32 イベント-1-
スタイリストさんに、髪を整えてもらった。
慣れないセミショートヘアに、私は少し戸惑い気味だけれど、響哉さんがやたらと褒めてくれるので、なとなく『これもいいか』なんて気分になってしまう。
――私って、かなり単純。
「乾かすときには、こんなふうに、引っ張りながら上から風を当ててあげると落ち着くから。
こんな感じでどうですか?スドーさん」
「ありがとう、カナちゃん。
朝早くから。
助かったよ」
「とんでもないですっ。
いつでも声を掛けてくださいねっ」
オレンジ色の髪をかきあげながら、カナさんが照れた笑いを浮かべるだけで、心臓がキュンと痛むなんて……。
私って、ちょっと、響哉さんに対して独占欲が強くなっちゃってるのかしら。
「朝食にしようか?」
カナさんを見送った後、まるで私の心を見透かしたように甘く笑って、短くなった髪を撫でながら響哉さんが笑った。
歩きながら響哉さんが聞いてくる。
「そういえば、昨日はどうして急に実家に帰りたくなっちゃったの?」
真綿を思わせる柔らかい声だけれど、その奥にしっかり包み込んだ鋭い針のような尖った気持ちが見え隠れする。
「絵を、描いてたの。
でも、どうしてもパパの顔が思い出せなくて――。
佐伯先生に頼んではいるけれど、あるかどうかわからないでしょう?
ほら、お父さんなら絶対にパパの写真を持っていると思ったから」
「真一の――ねぇ」
響哉さんは、尖った気持ちが消えたのか、ふっと息を吐いて呟いた。
「あ、でも結局お父さんにはまだ言ってないの」
「どうして?」
響哉さんは歩みを止めて、私を見下ろした。
私は一瞬言いよどんだ後、口を開いた。
「――お父さんを傷つけそうで」
響哉さんはくしゃりと私の頭を撫でる。
「大丈夫。
啓二くんのことは良く知らないけど、マーサを見てれば分かる。
そんなことで、傷ついてめげるような人たちに育てられた子には見えないよ」
でも――。
うちには遺影も無い。
私が事故のショックで、両親のことを大半忘れ去ってしまったこともあって、あの家で実の両親の話題が出てきたことなんて一度もなかった。
弟なんてきっと、私が姉でなくて本当は従姉(いとこ)だなんてこと、知らないに違いないわ。
なのに、今更――。
パパの話題なんて、言い出しづらい。
「響哉。
そろそろ、葛城ちゃんが血相変えて迎えにくるんじゃない?」
立ち尽くしている私たちに、軽い口調で言葉を投げてくれたのはもちろん、佐伯先生。
いつもと違ったカジュアルな服も、これまたよく似合っている。
「――ねぇ。
先生と響哉さんって、本当に身長同じ?」
どう見ても、先生の方が低く見える――。
二人は顔を見合わせた。
最初に口を開いたのは佐伯先生。
「ミリ単位で言えば違うかもしれないけど、結構近いんじゃない?
こう見えても、俺は影ですから、普段は猫背で過ごしてるの」
――じゃあ、本当の佐伯先生って、どんな人なの――?
姿形を偽って、必要とあらば響哉さんそっくりになれる、なんて――。
須藤家の闇の一端を見た気がした。
「で、朝食どうすんの?
響様、待ってるみたいだけど」
先生は眼鏡の奥の瞳を、いっそ楽しげに細めて響哉さんを見た。
響哉さんは一瞬、あからさまに憂鬱そうな表情をしたけれど、その瞳を私に向けてふわりと笑った。
「行くに決まってるじゃない。
報告しなきゃいけないこともありますし。
ねぇ、マーサ」
「おや、そうなんだ」
……えーっと。
ものすごく意味ありげな笑いを浮かべてらっしゃいますけど。
こういうとき、私は何て言えばいいのかしら――。
どう答えても、先生を悦ばせて、響哉さんをがっかりさせそうな気がして、困ってしまう。
「俺の代わりに準備してくれる?
婚約パーティーの」
「いいよ」
先生は嫣然とした笑みを浮かべた。
「それはもちろん、須藤響哉になりきって、婚約者と一緒に色々と周ればいいってことだろう?」
うわぁ。
私の肩に当たり前のように手を回そうとするのはやめてくださいっ。
私は慌てて響哉さんの背中に隠れる。
「じゃあ、止めた。
マーサ。
婚約パーティーは夏休みに開いてもらおうか?
