海の家の作り方
かもめ7440
第1話
画面が暗転から明ける。セピア色の朝の光が差し込む中、
制服姿の少年が歩いている。
「世界は、いつも僕を置き去りにしていく」
少年の足音だけが静かに響く通学路。
桜並木の向こうに見える学校の校舎。
「名前は武藤巧。身長178センチ。
それ以外に語るべきことは―――何もない」
教室の窓際の席。一人静かに本を読む巧の横顔。
「友達? ああ、本の中にはたくさんいるよ」
昼休み、弁当を一人で食べる巧。
周りでは生徒たちが楽しそうに談笑している。
「でも、この夏―――すべてが変わった」
席替えの瞬間。籤を引く手がスローモーション。
隣の席に座る勇太の笑顔
「友野勇太という、まるで太陽のような男との出会いが・・・・・・」
海辺の風景。眩しい太陽と青い空。
そして混乱する巧の表情。
「僕を、地獄の夏へと連れ去った―――」
*
蒸れるような、憂鬱な、暑さ。
まるで巨大な蒸し器の中に放り込まれたような、
湿度七八パーセントの粘着質な大気が肌にまとわりつく。
アスファルトの路面温度は摂氏五八度。
凶暴なファイヤードラゴンのブレス攻撃をうけたような世界が、
眼前にゆらゆらとあてどなく拡がっている。
コンビニエンスストアの軒先に置かれた煎餅の袋は湿気を吸って、
パリパリという食感を完全に失い、
ふにゃふにゃと情けない触感に変貌している。
道路脇のマンホールの蓋は太陽光を受けて灼熱の鉄板と化し、
そこに卵を落とせば確実に目玉焼きができるであろう、
温度に達している。
―――マンホールは、調理器具だったのだ(?)
まぶしく光って見える真夏の街中は、
熱気がこもっているような感じで、陽炎が立ち上り、
遠景がゆらゆらと蜃気楼のように歪んで見える。
気温は体温を軽く超えた三七.五度。
暑すぎ―――る。
熱波に揺らめく空気は光を屈折させ、
すべての風景に銀色の輪郭を与えていた。
まさに暑すぎるという言葉では表現しきれない、
生命体の生存限界に挑戦するような酷暑。
そこではメロンの原形イメージを保持してスイカが生まれ、
あわせ商法として高級な肉(?)
そこへ、水に小石が流されていくような笑い声。
「ほら紗也加、君の瞳に乾杯・・・」
海パン姿の脛毛まで剃っている上半身裸の男が、
競泳選手のように滑らかな肌面を呈している。
その手入れの細やかさは、
おそらく毎朝鏡の前で電気シェーバーを使用し、
数分間をかけて念入りに処理を行っているであろうことを窺わせた。
想像してみると気持ち悪いが、
人類は男女ともに頭部以外の毛を嫌う風潮になりつつある。
体脂肪率八パーセントの引き締まった肉体を持つ彼が、
日焼けサロンで作り上げた小麦色の肌を誇らしげに晒し、
胸筋は大胸筋上部と下部が美しく分離し、
腹直筋はエイトパックに割れ、
広背筋のVシェイプが逆三角形のシルエットを形作っている。
フィットネス雑誌から飛び出してきたような完璧な肉体美。
、、、
だのに。
ゲレンデマジックのように、
罪作りなサングラスマジック。
フレームは艶消しのブラックチタン製で、
レンズには偏光コーティングが施されており、
太陽光を効果的に遮断しながらも、
その向こう側の瞳の輝きを神秘的に演出していた。
まさにサングラスマジックとでも呼ぶべき効果で、
平凡な顔立ちを数段階上のハンサムネスレベルに押し上げている。
そして台無し、勘違いな気障な台詞でパーリィピーポー全開。
、、、、、
ヒュウウウ(?)
まるで昭和時代のトレンディドラマから、
直接引用されたかのような時代錯誤感。
その上、その声音には計算された魅力を込めようとする、
意図が透けて見え、おそらく自宅の鏡の前で、
何度も練習を重ねたであろう抑揚とタイミングが感じられた。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
色々間違っているけど突き進め太陽の勇者(?)
おしっこに行きたいけどお布団から出たくない現象、
コンビニの花はお供え用だって教えてあげたかった、
菊とカーネーションの造花セット、三九八円(?)
眉毛整えて、絶対手鏡携帯しているよね、
そんな彼の手にはカクテルグラス、ノーノー、ジュース(?)
