の残り香は、

昼間にここで楽しい時間を過ごした家族連れの記憶を想起させる。

でもそこには、誰もいなかった。

靴底を通して伝わってくる地面の感触が、

硬いコンクリートから柔らかい土へと変化する。

芝の一本一本が夕陽を浴びて金色に輝き、

その間に混じった小さなクローバーの葉が三つ葉の形を鮮明に描いている。


「ここにはヤシ科フェニックスもあるんだな・・・」

と独り言を呟きながら、最後の一日を瞳に焼き付けようとする。

材料調達などで先に行ってくれと言われたものの、

勇太やマコちゃんや舞ちゃんと別行動、

一緒に行ってもよさそうなのに・・・・・・。


荷物らしい荷物を持たずに、来た。

パンツと財布とスマートフォン。

それから、舞ちゃんとの思い出の素敵な絵。

鞄の中は軽く、

そしてやりきったような解放感と、

明日から始まる夏季講習と、心残りがある一抹の淋しさ・・。

海風が内陸まで運んでくる潮の香りは、

ナトリウムとマグネシウムの結晶が鼻腔の奥深くまで届き、

同時に遠くの砂浜で遊ぶ子供たちの声が風に乗って断続的に聞こえてくる。

その声は距離によって音の輪郭がぼやけ、

まるで古いラジオから流れる遠い放送のように響いている。

公園の一角に設置された木製のベンチに、

マコちゃんが一人腰掛けているのが見えた。

夕陽が藤の葉を透かして、彼女の頬に細かな光と影の模様を作り出していた。


「マコちゃん!」


俺の声が空気を震わせると、マコちゃんはゆっくりと振り返った。

その動作で、彼女の髪が肩から滑り落ち、

一房一房が夕陽の光を受けて琥珀色に変化する。

髪の毛の表面にあるキューティクルが光を反射し、

まるで絹糸を束ねたような光沢を放っている。

彼女は小さく首を振り、その動作で首筋に走る細い血管の青い線が、

透明な肌を通して微かに見えた。

彼女は白いコットンのサンドレスを身に纏い、

その生地は夕陽を透かして微かに肌の輪郭を浮かび上がらせている。

ドレスの裾は膝上十センチほどの丈で、

座った姿勢では太腿の三分の一ほどが露出し、

そこに夕陽が斜めに射し込み、肌の表面に微細な産毛の影を作り出している。

足首には幅三ミリほどの銀製のアンクレットが巻かれ、

その表面に刻まれた細かな模様が夕陽を反射して、

まるで液体の水銀のように光の粒子を散らしている。


マコちゃんはいつも陽キャのモテオーラが漂っているけど、

今日の彼女なら世界のどんな男でも口説き落とせそうに見えた。

夕風が彼女の髪を軽やかに持ち上げると、

耳元の産毛を浮き立たせる。

その瞬間、俺は彼女の首筋の繊細な曲線に目を奪われた。

鎖骨の上の窪みに、薄っすらと汗の粒が光っていて、

海の家でのアルバイトのことをふと思い出し、

潮風と日焼け止めクリームの匂いが記憶の中で蘇った。


「あれ、みんなは?」とマコちゃんに聞く。

「まだ、来てないみたい」


彼女の声は、夕暮れの静寂の中で、

水滴が静かな湖面に落ちるような響きを持っていた。

その声に混じる微かな困惑は、音程の微細な揺れとして現れ、

まるで調律の狂ったピアノの鍵盤を叩いたような不安定さを含んでいる。

白いサンドレスの裾が夕風にそよぎ、

生地の繊維が空気の流れに従って波のような動きを見せる。

風は彼女の髪の先端を軽やかに舞い上がらせては、また肩に戻していく。

バーベキューでもするのかなって思ったけれど、と呟きながら、

彼女は右手に握ったスマートフォンの画面を見つめている。

液晶ディスプレイから発せられる青白いLEDの光が、

彼女の頬骨の高い部分を薄く照らし、

そこに電子機器特有の冷たい輝きを投げかけている。

と、そこで、少し硬いけれど表情が柔らかくなった。


「あの、タク、二週間お疲れ様、

タクのおかげで海の家も楽しかったよ・・・・・・」



「俺も、楽しかった、仕事で楽しいなんて言ったらあれだけど、

しんどいこともあったけど、充実した毎日だった―――」


ぎこちないけれど、マコちゃんが普通に接してくれるのが嬉しい。

素直にマコちゃんのねぎらいの言葉が、

最高のご褒美だという気が―――した・・。


そういえば、勇太はもう少し海の家のバイトを続けるらしい。

彼の日焼けした顔と、いつもの人懐っこい笑顔を思い出しながら、

俺はマコちゃんの隣に腰を下ろした。

ベンチの木材は杉を加工したもので、表面には木目が年輪として刻まれ、

一日中太陽に温められていた熱が俺の太腿を通して身体に伝わり、

血管を拡張させて心地よい暖かさをもたらす。

こんな時になって、いつもこの時間は浴衣を着ていて、

ズボンなんて変だな、と気付かせる。


「でも、どうしたんだろ、お父さん、唐突にみんなで夕陽見ようって」


マコちゃんの疑問の声は、夕暮れの空気の密度の変化によって、

昼間よりもクリアに響いている。眉を顰めめながら、

彼女は遠くの水平線を見つめ、

その視線の先には地球の丸みによって作られた地平線が、

海と空の境界線として一本の細い線を描いている。

