第03話 01

「関口くん、なんか最近、ご機嫌じゃない?」

 隣に坐っている卯月さんが何気なく尋ねてきたのは、自宅で歓談している最中でのことだった。……二人、仕事を終えて家に戻ると、すでに友人たちは狂乱状態、宴もとなっていた。酒精など不要だ。皆で集まってさえいれば、それだけで充分なのだ。まだ世間れしていない学生の特権の一つだろう。話題は尽きることがない。大学でのこと、家でのこと、それがどれだけ些細な事柄でも、おれたちのとっては語るに足り、聴くに足る出来事なのだ。まさに『お金はないけど時間だけは腐るくらいある』、典型的な大学生一群が、そう、おれたちだった。

 夕食と呼ぶにはいささか遅い食事をいただく。もちろん、友達が作ってくれたものだ。大学生の分際で、据え膳上げ膳生活を送るとは、さすがに贅沢すぎるような気もしたが、(親が聞いたら泣いてしまうかもしれない。)でも下手に遠慮するほうが、友人たちにとっても不都合なのである。集まる場所を提供してくれているおれへの、当然の返礼だと、皆は考えているのだ。なのでここは、素直に感謝していただくのが正解なのだ。いつもありがとう、とっても美味しそうだよ、そう感謝を添えて箸をつける。卯月さんもに相伴に預かっている。彼女もおれ同様に恐縮しているが、でも仕事が休みの日には率先して台所に立ってくれているので、おれとしてはそんなに気をつかわなくても良い気がした。むしろやはり、気をつかうべきはおれだろう。今度、調度品で何か不足があったら買っておくことにしよう。

 部屋で集まっている友人たちは、十人は下らない。方方に固まって、銘銘めいめい好きなことをしている。襖で仕切られている昔ながらの家屋は、こういうときに便利である。それを外せば、広大な空間ができ上がるからだ。食事をしているおれたちのほかに、歓談に花を咲かせているグループ、カードゲームに興じているグループと、みな好き放題である。それでも、もう先に帰った人もいるというのだから怖ろしい。クラス全員が来ているんじゃないかと思ってしまう。(実際その感想は誇張ではなく、用事のない級友は、じゃあおれんに行こうかといった行動パターンが、構築されつつあった。)だが喧噪の中に身を置いていると安心できる。おれにとっても、皆が遊びに来てくれるのは嬉しいことであった。

 そんな最中である。前述の、卯月さんの発言が飛び出したのは。

 そう? おれは問い返す。だが疑問形の言葉とは反対に、彼女の指摘は自覚していた。たしかに毎日が楽しくて仕様がない。それをどうやら見抜かれていたようだ。それも、彼女だけに、ではない。卯月さんの言葉を皮切りに、卓を囲んでいた友人たちは次々に声をあげる。いわく、気がつくと鼻歌を歌っているだとか、いわく、足取りが軽いだとか、いわく、遠くを見てニヤニヤしているだとか、そんなおれの浮かれた様を伝えてくる。そしてそれらは、一つの結論に収束する。すなわち、

「ねえ、関口くん、誰かでもできたの?」

 と。

「いや、そんな女性ひと、いないよ」

 おれは苦笑を浮かべながら否定する。しかしそう簡単に追及の手からは逃れられない。当然だろう、他人の色恋話ほど盛り上がる話題は、そうそうないからだ。おれだって他の誰かが標的となっていたら、嬉嬉として参加していただろう。だが今の立ち位置は、当事者のそれである。一刻も早く皆の関心が、他所よそへ移ってくれるのを願うばかりである。

 だが果たして友人たちは、食いついて離れようとしない。おれの脆弱性は即座に見抜かれてしまう。声音に、あるいは表情に、顕われていたのだろうか。平静を装ったつもりだったが、図星を突かれたとの動揺は、あっさりと露見に至っていた。……このようなときの、女性特有の嗅覚は、いったいどこで養われるのだろうか。いや、センゴクから聴いたことがある、それは生来の資質なのだと。虚言を看破する能力は、男性はその影すら踏めないくらいに極まっているのだと。と一つ芝居がかった笑みを洩らしてから、だから関口君も、言葉には充分気をつけるんだねと、あいつは見透かしたような視線を寄越してきたものだった。おれはそれを、センゴクが良く用いるの一つくらいにしか考えていなかったのだが、(あいつの奇怪な風体、奇抜な言動は、心にところのある人には、脅威に映るらしい。原本を擦り切れるまで熟読したあいつの言によると、それは一種の舞台装置なのだという。常識的な日常とは地続きになっていないと錯覚させるための、演出なのだと。たしかに言われてみれば、気難しそうな黒衣の男が突然やって来て、自分には理解不能な専門用語を並び立てて迫ってきたら、なるほど冷静ではいられないだろう。ましてや心暗いものを抱えている人には効果は抜群である。問われてもいないことを、べらべらと喋ってしまうかもしれない。弟子たるあいつは、そのようなを、とりわけ好んでいた。いつでも余裕を喪わず、大言壮語を放つのが常であった。だがたとえ演技であったとしても、それしか知らない人には、真実となんら変わりはない。なので追い詰める際、それは覿面てきめんな効果を挙げていた。ボクに嘘は通じないよ、そうひと言べるだけで、みな簡単に口を割るのだから、たいしたものである。(まあ、対峙している者たちのついていた嘘が、軽微な嘘だったというのも、理由の一つではあったのだが……。))だが実際、おれが何かかくしているだろうと確信しているで見つめられると、センゴクの言葉も、とは言い切れなくなってしまう。関口~、お前、そうだったのかよ~、とする男友達とはまったく対照的である。「ねえねえ、いついつ?」「でも関口くん、実家のほうに帰っていないから、前のお友達ってことはないわよね」(もちろんおれのプライヴェートなど、筒抜けである。)「だったらこっちで?」「うそー」「えー、だれだれー?」「待って、もしかしたら、ネットで、ってこともあるんじゃない?」「えー、じっさい逢ってもいないのにー?」「さすが都会の人は違うわねー」、と、もはや当事者のおれを置いて、妄想が独り歩きを始める始末である。まあ、結果的に、インターネットで始まる恋愛はアリかナシかと話題が逸れてくれたので、良かったといえば良かった。ほっと安堵の息をつく。

 そんなおれに腕がまわされる。いまだ余熱よねつ冷めやらぬ、二本の熱い腕が。くす、と耳が。心地好い信号を感知する。おれはそちら、声のするほうに、顔を寄せる。そこにあるだろう、“彼女”の顔へと。

「くす、歩美くんったら、本当のこと、言っちゃえばいいのに」

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