37皿目 ねぐせ。

 登校前の太郎はいつもと違った。洗面台の前から動こうとしなかったのだ。理由はねぐせ。ピョンピョンと跳ねた髪の毛をなんとか直そうと、必死に鏡とにらめっこをしていた。花子が身支度を終えて玄関を出ても、まだ髪の毛と格闘していた。

 「遅刻するよ!」

 母が声を荒げても、動こうとはしなかった。バレンタインデーを意識しているのだ。

 私はそんな太郎を見て、少しほっとした。ちやほやされ続けて来た太郎は、異性に対して無頓着なところがある。そんな太郎がねぐせを気にしている。女子の目を気にしているのだ。

 くっくっく。はっはっは。

 笑いがこみ上げて来た。太郎、おまえもふつうの男の子なんだな。

 ようやくあきらめがついたのか、少し濡れた髪を無理矢理なでつけ、太郎は家を出た。

 「いつもはねぐせなんて気にしないのにね」妻はあきれたように呟いた。

 私はにやけた顔を元に戻すのに午前中を費やした。

 

 「ねぇ!だれか来た!?」

 夕方になり、帰ってきた太郎の第一声は、ただいまの挨拶ではなかった。

「いや〜誰も来てないよ」私は答えた。

 質問の意図はすぐにわかった。女子がチョコを持って来る時間が過ぎていたのだ。

「うそ!だれか来たでしょう?」

「そんな嘘をつくほど父さんはヒマじゃないよ」

 太郎はがっくりと肩を落として自分の部屋に入った。せっかく元に戻った私の顔が再びにやけた。

 部屋から出て来た太郎。リビングでそわそわと時間を過ごした。時計を見ては、外を眺め、テレビをつけてはみたものの集中できず。

 くっくっく。わっはっはっは〜。ひ〜っひひひ。

 私の顔は、もう元に戻らなくなった。

 「何人くるんだ?」落ち着かない太郎に聞いた。

「たぶんひとり」

「ひとり?『さんにんぐらい』じゃなかったのか?」

「○○ちゃんはチョコ作りに失敗したんだって」

 ぐははは!ひとり!!そうか!そうか!ひとりか!だはははは!

 ピンポ〜ン♪

 待ちこがれたインターホンが鳴った。モニタには女の子が映っている。太郎が受話器に飛びついた。

 おいおい!飛びついたよ!

「あ〜おれ!」モニタを見ながら太郎が言った。

 おれ?いま『おれ』って言った?い〜ひっひっひひぃ〜。『おれ』だって!

「今行くよ」

 ははっはっは〜。ぐるじぃ〜。

 息子は飛び出て行った。

 数分後、嬉しそうに戻って来た太郎。食卓でチョコの包みを開けた。安心したようにチョコを眺めた後、包みに戻した。

 え?もどすの?食べないんだ!あ〜そう!?食べないんだ!あははは!そうか〜大事にとっとくんだ!?ははは!

 太郎。よかったな。ひとつ貰えて。とーさんもほっとしたよ。いいかい太郎、よく聞けよ。とーさんからのアドバイスだ。ねぐせを直すのはおまえらしくないぞ。ダメ男フェロモンが減るからな。

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