彼女の横顔は夕陽の逆光でシルエットとなり、

睫毛の一本一本まで繊細な影として浮かび上がる。


「そうだよね、ボスなら先に来て準備して、

待っていそうなのに・・・・・・」


二週間過ごしてみて、ボスは頼りになるリーダーで、

いわゆるクラスにいる仕切り屋でムードメーカーだということは、

誰の眼にも明らかだった。彼の豪快な笑い声は低音域が強く、

その振動が胸骨を通して心臓にまで伝わってくる。

エネルギッシュで、コミカルで、ちょっと怖くて、優しくて―――。

みんなを巻き込む力強さを思い出すと、

今の静寂がより一層不可解に感じられた。

ボスが几帳面だというのは幾度となく思い知ってきたことだけど、

海の家の開店準備では、パラソルの角度から調味料の補充まで、

すべてをチェックリスト化していた。

ボスの丁寧な海の絵が思い出される。

公園内には蝉の泣き声はおろか鳥の囀りすら聞こえず、

ただ風が葉を揺らす微かなざわめきだけが、空気の分子を震わせている。

何かトラブルでもあったのだろうか、と心配な気持ちになる。


「その、電車の時間は?」


彼女の声のトーンは、いつもより少し高く、緊張が伝わってくる。

マコちゃんの質問に、俺は腕時計を見た。

文字盤に映る夕陽が、針を赤く染め、

LEDの緑色の光と混ざり合って奇妙な色合いを作り出している。

秒針が十三、十四、十五と進んでいくのを見ながら、

俺は電車の時刻表を頭の中で計算する。


「全然大丈夫だよ。だけど―――」


言葉は続けられなかった。

本当は夏季講習なんて一日遅れようがどうだっていい。

今日という日をきちんと終わらせたいと思う気持ちに比べれば、だ。

だから、だから―――このまま二人でずっと、

途方に暮れているというのも、

変なシチュエーションだ。

シナプスが電気信号を伝達しながら様々な可能性を探っているが、

まるで暗闇の中で手探りをしているような感覚は続き。

ニューロンの樹状突起が他の神経細胞との接続を求めてもがいているような、

もどかしさを感じる。

息切れを覚える鼓動。

周囲を見回すと、公園には他に人影がない。

街灯は未だ点灯せず、空の色が刻々と変化していく過程を、

二人だけが共有している状況。

このシチュエーションの異常さを、二人とも感じていた。

普通なら賑やかなはずの集まりが、何故か二人きり。

まるで舞台装置が整えられたような、作為的な状況。

それでも夕暮れが刻一刻と近づいて、空の青色が徐々に深い紫色へと変化し、

大気中の水蒸気と微細な塵が夕陽の光を散乱させ、

波長の短い青色光が徐々に減少し、波長の長い赤色光が優勢になっていく。

雲の隙間から差し込む夕陽が、

まるで暗い血液がゆっくりと滲み出してくるように空を染め、

その赤は、ヘモグロビンの鉄イオンが酸素と結合した時の深紅に似ている。

ワインレッドの色という比喩を思い浮かべる。

これが見納めだと思うと感慨深い。


「あっ、そうだ勇太からマコちゃん宛てに封筒を預かったんだけど」


俺がポケットから取り出した白い封筒は、

少し汗で湿っていた。

封筒の材質は上質紙で、表面には微細な繊維の凹凸があり、

指先で触れるとザラザラとした質感が伝わってくる。

封筒のサイズは縦十五センチ、横十センチの定形郵便規格で、

重さは約十五グラム。


「わたしもお父さんからタクに封筒預かってるよ」


マコちゃんも同じように封筒を取り出しながら、首を傾げて付け加える。

その仕草で、彼女の髪が右肩から滑り落ち、

首筋の白い肌が露わになった。その肌は陶磁器のような滑らかさを持ち、

表面に走る細い血管が薄紫色の線として透けて見える。

首の付け根には、約二ミリ四方の小さなほくろがあり、

それが彼女の白い肌にアクセントを加えている。


「給料明細って言ってたけど」

「こっちは餞別って言ったけど」


お互いに封筒を開ける音が、静かな夕暮れの空気に響く。

紙を破く小さな音が、なぜかとても大きく聞こえた。


「ん?」


封筒の中から出てきた紙片に書かれていたのは、

ボスの特徴的な大らかな文字だった。

一画一画に力強さがあり、

筆圧によって紙面に約〇・二ミリの凹みを作っている。

 


何を? 俺は困惑して、もう一度紙を見直した。

給料明細ですらなかった(?)

インクの跡は確かにボスの筆跡で、間違いない。

ごめん、ボス、本当に何を?

あと、二週間働いた従業員を巧ではなく、

ここに来てシコティッシュに、

格下げするのはどういうわけですか、とはにかみながら思う。

一方、マコちゃんの手にした紙には、

勇太の崩れた字で次のように書かれていた。


ー☆)


紙面に残る鉛筆の粒子が光を反射して銀色に光っており、

星印まで丁寧に描かれているその文字を見て、マコちゃんの顔が困惑に歪む。

星印は五角形で、各頂点が鋭角に描かれ、

中央部分は鉛筆で塗りつぶされている。

そういうところだぞ、SONY(?)

はぁ? 

