15 記者会見-3-
「消せよ。その続きは聞きたくない」
閉まっていたカーテンが開いて、響哉さんが顔を出した。
可愛らしい寝起きの顔になっているから、今まで本当に、寝ていたのだと思う。
テレビ画面で見ていた人が、急にそこに現れて、私の心臓は何故だかばくばくと大きな音を立てていた。
今、初めて逢ったわけでもないっていうのに。変なの。
「えー、これからが面白いのに」
冗談めかして佐伯先生が言う。
「どうせ、自分じゃ何も出来ない奴らが、好き勝手言ってんだろ。馬鹿馬鹿しい」
響哉さんが言い捨てる。
「へぇ。
意外と打たれ弱いんですね。誰が何ていっても我が道を行くタイプなのかと思ってました」
刺々しい声を出したのは、梨音。
響哉さんは、ベッドから足を下ろし靴を履きながら苦笑を浮かべている。
会見と同じ、スーツパンツと、白いシャツ。
ジャケットはきっと、どこかにかけているに違いなかった。
「大人になったら、そればっかりじゃ生きていけないんだよー、梨音ちゃん」
その口調は幼い子供を嗜めるようなもので、梨音は余計に頬を紅くして怒っている。
響哉さんはそれを尻目に、遠慮も躊躇いも無く、私を腕に抱き寄せた。
「……きょ、響哉さんっ?」
まさかの展開に動揺が隠せない私は、声がひっくり返ってしまったほどだ。
「今日はフラッシュバックも起きずに、無事に過ごせたみたいだね」
良かった、と、相好を崩す。
今、テレビの記者会見で見た人が、その画面で見せたのと同じ端麗な容姿で、私を抱きしめているかと思うと、夢の中にいるかのようなふわふわした気分になってくる。
「磯部さん。
これって、金儲けのチャンスだと思わない?」
響哉さんの抱擁を半ば呆然と眺めていたであろう佐伯先生が、不意に唇を開く。
「そうですね、写メってマスコミに売りますか?」
「違うって。
マスコミに売ると見せかけて、その3倍の金で須藤に買い取らせるの」
「私、乗ります」
遠慮なくそんな会話をする二人。
「もてないもの同士、ひがまない、ひがまない」
響哉さんは勝手に私の頭にキスを落とすと、恥ずかしさのあまり呆然として言葉も出ない私から、ようやく手を放してくれた。
佐伯先生は呆れたような舌打ちをする。
「あのな。
お前、本当に自分の年齢わかって言ってんの?
いくら、アメリカじゃ東洋人は若く見えるって言われているとしてもなぁ、ここはれっきとした日本。
30代半ばのおっさんが、制服姿の女子高生を抱きしめていたら、高確率で犯罪の可能性大だぜ?」
「それに、真朝固まってるじゃないですかっ。
それでなくても、キス恐怖症なのに。
もう、なんてことするんですかっ」
梨音はそう言うと、大丈夫ー? と、私の目の前で手を振ってくれた。
「あ、……梨音、ごめん。
ありがとう、大丈夫だから」
私は消え入りそうな声で言うのが精一杯。
「真朝はキスが出来なくて、初彼と別れたくらいなんですから」
私の代わりに、主張してくれている。
「大丈夫だって、梨音ちゃん。
他の男とキスできなくても、俺とだけはキスできる子にしてあげればいいだけでしょう?」
自信たっぷりに響哉さんが言う。
そうして、唖然としている梨音を尻目に、大きな手のひらでがしりと私の頭を掴むように撫でた。
「それに、俺とマーサのキスシーンはどっちみちご披露しないといけないし。結婚式で。
だから、人前でキスできるように練習しようね、マーサ」
梨音に言うのと同じような、小さな子供に喋りかける口調を引きずったまま、響哉さんがとんでもないことを言い始める。
「どうでもいいけど、今すぐここから出てってくれない?
歯が浮く、砂を吐く、眩暈がする」
佐伯先生が、頭を抱えながら吐き捨てるようにそう言った。
「はいはい。
マーサ、行こうか」
響哉さんが遠慮も躊躇いも無く私の手を掴む。
「……響哉さん?」
廊下を出たら、他の人に見つかっちゃう。
私は慌てて手を振りほどく。
「本当に照れ屋なんだから。でも、そういうところも可愛いよ。
いいよ、ついておいで」
それから、くるりと佐伯先生を見た。
「今日はじいちゃん、終始外出だったよな?」
「……多分な」
佐伯先生はそっぽを向いたまま、手のひらで煙草を弄んでいる。
「じゃ、梨音ちゃん。
引き続き、俺のマーサをよろしく頼むよ」
「……あなたのためじゃありませんからっ」
梨音はぷいと顔を背ける。
……いったい、何があったって言うのかしら。
響哉さんは、保健室のすぐ隣にあるあまり誰も使わない廊下を上がって、戸惑いも無く理事室へと向かう。
手を繋いでも差し支えないくらい、人の通らない場所だ。
特に、生徒はこの通路を通ることなんてないんじゃないかしら。
私だって、こんなところに廊下があるなんて知らなかったくらいだし。
「……響哉さん?」
戸惑う私に見せてくれるのは、変わらない優しい笑顔。
「ほら、普通に歩かないと人目につくよ。もっとも、俺はそれでも大歓迎だけどね」
響哉さんが私の肩に自然に手をまわす。
そうして、ノックも躊躇いもなしに理事室のドアを開けた。
「……ちょっと、何?」
私はびっくりして息を呑む。
生徒だってこんなところ容易に入れないのに。
響哉さん、間違いなく部外者よね?
「ん? ここに秘密の階段があるの。で、地下駐車場に繋がってるんだー。
便利だよね」
い、いや。
それは確かに、便利ですけれども。
「どうして、こんなこと知ってるの?」
隠し扉を開き、降りていく響哉さんのことが不思議で仕方がなくて、私は声をかける。
響哉さんは、振り向くと私の手を掴む。
困った表情を隠すように、口角を引っ張りあげて、笑みを浮かべていた。
どことなく、心もとないアンバランスさを感じさせる表情に、私の心がざわついた。
「じいさんが居ないとはいえ、ほかの誰かに出くわすと面倒だから。
ほら、おいで」
誘われるがまま、引っ張られるままに任せて、私は狭い螺旋階段を下りていく。
地下駐車場に、響哉さんの黒いベンツが止まっていた。
その、窓ガラスのところに置かれている封筒を黙って手に取ると、助手席を開けてくれる。
「どうぞ」
「……その手紙、なぁに?」
響哉さんは興味なさそうにくしゃりと握りつぶした封筒に、目をやって薄く笑った。
「さぁ。
ファンレターか、駐禁のお知らせか。
後で目を通しておくから、心配しないで」
くしゃりと私の頭を撫でてから、丁寧に車のドアを閉める。
響哉さんは、車を走らせながら夕食に何が食べたいの、なんて聞いてくるから。
そういう何気ない会話を交わしているうちに、私の頭の中からすっかり封筒のことを忘れ去られてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます