個性は孤独

 自分にはこれといった自認し他者にアピールするほどの個性なく、強いていえば多少口が達者というかラジオが好きで喋りたがりなところが時としてあるくらい。

 高校時代に演劇をしていたというのはエピソードトークとして使いやすいこともある。

 とはいえ、じゃあ誰かと比べて個性があるかと問われれば、ないと答えてしまう。

 

 学校教育において僕らは平均的になるよう能力パラメーターを調整されていく。

 その中で各々好き嫌いや得意不得意を認識しようやく個性に近いものが形成されていくが、その個性というのはごく一般的な社会においてはなんとも使いづらいもので、結局のところ頭抜けた能力よりも代替可能な平均ステータスのほうがいじりやすく動かしやすいのだ。


 もちろん僕自信それは面白くないと思うが、指揮をする立場になった時に個性の強さが扱いづらいことも理解している。

 英語は堪能だが暗い、元気よく挨拶はできるが敬語が不慣れ、賢くすぐに回答をだすが伝達不足、なんでもこなしてくれるが独断専行。

 こんなにぐちゃぐちゃになると指揮する側としては頭が痛くなる。


 個性が武器になるのは先頭に立つ人間や表現者、自分でなにかを作るタイプのクリエイターに多い気がする。

 現在では十年二十年前よりも個性をだしやすい環境になったが、逆にいえば小さいコミュニティでは個性でも日本全国規模では大したことないとされることもある。


 そして、個性は孤独に繋がる。

 多くと違うということはそれだけ共感も減るわけで、理想とする反応は返ってこない可能性が高くなる。

 それを武器になるようにすれば、その独自性にひかれる人も増えるが、半端な個性をもちながら周りの共感も得たいというのはどっちつかずで一番多いタイプとみえる。

 

 個性を得るなら孤独に耐えなければならない。

 理解されるのは遠い未来かもしれない。

 共感されたいなら個性を求めていては難しい。


 不思議なことに周りが同じような反応をしていることを、ある意味での神視点から見えてしまうとこんな風にはなりたくない。もっといろいろ知識を深めて考えようだなんて思うことがあるものだ。

 しかし、それもまた没個性の中にそれなりの頻度で現れる人とは違う視点をもっている自分を他者から認識されたいという中二的現象に過ぎない。


 前提において、個性がないことが悪いわけじゃない。

 集団に属することは生物が生きる上で大事なことで、実際いまでもそういう部分がある。

 個性的でありたい、人とは違う存在でありたいという、願望が漏れ出てしまうとそれは中二に見える。

 本当の個性とは、みた瞬間に異質で魅力的で憧れるような、その逆で異物感があって怖くて生理的に受け付けないような、圧倒的オーラがあるもの。

 

 そもそも、本当に個性的でありたいのかどうか、自分自身に問いただすところから始めるべきかもしれない。

 

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創作をしながら観る世界 ささみ @experiments1998

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