お互いから、変な声が聞こえる。

まるで激辛の唐辛子ソースでも口に含んだような、

なんとも表現しがたい表情になった。


「な、なんて書いてあったの?」

「そ、そういうマコちゃんこそ?」


互いの質問は、まるで鏡面反射のように同調し、

心理学でいうミラーリング効果が無意識に発生し、

二人の緊張状態が、シンクロナイズドスイミングの選手のような、

一体感を生み出して―――いる・・。

顔を見合わせている内に、不思議と笑い合っていた。


「でも・・・・・・」


と、ここでマコちゃんが右手で髪を掻き上げて、

遠くの水平線を見るような眼をした。その動作で、

彼女の右腕が上がり、サンドレスの袖口から見える腋の下の白い肌が、

夕陽に照らされて象牙色に輝いて妙にセクシーに見えた。

その肌は他の部分よりもさらに繊細で、

毛穴がほとんど見えないほど滑らかだった。

俺の胸の奥深くで、まるで膀胱に尿が溜まった時のような、

切なくて甘い圧迫感が湧き上がる。


「ふう・・何となく、想像ついちゃった」


その一言で、俺もこれはそういうことじゃないか、とワトスンした。

マコちゃんは深い溜息をつき、一拍の間を置いた。

その間に彼女の表情が段階的に変化していく様子を、

俺は網膜に焼き付けるように見つめていた。困惑から理解へ、

そして微かな羞恥へと移り変わる表情の変化は、

顔面筋の微細な動きによって作り出されている。


「お父さんも勇太くんも、こんな気遣いするなんて、背中押されるなぁ」

「え?」


俺の困惑を余所に、マコちゃんは急に真剣な表情になった。

夕陽が彼女の瞳を琥珀色に染め、

虹彩の中に含まれる茶色とオレンジ色の色素が、

光の屈折によってまるで宝石のような輝きを放っている。

瞳孔の周りには、放射状に走る細い線があり、

それが光の加減で金色に見える。


「今日全然楽しくなかった。ずっとタクとのお別れを考えちゃって」

「お、俺との?」


俺の声は、予想以上に高い音程で発せられた、

声変わりを終えた男性の咽喉としては不自然な響きを持っていた。

緊張によって声帯が収縮し、

通常よりも高い周波数の音波を生み出している。

けれど、マコちゃんは変な声を出してもピクリとも笑わなかった。

でも心の何処かではマコちゃんと一緒だったかも知れない。

楽しい現在の瞬間を、

未来の悲しみが侵食している状態だったのかも・・・・・・。


「タクの住んでるとこ、ここから三時間もかかるでしょ。

そんな気軽に会えるような距離じゃない」


彼女の言葉を聞いて、俺も同じことを考えていたのを思い出した。

距離にして約二〇〇キロメートル、電車で三時間十五分の道のり。

その物理的な距離が、今は心理的な壁として立ちはだかっている。

その鉄道の運行時間、交通費、

そして何より時間という有限なリソースの配分問題。

そこまでして、そこまでして続けたいと思うだろうか、

続けたいと思えるだろう―――か・・。

胸がぎゅっと掴まれたみたいに痛くなる。

心臓がまるで厚い藻の塊のように重く感じられた。


「夏が終わればタク、わたしのことを忘れちゃうのかなって、

ずっと考えてた・・・・・・」


夏の終わりは、開放感から内省への転換期で、

感情的な体験がより深く内面化される時期だ。

また、ひと夏の恋という文化的ステレオタイプの存在も、

感情体験に影響を与えている。

社会的に共有された物語のパターンが、個人的体験の意味づけに作用する。

きっと二週間前なら、ひと夏の思い出を作りたいと思ったかも知れない。

そんなことあったら充実した夏だろうと思えたはずだ、

思ったはずだ、絶対・・・・・・。


でもこの二週間は、ひと夏の思い出にしたくない夏だった。

彼女と過ごした時間の一秒一秒が、掛け替えのないものに感じられる。

二週間は三百三十六時間、二万百六十分、そして百二十万九千六百秒、

もっと短いはずだ、だからけばけばしく感じられる、時間。

でもそのはみ出した絵の具のような時間が、

足元の斜めに突き出た曲がりくねった木の根を跨がせ―――る・・。


「わ、忘れるわけないよ!」


俺の声は、自分でも驚くほど大きく響いた。


「え?」

「そ、そういうマコちゃんこそ、

俺なんかすぐに、忘れちゃうんじゃない?」


住む世界が違うんだし―――と心の中で呟いていると、

マコちゃんが突然声を張り上げた。

その声の大きさに、俺は距離感を失い、視界の焦点がぼやける。

強い感情的な刺激によって自律神経系が乱れ、

眼球の水晶体を調節する毛様体筋が一時的に麻痺する。


「そんなわけないじゃない! 

わたしはそんなに軽くない」


その声の震えには感情の昂ぶりが込められている。

声帯の振動が不規則になり、音程に微細な揺れが生じている。

子供っぽいけれど、真剣な眼で見つめられると、俺

は言葉がまったく出てこなくなった。

心臓が激しく鼓動している。ドキドキという音が、

まるで太鼓のように響いて聞こえる。


「たった一週間で、こんな気持ちになるなんて、

考えもしなかったんだから」

「こんな気持ち?」

「わたし、タクのことがす・・・・・・」


彼女の唇が微かに震えている。

唇の色は夕陽の影響で通常のピンク色よりも深く、

血管の拡張によって血流が増加していることを示している。

下唇の中央部分に、約一ミリの小さな縦皺があり、

それが光の加減で影を作っている。

夕陽が彼女の頬を薔薇色に染め、

頬骨の高い部分にハイライトを作り出していた。


「す・・・・・・」


この展開、まさか―――。

俺の心臓が今にも破裂しそうに激しく打って、

おそらく心拍数は一分間に約百四十回まで上昇し、

血圧も上昇して血管壁に圧力が掛かっていて、

時間が止まったように感じられ―――る・・。


「す・・・・・・す・・・・・・」


言うのか。言ってしまうのか・・・。

でも言うなら俺の方がいいのか―――いや、でもなぁ・・。

時間が止まったように感じられる瞬間は続き、

間延びしたようにも感じられ、

俺の全神経が彼女の唇の動きに集中し、

他の感覚が一時的に麻痺したような状態になっている。

聴覚、触覚、嗅覚すべてが彼女の次の言葉に向けられている。


「す、すっぴんの女の子ってどう思いますか!」


その瞬間、背後でドデーンと派手な音がした。

振り返ると、ボスと勇太が植え込みの陰から現れた。

舞ちゃんとミサキさんもいた。

(ミサキさんは何でいるの?)

ボスは人懐っこい笑顔を浮かべ、勇太は苦笑いを浮かべている。

一体いつからいたのだろう、この野次馬どもは、と俺は内心で毒づいた。


「そりゃないぜー、マコちゃーん」

と勇太が手を振りながら言う。

「ここまでお膳立てしたのに・・・・・・ギャラリーが納得しない(?)」

とミサキさん。

野次馬を、ギャラリーと高位変換するのがあざとい(?)


