§5ー4 あの子は病気だから


 

 あたしは意を決して質問してみた。

 燎平の仕事って何ですかと。


 とたん、梨佳と翔馬が目を丸くした。

 翔馬が背を屈めてあたしを覗き込む。あたしを嘘発見器にかけるように。

「仕事は仕事、HLNSの仕事だよ。おまえはオレたちの母親とずっと一緒に暮らしてたんだろう? 知らなかったのか? 自分の養母がどうやって稼いでいたのか本当に知らなかったのか? 自分の母親とその相方が何者だったのか……ああ畜生、だから金のことも知らなかったのか、クソ!」

 ぎりりと詰め寄られた。

 初対面のときの翔馬と同じだ。

 あたしを詰り糾弾する目。あたしが責められていることに気づいた真南が隣で僅かに動く。あたしはそれを察してそっと真南の腕に触れた。大丈夫、平気だから。

 一方、翔馬の背中は梨佳のすらりとした腕が引っ張った。

「あやめちゃんもご存じのとおり、燎平さんは母親譲りでいろいろとおかしいでしょ。人間としての能力というか機能というか──あれは重い病気なの。人間が本来なら完全に封印している分野の能力をセーブできずに完全開放してる。常に脳味噌は全速回転で躰はブレーキのついてない超高速暴走列車状態。そういう病気。そして言いづらいけど、奈那さんの仕事上のパートナーだった女性の娘であるあなたも発症する可能性が高いと思う」


「おもいびょうき」


 言葉を上手く飲み込めなくて、あたしは聞いたまま繰り返す。

 梨佳は小さく頷いた。

「そう。凄まじいエネルギーの塊を薄い皮膚で覆っているようなもんよ。だから本気で動けば生身の躰は耐えきれずにいちいち壊れるの。燎平さんの場合は皮膚の薄いところや内臓から血が噴き出す。母親の奈那さんは心臓に負担がかかっていたそうよ」

 梨佳が奈那さんのことを口にした。翔馬は顔を逸らす。

 そしてあたしは、自分でもちょっとどうなんだろうっていうくだらない質問を呟いていた。

「病気だってことは治せるんですよね?」

「治せる。頭をこじあけて、ステータス異常を引き起こしてる箇所を手術すれば確実に治るの。〝患者の家族〟はそう説明を受けてる」

「それならどうして」

「手術にはおそろしく金がかかるんだ。そして組織内で訓練された専門の医師ではなければ治療できない」

 静かに答えたのは翔馬だった。

「お金……」

「燎平さんと同じ病気を持ったひとたちは、皆、HLNSという組織に強制加入させられる。そしてHLNSは組織に入った患者たちに英雄的活動を要請するらしい。もちろん組織は患者に高額な報酬を支払う。その報酬が貯まったら、患者は組織にお金を支払って手術を受ける」


 ん?

 ちょっと待って、今、話の中身が微妙にねじれた気がする。

 あたしは隣の真南を見た。こういうときは少なくとも真南の頭脳のほうが正確に作動している気がする。

 真南もこくびを傾げていた。


「それって妙じゃありませんか? そのHLNSっていうところが患者を強制的に雇って、それで労働させて、給料を渡して、それで最後は手術代金として今まで払ったお金をすべて回収するってことですか?」

「要は金額の大小じゃないんだよ、手術という餌をちらつかせて強制労働させているだけだ」

「ひどい!」

「そうでもない。たしかに表向きは正義のヒーロー斡旋ブラック組織だけど、実際にHLNSで大きな仕事をしてから手術を受けて普通の人間としての人生を取り戻したひとは多いし、組織の対応は公平で誠実だ。契約内容に関しては何の不正も犯してない」

「お金が貯まらなくて手術を受けられなかったら、死ぬの?」

「そうだよ。奈那は四十までどうにか生きてられたけど、燎平さんは発症が早かったから母親ほど長くは持たないと思う。〝病気〟は突然変異的に罹患する場合と母から子に遺伝するパターンがあって、どちらもいつ発症するかはわからないんだ。一生何もないまま終わる人間も大勢いる。ただ女性は発症しても出産を経験したら完治することが稀にあるといわれてる。うまくいけば完治、でもうまくいかなければ自分だけでなく子にも病気が遺伝するっていう大博打だ。これで奈那とおまえの母親がそれぞれ男をつくって出産した理由がわかっただろ? 奈那なんて太郎ちゃんに土下座して精子もらって二度もギャンブルしちゃってほんとバカだ」


