第17話 絵の具

「彼女も、まちのこと好きなの?」

「え? あぁ……たぶん」

 質問で返した私に対し、まちの答えは歯切れが悪い。

 前髪の長い部分をいじりながら、まちは居心地悪そうに自分の靴の先を見つめていた。

 昼休み終了のチャイムが鳴って、私たちの間を裂く。清掃の時間になったので、私は自分の分担の講義室へ向かった。

「じゃあね、まち。あんまり、暗いほうへ考えないで」

「うん。大丈夫」

 微笑を見て少し安心したけれど、繊細なまちのことだから、思い詰めたら壊れてしまいそうで、心配だった。

 長い間、本当の恋をしたこともないのに、「恋」をテーマに絵を描いている自分が、たまらなく滑稽に思われた。

 まちといっしょでなくても、私はコーダに足を運ぶ。コンクールに向けて絵を描いているから、絵の具の減りは通常よりも早かった。色を塗っているというよりも、大食いの生き物に餌を与えているみたいだ。同じ色ばかり喰らうそれは、もしかしたら、私の自意識の分身なのかもしれない。

 化け物みたいだと怯えながらも、私はそいつに餌をやらないわけにはいかない。思春期終了間近の断末魔を、きれいな形で封じ込めるには、この絵を完成させるしかないのだから。

 古い洋楽が微かに流れている店内に足を踏み入れたとたん、私は、異世界に迷い込んだような不安で、一瞬くらっとする。まちといっしょなら、彼が傍らにいる安心感で、それほど動揺しないですむのだが、一人だと、この店の個性に呑まれてしまいそうになるのだ。

 物静かな店主は一人、店の奥で棚の整理をしていて、入店した私のほうを振り返りもしなかった。

 あまり話しかけられても疲れてしまうので、こういう店では、放っておいてくれるほうがありがたい。私は、自分の絵の欠けている部分を補うため、必要な画材を探して回った。

 カーマインとネーブルオレンジがなくなっていたから、一本ずつ補充しておこう。筆もやっぱり、もうワンサイズ上のものを使ったほうが、淡い色を広げやすい。今度写生に行くときのために、スケッチブックも買っておこうかな。そんなことを考えながら、狭い店内を見て歩く。棚と棚の間隔があまりあいていないので、移動するのがたいへんだ。猫のようにしなやかにすり抜けていく、まちみたいになれたらいいけれど。

 必要なものをすべてカゴに入れて、レジに持っていったら、品岡さんが顔を上げた。棚の整理を終えた後は、いつものように、椅子に座って美術関係の雑誌をめくっていたのだ。私と目が合うと、彼は「あぁ」という顔をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青色のまち @nana-yorihara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る