「しょうがないじゃん、たった二週間とか、

軽い人って思われるかもしれないじゃん」


マコちゃんの頬は真っ赤に染まっていた。まるでトマトのように。

俺は半ば呆然としていて、映画でも観ているような気がしていた。


「おい巧、こういう時は野郎が勇気ださねぇといけねえんだぞ!」


もっともすぎる、

ボスの激励の言葉が響く中、

俺の頭の中では様々な物想いが流星のように飛び交い、

衝突しては火花を発していた。

マコちゃんが俺のことを好き?

いや、好感は持たれていると思っていたけど、

よもやまさかのラブストーリーに繋がるとは思っていなかった。

古いアイロンのコードが劣化して、

ヘッドフォンのジャックに誤って接続され、

予期しない電流が流れて感電したような、

身体の内側から外側へと飛び出してくる電気的な感覚。

皮膚の表面にある神経終末が過敏に反応し、全身に鳥肌が立っている。

あと、俺の顔も真っ赤だろう、何を言っていいのかも分からない。


「え、えーっと、情報処理が追いつかないので、

とりあえず・・・・・・」


俺はゆっくりと手を伸ばし、

マコちゃんの小指に自分の小指を近づけて、そっと繋ぐ。

彼女の小指の柔らかい感触が、静かに俺の手に返ってくる。

絹のような滑らかさと、ほんのりとした温かさ。

指紋の渦巻き模様が互いに接触し、

まるで二つの小さな宇宙が触れ合うような感覚。

同じ気持ちでいるから、彼女は優しく夢見るような瞳で俺を見つめている。

その瞳の中には、夕陽の光が反射して小さな星のような輝きが宿り、

まるで宇宙の奥深くにある星雲のような神秘的な美しさを湛えている。

この一週間で日ごと大きくなっていった彼女の存在を、

俺は全身の約六十兆個の細胞で感じていた。

足の小指を箪笥に思いっきりぶつけてしまった痛みの話をしたら、

冷蔵庫に大切に保存していたプリンがなくなってしまった、

そういう、悲しみの話を返してくれるマコちゃん。

そんな他愛のない会話が、今はとても愛おしく感じられる。


「ら、来年も来るよ、マコちゃんに会いに!」


俺の声は夕風に乗って、遠くまで響いていく。


「うん! 絶対! 約束ね」


マコちゃんの声も、同じように確かな響きを持っていた。


「うん!」


二人の声が重なり合い、夕陽に染まった空に溶けていった。

小指と小指を繋いだまま、俺達は静かに夕陽を見つめ続けた。




  *



📷ミサキの写真日記:小指の約束

[写真:夕陽の中でハァハァした男女が、

乳繰り合うようなテンションで小指つなぐ]


お姉さんもね、煮え切らない若い連中のために、

蛍見えるよとか言ったりしたわけじゃない、

だから最初はこりゃ駄目だって思ってたのね、

思ってた、

「す、すっぴんの女の子ってどう思いますか!」だものね。

この女ここに来て、ここまで来て、

臆したか\(-o-)/バカー(?)


恋のエターナルフォースブリザード、

体感温度エベレストの登頂付近の氷地獄(;´・ω・)


もうね、そんな娘に育てた覚えはないって、

言ってやればよかった( `ー´)ノノコッタノコッタ


ジョシコーセーというか、オンナっていうのはね、

恋が一番上にセッティングされているもんなのね、

ラブリーハッピーエルエスディー、

バグるか、バグらないか、そこが重要(?)

愚か者、禊してこい( ;∀;)

もういいから、グラウンド百周してこい、

武士の情け、ヤマトナデシコ七変化('◇')ゞ


けどね、わたしは間違っていた、

間違っていたのダヒャ( *´艸`)


結果的にその消極性が、ダウンダウンダルダルな行為が、

淡い、そして指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ますな、

江戸時代遊女の小指のクロネコヤマトのタッキュービンしたのね、

めっちゃサイコじゃん、だけどそこがヤンデレじゃん、

そういう小指へと、

繋がっていったのダヒャ( *´艸`)


「え、えーっと、情報処理が追いつかないので、

とりあえず・・・・・・」


が、永久リピート思い出されてくる。

ここで、好きだって言えないのが初心な男なのね、

でもそこが見所なのね(*'ω'*)ナニミセラレテルンダ


「ら、来年も来るよ、マコちゃんに会いに!」


この絶妙な擦れ違いの美学、お前それ全然違うだろ、

がいいのね、何だそれ、

一年もマテリアル摩天楼オペラすんのか、なんだけどさ、

そこはね、でも、この予定調和をぶっ壊すのが、


「うん! 絶対! 約束ね」なのね。


この瞬間、二人は儀式的な意味で、精神的なところではもう、

カレシカノジョなのね(*'ω'*)ヨカモンミタバイ


だけど、恋愛ソムリエとしてここまで見届けたからには思うのね、

これは結局、パズルのワンピース足りない感覚なのね、

タイムリミットが鳴り響いてる、別れた瞬間から始まるのね、

あー何で、すっぴんとか言っちゃったんだろうであり、

あー何で、あの時もう一歩踏み出せなかったんだろうね、

もって半年、いや多分一か月我慢できれば立派なもん。


あとは若い者にまかせつつ、

素敵なラブストーリーを期待しますぞい、

しかし可愛いお二人ですこと、ウシシ(´艸`)



  *



📸 Instagram Story - pm 8:00

画像:バーベキュー

caption:今日をもって武藤巧君が、

アルバイトを終えます🌅

本当にお疲れ様でした💙

#感謝 #海の家


♡ 1062 💬 16📤


コメント:

@dad_mochizuki: 元気出せよー夏は終わらんぞー( `ー´)ノ

@mako_beachhouse: @dad_mochizuki 

 うん、でも舞が泣いちゃって大変だったね。

@yuta_local: 明日も頑張ろうぜ、カモンカモン海の家😏

@mako_beachhouse: @yuta_local

 うん、アンタが言うとムカつくけど、頑張ろう👏

@takumi_uminoie みんな二週間ありがとうございました☀️

@dad_mochizuki: がんばれよ( `ー´)ノ

@yuta_local: ボスはまったく、たまらんぜ😏

@mako_beachhouse:@takumi_uminoie

 タク、変なプレゼント渡してごめんね、

 でも、タクには持っていてほしくて・・・・・・。

@yuta_local: ちょっと待って、それ聞いてないけど何😏

@dad_mochizuki: あの鳥の硝子細工か( `ー´)ノ

@mako_beachhouse: @dad_mochizuki 

 え、お父さん、いつ見てたの!?