人工着色料で鮮やかなオレンジ色に染められた清涼飲料水。
氷塊が浮かび、ストローが斜めに挿入されており、
グラスの表面には結露による水滴が無数に付着している。
しかしモブはダメージを1受けた。
RPGゲームでいえば、HPが99から98に減少したということだ。
世界の中心には君がいて―――とか。
前世から結ばれていた―――とか。
君に会うために生まれてきた―――とか。
恋愛ゲームの攻略キャラが放つような台詞の数々が、
潮風に乗って俺の鼓膜を直撃する。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
そして日本は何処へ向かっているんですか?
そしてその甘ったるく、しつこい、
おしることティラミスにクリームをたっぷりかけて、
ソテーしたような台詞が血管に直接注入される気持ち悪さを覚える。
点滴静脈注射だ、じわじわと俺の理性を蝕んでいく。
磨かれた鋼鉄のような光輝がほとばしりきったあと―――。
それは実際には、彼の胸元にぶら下がったプラチナ製のネックレスで、
おそらくパチモンか、パチモンか、パチモンだと思うが(?)
すなわち、太陽の心を伝える喇叭。
世界のドラム隊が和太鼓持ち出して、
アマゾンやアフリカの原住民族リズムを、
奏でてしまう―――ところ。
野生のエナジーとかいう曲名をふっと思い出す。
そう、ENERGYだ。
生命力の爆発。若さの暴走。青春の狂騒曲。
「いますぐアフリカンポエムを作ってみて、
でなければ二人いますぐ爆発して(?)」
これは幻聴だ。
「そんな簡単に言っちゃっていいのいいよ今すぐ死んで(?)」
これも幻聴だ、このような言葉が脳内に響く。
爆発という現象は、化学的には急激な化学反応による、
気体の膨張であり、TNT火薬一グラムあたり、
約四一八四ジュールのエネルギーを放出する。
「きゃー冷たい」
これは現実の声だ。
ハッ、と鼻で笑いたくなる。
紗也加とか呼ばれた、長時間の日光浴によって、
肌が小麦色を通り越してダークブラウンに変色するまで焼けた、
肌が黒い海辺ギャル―――が。
甲高い声で応じる。
俺の脳内では今、避難警報が鳴っている。
陽キャの声が、俺の扁桃体を直接殴ってくるのだ。
その紗也加の友達らしき女性がTikTokを撮影してる、
その背後にいる自分が“背景のモブ”として映り込む。
どうしてこんな時リップスライムの、
『楽園ベイベー』を思い出してしまうんだ俺は、
いわゆる一つの浜辺でオナる(?)
そして今日から覚える突入部隊現行犯逮捕(?)
高い声は腹筋がそれ相応に発達していないと、
(―――蝉の腹部を想起してしまう、)
そういう声が出ないと聞いたことがある。
ボカロの高音厨はだから毎日腹筋している―――はず(?)
超音波なのか、破壊声帯の持ち主なの―――か。
モブはさらにダメージを1受けた。
HPはちなみに10しかない。
命の危険を感じるスポット―――海・・。
、、
ふっ、とニヒルな笑みを浮かべる・・・・・・。
口角を片側約七ミリメートル上昇させる表情筋の動きは、
主に大頬骨筋と笑筋の協調収縮によって実現される。
眩しい、若さ、青春、そして命のかがやき(?)
眩しすぎて、知らず知らず猫背になって、欲情の乱れを感じ、
おそろしいまでに異様な抑鬱を感じ、
米津スタイルで前髪を閉ざしてしまう・・・。
だが、俺が眼を細めているのは日光でも、
ここが陽キャの巣窟という夏の海だからでもない。
そっと、ひとり、懐かしい調子で囁こうね、
―――故郷よ、カムバックトゥミイ(?)
俺の名前は、
武藤巧。
絵にかいたような陰キャ高校生である。
本当に絵に描いたら、
十人中九人が何描いてるかわからんという絵心の持ち主。
美術の成績は五段階評価で二。
二と一の明確な違いは、
出席数と優しさではないかと思うこの頃。
デッサン力皆無、色彩感覚ゼロ、
遠近法については義務教育で習ったはずなのに記憶の彼方。
高校では昼休みの休憩時間に一日の自由がすべて集約され、
その休憩時間に空気のように希薄になっている、
男子生徒を想像してみたらいい。
十二時三十分から十三時二十分までの五十分間の透明エレジー。
、、、
あはは(?)
身長が百七十八あることを除けば他に何の取柄もない(?)