それなら、6月の間に俺が準備できるし」
「……その、婚約パーティーってなぁに?」
「気にすることはないよ。
ただのちょっとしたイベント」
響哉さんは軽く言い切る。
「そう。
政財界の人間を中心に数百人を招待して、フィアンセを披露するって言うね」
佐伯先生がそれに続いて説明してくれた。
いやいやいや。
規模が大きすぎて、想像が出来ないんですけど、そういうの。
――どうしよう。
結局、朝食の席で、響哉さんは淡々と、あくまでも事務的に私との婚約パーティーの準備を始める旨を、響さんに伝えていた。
「あら、素敵じゃない。
婚約パーティーなんて。私なんて夜逃げした人間だから――。
そういう日の目のあたることには縁がなかったな」
さっぱりきっぱり、響さんはそう言い切った。
「真朝ちゃん、素敵な式にしましょうね。
私、テンション上がっちゃうなー」
響哉さんは何も応えず、部屋から黙って出て行った。
――胸が痛くなる。
折角、親がいるんだから、仲良くすればいいのに――って、余計なことを言いたい自分が現れる。
人にはそれぞれ事情があるし、私の想いを押し付けることなんて出来るわけ無いのに――。
それでも。
折角母親が居るのに、まともに言葉も交わせない響哉さんは、間違っている気がして仕方が無かった。
「何、その余計な気遣い」
苦笑してばさりと言い捨てたのは、朝食後、半ば強引に私の心の内を聞き出した佐伯先生だった。
ちなみに、響さんは『パーティーと言ったらドレスよね』なんてひとりごちながら、朝食後すぐにどこかに出かけてしまった。
「余計ってことはないでしょう?
響哉さんは長い間母親の顔も名前も知らずに過ごしてたみたいだし……。
だから、すれ違うのは分かるけど。
どうしても、もったいなく思っちゃうんです」
私は、一度話した心の内を、もう一度角度を変えて告げてみた。
「だったらそう言ってやればいいじゃん」
「でも、それって私に両親が居ないから――。
その想いを押し付けることになりません?」
「押し付ければいいじゃない」
先生はきっぱりそう言い切った。
「そういうのをエゴっていうんじゃ……」
「あのね」
広すぎる須藤家の庭で、紫煙を吐きながら、先生は眉間に皺を寄せる。
「結婚相手にそこまで気を遣ってどうすんの。
誰だって、その思考回路は生き様に左右されているに決まってるじゃない。
真朝ちゃんがそう思うなら、そう言ってやればいい」
「でも、先生は知ってるんでしょう?
響哉さんと響さんの確執は根深いってこと――」
「知ってるとも。
それを全部話すとちょっとした昼ドラを見ている気分になれるぜ」
「だから。
なんとなく想像できるから――。
私は響哉さんの考えを尊重したいんです」
「じゃあ、そこまできちんと言ってみれば?
ねぇ、最初からそんなに遠慮してどうすんの。
それに、そうは見えないかもしれないけどアイツ、真朝ちゃんの倍以上生きてるんだから、少しくらいは、包容力ってもんがあると思うよ」
――いや、ないか。
と、最後に付け加えて苦笑を浮かべるあたり、あまり説得力はないけれど。
先生の言いたいことはなんとなく分かる。
「でも、ちゃんと気を遣いあってないとちょっとすれ違っただけで大崩壊する事だってあるじゃないですか」
「何それ。
昨日のカルロスの言葉を気にしてるの?」
先生は短くなった煙草をケータイ灰皿に入れながら、ため息をついた。
「カルロスの言葉だったり、梨音と響哉さんの確執だったり――。
色々です」
「はぁ、それはそれは」
くしゃり、と。
響哉さんの真似をするかのように、佐伯先生が私の頭を撫でた。
「お嬢様は、四方八方に思考を巡らせなきゃいけなくて、大変だねぇ」
先生はにやりと形の良い唇をゆがめた。
「でも、俺に言わせれば、そんなの全部捨てちまえって話だよ」
「――え?」
「そんなに良い子を気取ってどうすんの。
響哉ほどワガママなのは人としてどうかと思うけど、さぁ――。
真朝ちゃんの場合は、もっと、自分の考えを押し付けたほうがいいと思うよ。
今なら何を言ったってやったって、若気の至りで許される時期だし。
躊躇いを知るのは、早過ぎるんじゃないかな」
「先生は、躊躇いなんて言葉とは無縁そうですね」
私は相談相手を間違えた気分になって、軽くため息をついた。
「もちろん、響哉の辞書にもそんな文字は無いぜ」
「――でしょうね」
「だから、真朝ちゃんも捨てちゃえば?
そのくらいで、響哉と仲たがいするとは思えないし」
先生はそこで言葉を切って、唐突に顔を近づけてくる。
「……な、何ですか?」
私は慌てて一歩後ろに退いた。
「いや、別に。
これから、親戚になるっていうのに、先生だなんて呼び方、他人行儀な」
先生はそう言うと、お屋敷に向かって歩き出す。
「どうしても響哉とこじれたら、俺が代わりにもらってやるよ」
風に乗って届いた小さな呟きは、およそ、冗談だとしか思えなかった。
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