4
「言った傍から、何なのアンタ」
「必要なことを伝えただけだろ」
「あのね、
ティッシュの上に恭しく置かれた、大量生産の爪楊枝を凝視する。
ヨーロッパ調の刺繍カバーが掛かったソファに深く腰掛けて、叔母はこめかみに指先を当て、眉間の皺を深くした。
「技術指導ができるのは、魔法協会に属する五家だけ。誰? こんな粗雑な魔法を教えたの。それにしても、なんで三ツ稀が……」
三日月型のスタンドライトの灯りを睨むように見ていた叔母は、ふっと鼻で息をついて眉間の皺を解いてから、正面の人物に向き直った。
「この話は一度預かる。今日明日で結論が出ることでもなさそうだし。さて、ルカくんだっけ」
魔法でも使ったのかと思うような早業で、ルカとやらが背筋を反るくらいに正す。
「今、
「二十三です」
「どこかで働いてるの?」
「昼間はコンビニと配達、夜はバーテンやってます」
「魔法を使って働いたことは?」
「許可証を持ったことありません」
「そう……じゃあ、志望動機は? 知ってるかしら。この世界、基本給低いし歩合制だし、長く続けられる保証もないの」
輩が殊勝に頷く。
「正直、これを仕事にするつもりはなかったんです。でも最近、ニュースでリリアさんのことを見かけまして……で、まぁ、なんですかね。人のためになる仕事ってのも、いいのかなぁと思い始めまして」
「そう」
ここを去っていった何人もの女の子たちが口にしていたのと同じ台詞は、叔母の心を果たして動かすのか。
彼女は柔らかそうな頬に手をついて、相手の脳内を照らし出すような光を目に灯した。
「で、誰に教わったの?」
窓の外で、北風小僧が音を立てて走り去った。
「完璧な透明の魔法が使えるってことは、ちゃんとした所で訓練してきたってことでしょ。資質だけじゃ、特に高度魔法なんて発動しないもの」
「いや、あれは、そうじゃなくて……」
「きっと、あそこで魔法を使うつもりなんてなかったのよね。魔法を操る者の使命感だけで反射的にやってくれたんだと思う。ありがとう。でも」
叔母の肉食獣のような視線に気圧されて、男の体が凍りつく。
「わたしの知る限り、登録されてる男性の現役魔法持ちはいない。その眼も」
赤い
「いくら、成長と共に徐々に赤くなるからといって、ご両親が気づかないなんてこと、あるのかしら」
ルカが他の言い訳を探して、何度も唾を飲んだのが分かった。
叔母はソファの背もたれに体を預けて、時間をかけて腕を組んだ。
「まぁ、このことについて、今は問わないでおきましょう。悪用してきたようには見えないし。で? 五家のどこ?」
「えっと……」
「いつから?」
「あの……」
「誰に?」
両手で顔を覆い、背中を丸める男をニヤニヤしながら見ていると、叔母にデコピンをかまされた。しばらく、必死に何かと葛藤してるような青年のつむじを見ていると、指の隙間からほんの小さな声で「は、は……に……」という言葉が聞こえてきた。うつむいたままの顔を、向かいの席から覗き込む。
「歯に?」
「何でだよ。母に、だ」
今までの殊勝さが嘘みたいな、この態度の差。わたしは口を半開きにして、弾みで顔を上げた男を睨みつけた。
叔母が少し間を置いて、さらに尋ねる。
「お母さまね。お名前は?」
ここでまた無言。最早、放送事故だ。
だいぶ時間を稼いでから、彼は額の汗を拭い、絞り出すようなか細い声で言った。
「……サエコ、です……」
「サエコ……」
叔母は、一度閉じた大きな目をゆっくり開けてから聞き返した。
「もしかして……
ルカは、ダンゴムシにでもなるんじゃないかと思うくらいソファの上で真ん丸く縮こまって、わずかに頷いた。
叔母の、息を飲む気配がした。
「あなたもしかして
深山は
それにしても、レアが渋滞し過ぎると驚けないんだな。
案外、冷静にその事実を受け止めて、叔母を見上げる。
「リーちゃん、知ってたの?」
「そういえば、三ツ稀と同い年の息子さんがいたなぁ、くらい。
叔母は片手で前髪をかきあげ、巨大迷路で迷ってしまったみたいな、途方に暮れたため息をついた。
「
ソファを滑り落ち、カーペットの上にうずくまった流風を見下ろす。
「違います。三年前には家を出ていました」
「深山のおじさまには?」
「会ってないし、連絡も取ってません」
「そう。わたしも彼女が亡くなってからは疎遠になってるからなぁ」
叔母は、脱出方法を何パターンも考えるみたいに、ブツブツとひとりごちながらこめかみを何度か指で突ついていたが、諦めたように息をついて、今や見る影もない、深山の一人息子を見下ろした。
「
「リリアさんのことは、尊敬してます。本気で。昔から」
「……ま、いいわ」
叔母は、腕をうんと伸ばして背伸びをし、ソファから立ち上がった。途端、イテテテと眉をしかめて膝をさする。
「もう、いやねぇ。あぁ、流風くん。正式に雇うにはちょっと問題があり過ぎるから、見習い(お試し)って形で雇うことにしましょう」
流風は幾ばくかの光を見つけたみたいに、目を見開いて顔を上げた。
「その代わり、うちで
傍らに置いていたA4トートバックに書類を残らず詰め込んで、叔母はわたしたちに小さく手を振った。颯爽と去っていくその後ろ姿を見送りながら、流風から羨望のため息が漏れる。
「何だかんだでカッコいいな」
大変遺憾だが、同意。
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