そんな奴が―――こんな蜃気楼と落とし穴に満ち充ちた、
絶望的な孤独の砂浜で何してるかというと・・・・・・。
ふっと、海の波のように殺意を覚える声がした。
同い年の、不幸な年齢とは言い難い、陽キャが言う。
駅前で神様のパンフ配ってる宗教勧誘のヒトに、
この陽キャは言ったものだ。
(あ、ごみーん、中国人だから、日本語わかりまひーん)
風景の一場面を―――捲る。まるで漫画のコマ送りのように。
あと、いろいろひどい。
語彙力、思考力、共感力、すべてが底辺レベルである。
「いやー、夏だね、青春だね、ハンティングの真っ最中だね」
、、、、、、、、、、、
そしてやたら滑舌がいい(?)
言語聴覚士の評価なら、
構音明瞭度九十五パーセントの判定を受けるであろう。
「なあ」
「うん?」
「俺はさ、時給はずむ、仕事軽作業、客はほとんどなし、
しずかな環境でのお仕事って聞いたんだけど」
俺の声には明らかに不満が滲んでいる。
約束と現実のギャップに対する怒りが。
しずかな環境でのお仕事ってどこのデスクワークだ(?)
その永劫の朽ち葉ではぼうふらが沸く(?)
ハローワークに書いているインチキブラック企業よりタチが悪い。
「ありゅー?」
あれー、という疑問符を口をすぼめていうから、
ありゅーと聞こえる。
カラオケで英語の歌を練習しながら、
滑舌とは舌の動きのことではないかと気付き、
舌を噛むような、そういう、ありゅー(?)
この信じられないほどの軽さ、どう思います?
世に巣食う軽さ、ヘリウム、ガス、軽さ(?)
「そんなこと言ったっけー?」
「こいつ・・・・・・」
、、、、、、、
ハメやがったな。
「はぁ、早く帰りたい・・」
何で俺みたいな陰キャ高校生が陽キャの巣窟にいるかって、
そしてそこで鯨の陣痛の呻き声みたいな、
そういう溜息しているかって―――いうと、
それは眼の前の友人、友野勇太のせいである。
ほら、どう考えても俺、
アニメや漫画の友達しかいなさそうでしょ?
なんだったら、便所でぼっち飯食べてる系でしょ?
いや待って、言い直させて下さい。
証明写真機をプリクラのように勘違いして、
変顔して撮っている馬鹿のせいである(?)
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
思考の中枢から電源プラグをぷすっと勢いよく抜く。
*
春の朝七時十二分。武藤巧は毎日同じ時刻に家を出た。
電車の時刻表を暗記し、最も人が少ない車両の最も目立たない位置。
運転席から三両目の端から二番目のドア付近に立つことを習慣としていた。
通学路での巧の歩き方には独特の特徴があった。
歩幅は普通より十五センチ短く、
視線は常に地面から二メートル先の地点に固定。
イヤホンから流れるアニメソングのボリュームは、
周囲の音を八割遮断するレベルに調整されていた。
この完璧な『透明人間システム』により、巧は三年間、
通学路で誰とも眼を合わせることなく学校に到着し続けていた。
教室では、巧の存在感は文字通り空気と同等だった。
出席番号二十四番、教室の最後列窓際の席。
まさにアニメの主人公が座るべき特等席を占拠していたが、
そこから発せられるオーラは主人公のそれではなく、
むしろ背景と同化する脇役のものだった。
休み時間になると、巧は机の上に文庫本を立てて壁を作り、
その向こう側でライトノベルを読み耽った。
時々聞こえてくるクラスメイトの笑い声は、
まるで別次元から響いてくる音のように感じられた。
彼等の会話はといえば・・・・・・。
「昨日のテレビ見た?」
「部活どうする?」
「今度カラオケ行かない?」
これらすべてが巧にとっては外国語のように聞こえていた。
昼食時間の巧には、精密に計算されたルーティンがあった。
弁当を取り出すのはチャイムが鳴ってから三分後。
周りの生徒たちがグループを形成し、注意が他に向いた瞬間を狙う。
食事中は本を読みながら、可能な限り咀嚼音を立てないよう注意を払う。
十二時三十五分には食事を終え、
残り時間は保健室近くの人気のない階段で過ごす。
この完璧なスケジュールにより、
巧は一人で弁当を食べている寂しい奴というレッテルを回避していた。
少なくとも本人はそう信じていた。
友野勇太という存在は、巧にとって遠い星のような存在だった。
同じクラスでありながら、まるで別の生物種のように感じられる男。
身長百七十五センチ、体重六十五キロ、
茶髪を軽くセットした典型的なリア充の外見。
休み時間になると彼の周りには自然と人が集まり、
まるで磁石が鉄粉を引き寄せるように、
笑い声と活気がその場所に生まれた。
巧は勇太を観察することがあった。
