19皿目 はじめての試合。

 太郎が2年生の時、地域のサッカーチームに入らないかと誘われた。

 体験練習を終えて、この春から正式にサッカーチームに加入した。そして、初の試合は江戸川の河川敷で行われる。もちろん太郎は正選手ではない。しかし、一日で3試合をこなす中で、必ず出番がくるらしい。コーチにそう聞かされた。

 太郎は朝から興奮していた。妻も早起きしてお弁当を作った。天気予報は昼から雨。午前に1試合、午後に2試合組まれている。何試合消化できるかは、雨がいつ降り出すかによる。

 第一試合が始まる前のミーティング。コーチが子供達に念を押した。

「走らない奴はすぐに交代だから!」

 おぉぉ。本物のスポ根だよ。

 子供達は皆、片膝をつきながら、神妙な顔をしてコーチの話に耳を傾ける。静かに闘志を燃やしている。そして、試合が始まった。

 「とれ、とれ、とれーっ!」「パス!パス!パス!」「ごらぁ!負けんな〜!」「たかしぃ、シュートだぁ!!!!」「あきらめるな!! うばいとれ! こうじぃ!!」「そら!もどらんかぃぃぃ!」

 怒号が飛び交う。ベンチからではない。コーチ達は静かに座って事の成り行きを観察している。

 興奮しているのは、ベンチの斜め後ろに陣取ったママ達だ。「なにやってんだぁぁ!はしれっ!」

 正直、試合よりもママさん達を見ている方が楽しい。コーチに聞いた。

「すごいですね、毎回こうなんですか?」

「お母さん方は、自分の子供しか見てないですから」コーチはすでにあきらめ口調だ。

 6、7人のママさん達。相手チームを見ると、やはり同じような状況だ。妻はまだ、チームのママさん達とそれ程仲良くはない。すこし離れた所で、静かに試合を見ていた。

 後半になり、太郎がアップをはじめた。ベンチの横で体を動かす。いよいよ出番だ。ボールがゴールラインを割り、ゴールキックになった時、審判が交代を許可した。

 ついに太郎がピッチに立った。しかし、自分の居場所を見つけられずに、うろうろと走り回る。ボールに群がる子ども達からは、少し距離を置いて動いている。そこへ、唐突に太郎の目の前にボールが転がってきた。とった。やった。ファーストタッチ!その瞬間、「はしれぇぇぇ!!」妻の声が河川敷に響いた。

 太郎の体がビクッと動いた。母の声に反応したのだ。太郎は走り出した。そしてボールを取られた。

「とりかえせぇぇぇ!」太郎が取り返しに行った。

「もどれぇぇぇ!!」太郎がもどった。

「つっこめぇぇ!!」太郎が群れに突入した。

「とれぇぇぇ!!」太郎が取った。

「よっしゃぁぁ!」よし?太郎が戸惑った。その隙にボールを奪われた。

 どうやら太郎は、妻のリモコン操作で動いているようだ。ママさん達が突然豹変した妻を見て言った。

「太郎君ママ、すごいね」

 「はしれ〜」「いけ〜」「とれ〜」「もどれ〜」ピッチの上を右に左に走り回る太郎。ポジションなんてものは無視されている。明らかに、他の子供達より運動量が多い。妻の持つリモコンで動かされているからだ。間違いなく『ダッシュボタン』を連打されている。

 あるママさんが不安気につぶやいた。

「太郎クン・・・ 顔が真っ赤になってきたよ・・・」

 コーチも太郎の顔色を心配し始めた。へとへとになってきた。もう、いくら『ダッシュボタン』を押しても走らなくなった。太郎が呼ばれた。交代だ。ベンチに座る。肩で息をしている。妻がベンチの後ろに回り込み太郎に声をかけた。

「だいじょうぶ?」

 あれだけ走らせといて・・・フォワードのポジションにも、ディフェンスのポジションにも、両サイドにも走らせといて・・・

 第一試合、チームは完敗だった。

 私は太郎より先に、妻にサッカーのルールとシステムを教えなければならないと悟った。そうでないと、「飛べ〜!」と言われたら、太郎はきっと、大空に舞い上がったに違いない。

 サッカーゲームのソフトを購入すべきだろうか。ゲームで妻を鍛えるのだ。『ルール』と『リモコン操作』を覚えさせる。そうすれば、太郎が正選手になる日も、そう、遠くはないように思える。

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