青色のまち

@nana-yorihara

第1話 青い絵の具

「青が、なくなった」

 肺を片方取られてしまったような顔をして、まちが言う。

 銀色のアルミのチューブに入った絵の具を一本使い切った、ただそれだけのことなのに。まちは、空と海を同時に失ったように悲しそうな声を出すのだ。

 彼にとって、青は特別な色らしい。絵を描くときだって、青い色ばかり使っている。 そういえば、まちの絵はいつも青い。 誰かが注ぎ込んだ涙が、常にすみずみまで溢れかえっているみたいに。

「青いね」

 私が率直に感想を述べると、

「海の底なんだ」

 と、まちは淡いブルーを帯びた声で答えた。

 彼は今、四階の空き教室の窓から見える中庭と、その向こうの校舎を描いている。

 指の先でつんと押せば爽やかな音色を奏でそうな青空の下、何もかもそれぞれの色彩で輝いているのに、まちにはどれも、寂しい青に見えているらしいのだ。青い空気に覆われて息を止めているような景色が、彼の細い指から、キャンバスの上に生み出されていく。悲しい色に支配されているその風景は、じっと見つめていると、平面の世界からこちら側へ流れ出してきそうだった。

「まち」

 マ行の最初の文字に、タ行の二文字目を足してできた、可愛くて不思議な名前を私は呼ぶ。自分の絵に色を重ねていくのも忘れて、彼の手元に見入っていた。 「ん」  まちは、鼻と喉の間で返事をする。

 風通しがいい場所なので、まちの淡いバター色の髪は、さらさら揺れていた。 「青、私の、貸そうか?」

 もっと早く口にすべきだった言葉が、今ごろ出てきた。

「ううん、いい。秋さんのがなくなっちゃうから」

 僕は青を使いすぎる、とまちは認めた。

 好意を受け取ってもらえなかったのに、私は少しも気まずい思いをしなくてすんだ。彼が言うことはもっともだったから。

「また買いに行くよ、青」

 まちは、代わりの色をパレットに絞り出すこともせず、青く染まった筆を洗い始めた。

 ーーいっそ、あなたの中にある青い色を水に溶いて使えばいいのに。

 私は、うっかり漏らしそうになった言葉を押しとどめて、自分の絵に使う向日葵色の絵の具を探した。

 青い色を使い切ってしまっても、やっぱりまちは、深い海によく似た雰囲気を持っているように見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る