  * 


˗ˏˋ🕊ˊˎ˗



黄昏色に染まりかけた稲穂が、

地平線まで続く絨毯のように広がっている。

一粒一粒がまだ青みを残しながらも、

その先端だけが薄い金色に輝き始めていて、

まるで夏の記憶を手放すまいと必死に抵抗しているみたいだった。

風が吹くたびに、稲穂たちは一斉に同じ方向へと身を傾け、

さざ波のようなうねりを作り出す。


その律動的な動きの中に、

「まだ夏だよ、まだ終わらせないで」

という小さな声が聞こえるような気がする。


遠方に連なる山々の稜線は、

厚い雲の影を背負って重厚な青紫色に沈んでいる。

雲の切れ間から差し込む西陽が、山肌のところどころを金色に照らし出し、

その明暗のコントラストが山の輪郭を曖昧にぼかしている。

まるで水彩画の絵具が滲んでいくように、

境界線があやふやで、

それが今の自分の心の有り様とあまりにも似ていることに気づく。

電車の窓硝子に映る自分の顔を見つめる。


あの夏の日から肌の色は戻りつつある。

でも、それ以上に変わったのは眼だった。

あの時はどこか斜めを向いていた視線が、

今日は真っ直ぐ前方を見据えている。

迷いながらも、確かな意志を宿して。


「約束ね」


あの時口にした言葉が、まだ耳の奥で木霊している。

あれから何度か、市民公園の芝生広場に行った。

あれは一時の感情に流されて出た言葉だったのか、

それとも心の奥底からの本音だったのか、

まだ自分でもよく分からない。

ただ、あの瞬間の自分は確かに本気だった気がする。

部屋を出る前、いつもなら陽だまりの中で、

虹色の光を放っているはずの硝子の鳥が、

そこにはなかった。彼に託した大切な思い出の品。


もしかしたらそれがわたしの誠意だったのかも知れない。

どうして言えなかったんだろうは、

何処かでまだ考える時間を欲していた。

どんな答えでも後悔しない気はしていた。

けれど、あの硝子の鳥は確かにわたしの心だった。

透明な硝子の表面に朝の光が当たると、

プリズムのようにほんの少しだけ七色に分かれて、

壁に小さな虹を投げかける。そのきらめきを見るたびに、

あの人は思い出してくれるだろうか。私のことを。


「元気にしているかな」


そう思うだけで、ここまで来る理由としては十分すぎるほどだった。

友人には「三時間もかけて行くの?」と呆れたような口調で言われた。

「うん」と答えると、

「ふーん、ついに待ちくたびれたか」

とからかうような笑顔を浮かべられた。

「違うし」と慌てて否定したけれど、違うと言い切れるほど、

自分の気持ちを整理できているわけではない。

もつれた毛糸玉のように、

複雑に絡み合った感情を解きほぐすには、まだ時間が必要だった。


カーブを曲がった瞬間、視界の向こうに青い水平線が現れた。

わたし達の海だ。

記憶の奥底に刻み込まれた、あの美しい海。

夕陽が水面を金色に染める中で、震える小指同士を絡めた場所。

波打ち際で交わした言葉の一つ一つが、

まるで昨日のことのように蘇ってくる。

あれは恋だったのだろうか。

それとも、恋になりかけた何かの萌芽だったのだろうか。

確かなことは、あの瞬間が特別だったということ。

そして今も、胸の奥で温かく脈打ち続けているということ。

電車がゆるやかなカーブを描いて進むたびに、

心もまた少しずつ、あの夏の日の記憶の中へと戻っていく。

でも、それは単純な回帰ではない。あの日の続きを見に行くのだ。

未完のままで終わった物語の、次のページを開きに。


「来年も来るよ」


あの人が残していった言葉。

まさかそれが今日になるとは思ってもいなかった。

でも、今日という日が巡ってきた以上、

もう逃げることはできない。ちゃんと会って、ちゃんと話をしたい。

化粧気のない素顔のこと、硝子の鳥に込めた想いのこと、

そして小指で結んだあの約束のこと。全部、包み隠さずに。

あと、ミサキさんがしつこく聞いてくること、

舞がお兄ちゃんは遊びに来ないかなって言っていること、

お父さんが二人で決めたらいいって言ったこと―――も・・。



  *



そして一か月後、地味な生活に戻った俺は、

あの幻想のような日々を毎日考えていた。

朝の六時四十分、目覚まし時計の金属製ベルが震える音で眼を覚ます。

枕カバーには寝汗の跡がうっすらと残り、綿の繊維が頬に張り付いている。

まだ夏は続いている気がする。

窓から射し込む薄い光は、カーテンの織り目を通して、

部屋の床に格子模様を作る。

埃の粒子が光の筋の中で舞い踊り、まるで小さな星屑のように見える。

そしてマコちゃんから預かった全長八センチほどの硝子の雀。


学校へ向かう道では、

アスファルトの表面に刻まれた無数の小さなひび割れが、