もちろん直接見つめるのではなく、本の頁を捲るふりをしながら、
視線の端で捉える程度の観察だ。
勇太は話す時に身振り手振りを使い、相手の眼をしっかりと見て、
時には肩を叩きながらコミュニケーションを取る。
これらすべてが巧には高度な社交術に見えた。
二人の間の距離は、物理的には三メートル程度だったが、
社会的には光年単位の隔たりがあった。
勇太が時々巧の方を見ることがあったが、
それは視界に入った物体を認識する程度の視線で、
人間として認識するレベルには達していなかった。
少なくとも席替え前までは。
六月の最終週、担任の田中教師が恒例の席替えを宣言した瞬間、
巧の心臓は通常の二倍の速度で鼓動し始めた。
籤引きによる席替えは、
巧にとって年に数回訪れる人生最大の危機の一つだった。
「武藤、二十四番」
巧が引いたくじには二十四という数字が書かれていた。
教室の座席表を頭の中で瞬時に計算する。
二十四番は前から四列目、左から六番目。
教室のほぼ中央という、巧にとって最悪のポジションだった。
さらに運命の悪戯は続いた。
「友野、二十三番」
勇太が巧の真横の席になったのだ。
この瞬間、巧の『透明人間システム』の目論見は完全に破綻した。
隣の席にいるのは、クラス内カースト上位に位置する友野勇太。
もはや空気として存在し続けることは不可能だった。
最初の一週間、巧は極度の緊張状態で過ごした。
勇太の存在があまりにも強烈で、
まるで太陽の隣に座っているような感覚だった。
勇太が友人達と談笑する声、机を叩く音、椅子を引く音、
これらすべてが巧には雷鳴のように響いた。
しかし、三日目に転機が訪れた。
「よ、隣の人」
勇太が初めて巧に声をかけたのだ。
その瞬間、巧の思考回路は完全にフリーズした。
三秒間の沈黙の後、かろうじて、
「あ、はい」という返事を絞り出すことができた。
「君、いつも本読んでるよね。何読んでるの?」
この質問から、二人の奇妙な友情が始まった。
巧が読んでいたのはライトノベルの最新刊だったが、
それを正直に答える勇気はなく、
「えーっと、小説です」と曖昧に答えた。
「小説か―――俺、本とか全然読まないんだよね。すげーな」
勇太の素直な反応に、巧は内心で驚いた。
陰キャと馬鹿にされると思っていたが、むしろ感心されている。
この日を境に、二人の間には少しずつ会話が生まれるようになった。
勇太との友情は、巧にとって人生初の体験だった。
休み時間に話しかけられること、
昼食時に「一緒に食べない?」と誘われること、
放課後に「ちょっと寄り道しない?」と声をかけられること。
これらすべてが巧には奇跡のように感じられた。
しかし、巧は気づいていなかった。勇太の真の性格を。
勇太は確かに人懐っこく、社交的だった。
しかし同時に、極度に楽観的で、計画性に欠け、
相手の気持ちを深く考えることができない性格でもあった。
彼にとって巧は面白い友達であり、ちょっと変わった奴であり、
そして何でも付き合ってくれる便利な存在でもあった。
「巧、今度の夏休みさ、俺の親戚の海の家手伝わない?」
この提案が出た時、巧の脳内では警報が鳴り響いた。
海の家、つまり海辺、つまり陽キャの聖地。
しかし勇太の説明は巧の不安を和らげるものだった。
「時給もいいし、仕事も軽作業だよ。
客もそんなに来ないし、静かな環境で働けるから、
巧にピッタリだと思うんだ」
これらの言葉は、
後にこの夏最大の嘘として巧の記憶に刻まれることになる。
*
そして現在。
武藤巧は灼熱の砂浜に立ち、人生最大の後悔と向き合っていた。
約束された静かな環境は、片鱗すらなく、痕跡すらなかった。
サーフミュージックとビーチボールの音と女子高生の嬌声が、
入り乱れる騒音地獄。
そしてこれから軽作業は、六十度を超える鉄板での焼きそば調理と、
十五キロの氷を運ぶ重労働を目の当たりにすることにある。
そして客がそんなに来ないとは、開店から二時間で百人以上の客が、
押し寄せる大盛況ぶりによって粉々に打ち砕かれた。
ここまで粉々に打ち砕かれるとすれば、
それはもうダイヤモンドダストである。
巧の前では、上半身裸の陽キャ男性が君の瞳に乾杯という、
昭和的台詞で女性をナンパし、その女性たる紗也加の甲高い笑い声が、
巧の精神的HPを確実に削り取っていく。
そして日本一軽い男のように、
「ありゅー? そんなこと言ったっけー?」
と、勇太の軽薄な返答を聞きながら、巧は深い溜息をつく。
彼の夏休みは、まだ始まったばかりだった。
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