わたしは一生、怯え続けるのだろうか。知らない人の、たかが足音に。

三ツ稀みつき!」

 上空から聞き慣れた声がして顔を上げると、陰になった黒い塊が降下してくるのが見えた。

 そこにハッキリと映った赤い黒眼くろめ

 それを捉えた途端、ようやく深い海の底から浮かび上がれた気がして、こみ上げてくる何かを下唇を噛んでこらえながら叫んだ。

「プライベートで魔法使ったら、怒られる!」

「人命救助! 電話口で死にそうだったろ!」

 ふわりと音もなく着地した流風るかは、すぐさま持っていたペットボトルを投げて寄越した。

 受け取ったお茶の温かさは、いつもの自分を取り戻すのに十分な温度で、わたしは腰に手を当てて勢いよくそれを飲んだ。

「なんだ、元気じゃん」

 流風は歩道に置かれていたベンチに音を立てて座った。

「謂れのないことで、人生の一部を棒に振らなきゃならないことに、だんだん腹が立ってきて」

「ふぅん。で? 『いた』って、あのスナイパー?」

 流風は前屈みになってわたしを見上げた。

「うん。足音だけだけど。木ノ下きのした先輩のお得意さんだった。ペット用品の会社の社長さんだって」

「顔、見た?」

「見た。でも知らない人だった」

 流風は腕を組んで、うつむいた。

 わたしは、【竹崎さん】の怯えた目つきを思い出していた。

「ほんとにあの人が、矢尻を投げたのかな」

「スナイパーのこと、許す気になったん?」

「そうじゃなくて。あの人、りーちゃんよりも年上っぽかったから」

「じゃあ、尚更じゃん。体が老いれば魔法も老いる。あのスナイパーの魔法は粗雑で、持続時間も短かった」

 そうなんだけど、どうも引っかかる。 

 確実に言えることはただ一つ。

 彼女はわたしを知っていた。

「名前も聞いたし、実家で資料漁ってみようかな」

「あとで、詳細メッセージで送っといて。俺も調べてみる……ん? 何か付いてるぞ」

 指摘された通り手首をひっくり返してみると、スーツの袖の隙間から、腕に色がついているのが見えた。袖を捲りあげると……すっかり忘れていた。

「あぁー、電話した時、意識飛びそうだったから、つねってたんだった」

 ヘラヘラと笑うわたしに、流風が渦を巻くみたいに息を吐く。

「加減って知ってます?」

「道の途中で倒れたら、洒落にならんでしょうが」

「ばぁか。やりすぎだっつーの」

 流風は、帆布製のボディバッグから湿布を取り出して、青紫色に内出血を起こしたわたしの腕を取った。

「自分を痛めつけるの好きだねぇ。マゾだろ」

 悪態をつきながらも、優しく丁寧な手つきで湿布を貼ってくれる。

 黒い前髪の隙間から見える、下向きに揃ったまつ毛は彼によく似合っていて、思わず見入ってしまった。

 流風が視線を上げた。目が合った。彼は特に何の反応もせずに言った。

「手当の魔法、しとく?」

わたしは髪を揺らして首を横に振った。

「来てもらった上に悪いし。いい。ありがとう」

「いや、俺も、あぁ言った手前ね……」

 わざわざ袖をおろしてくれて、立ち上がる。

「そろそろ戻るわ」

 その一言に、わたしは瞬きを止めた。

 戻る?

 どこに。

 次の瞬間、サーッと青ざめた。

「ごめん。ごめん、ほんと……」

 五分っていうから、近くにいるんだと思ってた。電話に出たから、休みか休憩中なんだと思い込んでた。

 だけど、彼が身につけているボディバッグは、魔法使手まほうしてが仕事中に携帯している防災バッグのようなもの。

 すぐに気づくべきだった。叔母は優しいけど、仕事には厳しい人だ。説教、反省文、謹慎……何が待ち受けているか分からない。

「サイアク……ごめん、考えなしに呼びつけた」

 冷や汗を流すわたしとは対照的に、流風は平然と、ウインドブレーカーのポケットに両手を突っ込んだ。

「別に。遠慮されて、知らんとこで倒れられても、メーワク」

「魔法まで使わせた」

「いいよ。許可証取り上げレベルのことやった訳じゃないし」

「わたし説明する」

「だーかーら。三ツ稀は気にするなって。俺の意思で来たんだから。そっちも早く戻れよ」

 背を向けかけた流風は、「あぁ」と、振り向きざまに言った。

「やっぱ、メッセージいいや。今日の帰り、うちまで送ってく。そん時、聞くし。俺、遅くなると思うから、残業でもしといて」

 説教は確実なんだろう。

 上手く言えないけど、毎回、申し訳なさだけじゃない、複雑な気持ちが同時に顔を出す。

 で、わたしが言えることはいつも一緒。

「ありがとう」

 流風は長い舌をチロリと出し、「【貸し】な」と言って、駅に向かって走って行った。

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