朝露で濡れて銀色に光っている。

歩道の縁石には、夜間に落ちた公孫樹の葉が貼り付き、

その黄金色の表面に靴跡が黒い模様を描いている。

電線に止まった雀の群れは、細い足で電線を握りしめ、

羽毛の一本一本が朝風に震えている。

教室の蛍光灯は一定の周期で微かに明滅し、

その光が机の表面の細かな傷や落書きの跡を浮き上がらせる。

黒板消しの白いチョークの粉が空中に漂い、太陽光の筋の中で踊っている。

窓硝子には生徒たちの息による曇りの跡があり、

指で描いた小さな落書きが薄っすらと残っている。


「(硝子の鳥っていうのが何とも狡いよなあ・・・・・・)」


それが俺とマコちゃんを繋げている唯一の糸といっても過言ではない。

しかし、正確に言うと、ことあるごとにマコちゃんのことを考えていた。

彼女の髪の毛の一本一本を思い出す。

海の家の帽子とエプロン姿、水着姿、浴衣姿、サンドレス・・・。

夏の強い日差しの下では栗色に輝き、

風が吹くたびにさらさらと音を立てながら肩の上で踊っていた。

その髪が頬にかかる瞬間、細い指で耳の後ろに掻き上げる仕草。

爪は短く切り揃えられ、薄いピンクのマニキュアが塗られていた。

彼女の瞳は、光の角度によって金色の斑点が見えたこと。

睫毛は長く、一本一本がくっきりと分かれ、

笑う時に目尻に現れる小さな皺、

それが彼女の表情に温かさを与えていたこと・・・・・・。


「はぁ・・・・・・来年まで長いな」


夕方の通学路を歩いている。足音が歩道の石畳に響く。

一歩ごとに、靴底のゴムが地面の小さな凹凸を捉え、

わずかな摩擦音を立てる。街灯がちらほらと点き始め、

その光が道路の水溜まりに反射してきらめいている。

空は群青色から紺色へと変わりつつあり、

雲の端が夕陽の名残りで薄くオレンジ色に染まっている。

遠くの山並みは黒いシルエットとなって地平線に横たわり、

その向こうに一番星がぽつんと光っている。

と、後ろから声がする。


「おいおい、どこの学校の子だ?」

「めーっちゃ、可愛い」


声の主たちの足音が近づいてくる。

革靴の踵が歩道を叩く音、スニーカーのゴム底が擦れる音。

彼等の息遣いが背後で聞こえ、興奮と好奇心が混ざった笑い声が空気を震わせる。



―――。


振り返ると、制服姿の女子高生が一人、

少し離れたところを歩いている。夕陽が彼女の横顔を照らし、

頬の産毛まで金色に光らせている。

スカートの裾が歩くたびに軽やかに揺れ、

白いソックスが足首にぴったりと密着している。

彼女の持つ鞄の金具が光を反射し、小さな星のようにきらめく。

いまは、どんな美人でも心がまったく動かない気がした。

心の奥底に刻まれたマコちゃんの記憶が、他のすべてを色褪せて見せる。

彼女の笑顔の記憶は、まるで高画質の写真のように鮮明で、

その輪郭、陰影、表情の微細な変化まで完璧に再現される。

それと比べると、目の前の現実はすべてがぼんやりとして、

焦点の合わない古い写真のようだ。


「それにしても本当に騒がしいな、ドラマの撮影でもあるのかな……」


立ち止まっていたら、見慣れた顔が途切れ途切れに映りはじめる。

人波の間から、断片的に見える顔。

一瞬見えては隠れ、また見えては隠れる。

まるで古いフィルム映写機のように、一コマ一コマが不規則に現れる。

最初は幻覚かと思った。眼をこすり、瞬きを繰り返す。

しかし、その顔の輪郭は確実に記憶の中の形と一致している。

錆びついた蝶番が軋りながら開いていく。

まるで長い間閉ざされていた扉が、ゆっくりと開かれるように、

金属の摩擦音が頭の中で響き、胸の奥で何かが軋みながら動き出す。

心拍数が上がり、血液が血管を勢いよく流れる音が耳の中で聞こえる。

手のひらに汗がにじみ、指先が微かに震える。


「あっ、いたいた」と、マコちゃんが現れる。


人波を掻き分けて現れた彼女は、

まるで夢から現実に飛び出してきたようだった。

髪は風で少し乱れ、頬には軽い上気した赤みが差している。

息が少し弾んでいるのは、急いで走ってきたからだろう。

白いブラウスの胸元がわずかに上下し、

小さなボタンが夕陽の光を反射している。

ぴょん、と跳んで揺れる制服姿のマコちゃん。


「なに、見惚れてるの?」


制服は見慣れないもので、恐らく彼女の通う学校のものだろう。

紺色のブレザーに白いシャツ、チェック柄のスカート。

スカートの裾が歩くたびに軽やかに揺れ、

その動きが彼女の足取りの弾むようなリズムを視覚化している。

靴は茶色のローファーで、革の表面に夕陽が反射している。

手を振る彼女の周囲では、通りがかりの人々が道を空けている。

まるで舞台の中央で踊る主役を見守る観客のように、

自然と距離を置いて見守っている。

その光景は、彼女が持つ特別な存在感を物語っていた。

美しさというよりも、生命力の輝きとでも表現すべき何かが、

彼女から放射されていた。


「―――キチャッタ(?)」


その瞬間、彼女のスカートの裾がふわりと舞い上がり、

髪の毛が宙に踊る。

彼女の影が地面に落ち、夕陽によって長く伸びている。

その影も一緒に跳ねるように動き、地面の小石や落ち葉の上を滑っていく。

手を振るたびに、周囲の人並みが逃げ道を塞ぐ厚い壁になる。

人々の顔が興味深そうにこちらを見る。

通行人の足音が一瞬止まり、視線が集中する。

おじいさんは眼鏡の奥の眼を細めて微笑み、

若い母親は子供の手を引きながら振り返り、

高校生達はスマートフォンを向けそうになって思いとどまる。

空気の密度が変わったように感じる。

まるで劇場の幕が上がった瞬間のように、

すべての音が一度静寂に包まれる。

そして次の瞬間、ざわめきが波のように広がっていく。


「えっ、ええぇ、ど、どうして?」


自分の声が震えているのが分かる。咽喉の奥が乾いて、

唾液を飲み込む音がやけに大きく聞こえる。

心臓が激しく鼓動し、その音が胸の中で太鼓のように響く。

手のひらは汗でべっとりと濡れ、指先は細かく震えている。


「次の夏までなんて待てるわけない、

それに好きな人を誰かにとられたくない。

昨日ね、そんな夢を見たから、だから――会いに来ちゃった。

本当はクリスマスまで我慢しようと思ってたけど」


彼女の声は、記憶の中と同じ温かい響きを持っている。

言葉の一つ一つが空気を震わせ、耳の奥で優しく響く。

その声の中に、少しの恥ずかしさと、大きな決意が混ざっている。

彼女の唇の動きを見つめていると、

そこから出る息が夕方の冷たい空気の中で薄く白く見える。

話したいことがあるの、とマコちゃんは言った。

その時の彼女の表情は、真剣そのものだった。

眉がわずかに寄り、瞳の奥に強い意志の光が宿っている。

唇は少し引き締められ、頬には緊張による薄い紅潮が見える。

夕陽が彼女の横顔を照らし、産毛の一本一本まで金色に光らせている。

あらゆる物音はそこで死んで、

あっという間に出来上がる綿菓子。忘れな草。

一滴ずつの甘い甘い咽喉の渇きを潤す水滴。

世界が突然静寂に包まれる。

まるで世界が俺と彼女だけの空間になったような錯覚を覚えた。

車の音、人々の話し声、風の音、鳥の鳴き声、

すべてが一瞬で消え去る。まるで巨大な綿に包まれたように、

音という音が吸収されて―――いく・・。


残されるのは、二人の呼吸音と心拍音だけ。

その静寂は不自然なほど完璧で、

まるで時間が止まったようだ。

空気中に漂う細かな塵や花粉が、

まるで時間に取り残されたように宙に浮いている。

夕陽の光の筋の中で、それらが金色の粒子として踊り続けている。


「え・・・あ、お、俺もマコちゃんに話したいことが・・・、

マコちゃんに電話番号やLINEも聞かなかったけど―――」


嘘だ。インスタグラムは知っていたし、

海の家の電話番号だって調べられる。

勇太を頼る方法だってあった。

けれども、本当に自分なんかでいいのか、

一年後まで待つべきなんじゃないか、

そんなことを考えていた。

声がうまく出ない。咽喉の奥が詰まったような感覚で、

言葉が途切れ途切れになる。舌が乾いて口の中に貼り付き、

唇も乾燥してひび割れそうだ。

自分の声が震えているのが恥ずかしく、顔が熱くなるのを感じる。


「じゃあ、とりあえず海行こっ」


彼女の提案は、まるで魔法の言葉のようだった。

突発的だったが、それがマコちゃんだった。

計画性よりも直感を重視し、瞬間の感情を大切にする。

それは俺にはない魅力的な特質だった。

その瞬間、止まっていた時間が再び動き出し、

周囲の音が戻ってくる。風の音、遠くの車のエンジン音、

人々の話し声が一度にどっと押し寄せる。


「じゃあ、海浜公園かな。

でも、マコちゃんの住んでるところと比べたら、全然綺麗じゃないよ」

「そんなのどうだっていい、重要なのは、誰と見るか、だよ!」


彼女の言葉には、迷いがない。

瞳の中に宿る光は確信に満ちていて、その強さに圧倒される。

彼女の笑顔は太陽のように明るく、見ているだけで心が温かくなる。


「そ、そうだね。あと、今日はどうするの?

泊まるところとか、食事とか?」


よかったらうちにと言うべきか言わないべき迷っていると、


「考えてなかったけど、彼氏に甘えるのは?」


いつのまに彼氏になったんだろうという気がしたが、

海の家の仲間と、彼女とではもちろん扱いが異なる。

それに、彼女が恋人ではないんだとしたら、

この一か月の煮え切らないような日々は何だったのだろう?

分かってる、これは女性特有の軽口だということは。

ややもすれば、俺の真意を探ろうとしているのだ、と。

でも、一つだけ間違っている。

彼女は俺の気持ちの成長を計算に入れていないのだ。


「マコちゃん、好きだよ。

いまならちゃんとそう言える」

そう真っ直ぐな瞳で、ハッキリとそう言うと、

「タクに、硝子の燕を返してもらわないとね、

もう、あなたには必要ないものだから」

と、生涯分からない類のことをマコちゃんが言い、

あの日のように小指に小指を絡ませる。





  *



午後五時半。太陽は西の水平線に向かって傾き、

光は斜めに射し込み始める。

空は深い群青色から金色へと変わるグラデーションを見せている。

雲は薄く伸び、その縁が燃えるような橙色に染まっている。

太陽の表面は、直視できないほど眩しく、その周りに光の輪が現れている。

光は大気中の水滴や塵によって屈折し、虹色のスペクトラムを作り出している。

海浜公園の舗装された遊歩道には、長く伸びた影が交差している。

コンクリートの表面には、昼間の太陽熱がまだ残っていて、

手のひらを当てると温かさが伝わってくる。

表面の質感は滑らかに見えるが、

よく見ると無数の小さな凹凸がある。砂粒や小石が混ぜ込まれ、

その一つ一つが夕陽の光を反射している。

ベビーカーの車輪跡、ジョギングシューズの擦れ跡、

それらが微かに残る湿ったコンクリートの表面に、

夕陽が金属的な光沢を与えている。

車輪の跡は二本の平行線となって続き、

その間に小さな石や砂が挟まっている。

ジョギングシューズの跡は、靴底の溝のパターンがくっきりと刻まれ、

その深さから走者の体重や走り方まで想像できる。

湿気はコンクリートの色を濃くし、

乾いた部分との境界線をはっきりと見せている。


海岸沿いの柵は、鉄製の支柱に塩の結晶がこびりつき、

風に吹かれて軋む音を立てる。

柵の鉄は錆びて茶色く変色し、その表面はざらざらとしている。

塩の結晶は白く輝き、まるでダイヤモンドの粉をまぶしたようだ。

風が吹くたびに、金属同士がこすれ合ってキーキーという音を立てる。

その音は海風に混じって、どこか郷愁を誘う。

柵の向こうには、波打ち際が広がっている。

波は規則正しいリズムで寄せては返している。

一つの波が砂浜に到達すると、白い泡を立てながら砂の上を這い上がり、

そして重力に従って海へと戻っていく。

その動きは催眠術のように規則的で、見ていると時間の感覚を失いそうになる。

波は小刻みに寄せては返し、そのたびに濡れた砂がきめ細かく反射し、

橙色の光が粒子のように跳ねる。

砂粒の一つ一つが小さな鏡のようになって、

夕陽の光を反射している。波が引いた後の砂浜は滑らかで、

その表面に空の色が映り込んでいる。

時折、貝殻や海藻の欠片が波に運ばれてきて、砂浜に小さな模様を描く。

松林の縁では、葉の先端が風に揺れ、

その影が地面に網目状の模様を描いている。

松の針葉は細く鋭く、密集して枝に付いている。

風が通り抜ける度にさらさらという乾いた音を立てる。

影は風の強さに応じて激しく動き、

地面の草や砂の上に複雑な模様を描く。

その模様は一瞬も同じ形をとどめることなく、常に変化し続けている。

葉の裏側には、夕陽が透けて、緑が琥珀色に変わる瞬間がある。

光が葉の組織を通り抜ける時、葉脈の細かな構造が浮き上がって見える。

緑色のクロロフィルが光を吸収し、

残された光が温かい琥珀色となって透け出る。

その色は蜂蜜のように濃厚で、見る角度によって微妙に変化する。

幹には苔が薄く張り付き、その湿度が空気の匂いに混ざって漂ってくる。

松の幹の表面は粗いが、苔の部分だけは柔らかそうに見える。

苔は深い緑色で、まるでビロードのような質感だ。

指で触れると、ひんやりとした湿り気が感じられる。

その匂いは土の香りと混じり合って、森の奥深さを感じさせる。


ベンチには、年配の男性がひとり座っている。

男性は七十歳くらいに見える。

白髪混じりの髪は丁寧に櫛で整えられ、

眼鏡の奥の目は優しげだ。

着ているシャツは薄いブルーで、胸ポケットにはペンが挿してある。

ズボンは濃紺で、膝の部分が少し擦り切れている。

靴は茶色の革靴で、長年履き込まれて味のある色合いになっている。

手には文庫本。頁をめくる指の動きはゆっくりで、

風が吹くたびに頁が浮き上がるが、彼はそれを慣れた手つきで押さえる。

本は少し古そうで、表紙の色が褪せている。

ページの端は使い込まれて丸くなっており、

所々に折り目が付いている。彼の指は節くれ立っているが、

頁をめくる動きは丁寧で愛情深い。

風で頁がめくれそうになると、親指でそっと押さえる。

その仕草には、長年本を愛し続けてきた人の習慣が表れている。

隣には缶コーヒー。結露が缶の表面を滑り落ち、

木製のベンチに小さな水跡を残している。

缶はBOSSと書かれた銀色のもので、

表面には細かな水滴が無数に付いている。

その水滴は重力に従ってゆっくりと下に流れ、

缶の底で大きな水滴となって落ちる。

ベンチの木材は経年変化で灰色になっており、

水跡が染み込んで濃い色の輪を作っている。



ひと夏の恋が、俺のつまらない毎日を変えた。

頭蓋骨の空っぽの部分に詰め込んだ、華やかな蝶の群れ、

風に吹かれるたんぽぽ・・。

真っ直ぐに見つめてくるマコちゃんが、優しく俺の手を握る。

手にもつれた細い糸でも握るように、

細く、しなやかな指は官能的でさえある。


いつも彼女のことを思い出していた。

コーヒーカップを口に運ぶ瞬間、電車の窓に映る自分の顔を見る時、

教室の蛍光灯の明滅を感じる時。

彼女の笑顔、声の音程、髪が風に揺れる様子、

日焼けした肌の質感、彼女が纏っていた石鹸の香り・・・・・・。


「ねえ気付いてる、勇太が言ってたけどわたしもそう思う、

実はタクがクラスの隠れイケメンである説」


(?)

遅刻した時の代返か、

昼のごった返した購買部のやきそばパンか?



「そ、それ、全然違うよ」

「じゃあ、雰囲気イケメンである説」



恋人というものは、と思う。

―――彼氏がカッコいいものだと信じたいだけではなく、

知らしめたいものらしい・・・。

真実は何処にでもいるようなモブで、陰キャである。

オランウータンが、イケメンアイドル風にポーズを取れば、

(というネット記事があった、)

拍手やおひねりだってある。

まあ、美の認識は個人の体験に大きく依存するという説があり、

たとえば一般的なイケメンや美人でも、好きではない人がいるし、

場合によっては個人的な偏見が加味されやすい。

団体アイドルの成立の前提に立てば、質より量、

あとはまあなんかよろしくってことなんだろう(?)


いつも思い出していた。

時間の経過とともに薄れるはずの感覚が、逆に研ぎ澄まされていく。

まるで心の暗室で現像された写真のように、

細部まで克明に浮かび上がってくるのだ。

彼女の左手薬指にあった小さな傷痕、話す時の軽やかな手振り、

笑う時に少しだけ見える犬歯の白さ、

瞬きをする際の睫毛の動き・・・・・・。


「でも、誰にもあげない、タクは、わたしのものなんだから」

とマコちゃんが言った。



けどね、マコちゃん、

そう思ってくれるような人間になりたい・・・、

人間の時にある逃げゆく肉や感覚のもろもろの要素が、

吸い込まれてゆく、あの日の夏の海へ・・・。

平凡な海浜公園が、宇宙で最も美しい場所に変貌し、

何気ない夕暮れが人生で最も輝かしい時間となる。

それが恋というものの魔法であり、

青春というものの特権なのかも知れない。

あんまり視野が明る過ぎるブラウン現象だ。

もう一度、いやきっと、何度でも・・・・・・・。



十七歳の彼女でも、

七十歳のよぼよぼの彼女でもきっと、

恋をしたい・・・・・・。

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海の家の作り方 かもめ7440 @kamome7440

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