 半分くらいは理解した。

 でも半分くらいは意味がわからない。

 なぜからそれは今あたしが必要としている回答ではないからだ。

 あたしが知りたいのは、今、ただひとつ。


「症状があらわれてからどれくらいの余命なんですか」

 あたしと同じ疑問をぶつけたのは真南だった。彼の冷静が頼もしかった。

「平均で二十年」

「燎平先輩が発症したのは?」

「六年前、あのひとが十二歳のときだ。オレだっていつ発症するかわからない。おまえだってそうなんだぞ」

 頷いた翔馬の言葉がかすれている。

 泣き出す一秒前の子どもの顔だ。梨佳がそっとその肩をさする。その左手に輝くダイヤモンドの指輪。

 翔馬はどういう気持ちなんだろう。

 母親の奈那さんとお兄ちゃんの燎平が〝病気〟で、自分だけが仲間外れだと思っているのたろうか。どうして泣きそうになっているのだろう。母親を亡くすように燎平を亡くすことを予感していて、それが納得できずに悲しんでいるのだろうか。

 否、そうではない。

 母でも兄でもなく、このひとは自分自身の運命を嘆いている。

 奈那さんは亡くなった。燎平はぼろぼろだ。翔馬はまだ発症していない。でもいつか発症するかもしれない。明日か、数年後か。そしたら奈那さんのようになるんだ、燎平のようになるんだ。彼は未来の自分を恐れてる。

 だから梨佳と婚約してる。

 何も起こっていない今のうちに人生を駆け抜けたいと思ってるんだ。

 奈那さんは、急に心臓が止まって亡くなった。

 あのひとが一緒に暮らしていたあたしに隠してどんなことをしていたのか、あたしは知らなかった。でもあのひとの副業を他のひとは知っていた。田端兄弟も、翔馬の婚約者の大岡梨佳も、そうだ、きっと伯父さんも知っていた。

 あたしだけ知らなかった。

 奈那さんがあたしに説明をしなかったのは、きっと。

 あたしは窓に映っている自分の顔を見つめる。


 ──きっと、こんな顔しているあたしを見たくなかったからだね。


 好きなら自分のすべてを知って欲しいという感情と、好きだからこそ相手の笑顔を守りたいという気持ちは、同じ「好き」って気持ちなのに矛盾している。

 あたしが今とても悲しいのは、奈那さんがあたしに真実を教えずに逝ってしまったこと。長生きではない躰だと知っていながら、「ずっと一緒だね」って笑ったこと。彼女があたしに黙っていたこと、嘘をついたこと、隠していたこと。

 でもそれは、逆の方向から透かしてみれば奈那さんの愛情表現だった。

 黙っていたこと、嘘をついたこと、隠していたことは、小さくて幼いあたしに与えるにはあまりにも大きな重荷だと考えたのだろう。あたしは今泣きたい。もしも奈那さんから辛い話をきいてしまったら大声をあげて泣きじゃくる。そして「いやだ」と言う。何に対してというわけでもなく、とにかく「そんなのいやだ」と叫ぶ。

 あたしは、きっと、奈那さんを受け入れられなかった。

 あたしは、きっと、自分の将来の宿命を受け入れられなかった。

 彼女はそれを知っていた。

「奈那が自分の手術費用として貯めていた金があるはずだと思ったんだ。それがあればきっと燎平さんの手術費用の足しになると思ったから。もしもおまえが何も知らないまま受け取っていたなら、せめて奈那の遺産分はすべて燎平さんに譲って欲しかった。だって、おまえには悪いけどこれは当然の優先順位であって」

 翔馬の言いたいことが今ならわかる。

 今のあたしなら、わかる。

「あたしもいつか発症するかもしれないから。そのときにすぐ手術を受けられるように奈那さんから大金を貰ってるかもしれない。でもそれは本当なら燎平が相続すべき遺産だ、そう思ったんでしょう?」

 それであのとき、初対面のとき、翔馬はあんなに激しい口調であたしに奈那さんの遺産をよこせと詰め寄ったのか。

 あのときの翔馬の表情を思い出すと今でも胃が痛くなる。

 初めからきちんと説明してくれたらよかったのに。そしたらあたしだってあんなふうに感情的になって反抗したりはしなかった。

「あたし、もう一度あたし名義になっている奈那さんの貯金がないのか伯父さんに聞いてみる。あたしを引き取るときに奈那さんのご両親や弁護士さんと話したことあるって伯父さんが言ってたし、もしかしたらあたしに隠してることがあるかも」

「えっ、ちょっ、何て?」

 翔馬が大きな声であたしを制した。

「奈那のご両親って、オレと燎平さんの祖父ちゃんと祖母ちゃんってこと? そんなのオレたった今初めて聞いた。祖父母がいるのか。生きてるのか」

「ずっと田端兄弟の幼馴染みをやってるあたしも初耳よ。でもそういえばそうだ、でなきゃ奈那おばさまのお葬式は誰が出したのって話になるもの」

 梨佳も大きな目を丸くしたけれど、すぐに真南に向き直る。

「若月くん、お願い。君のお父さんに頼んで翔馬たちのお祖父ちゃん家の連絡先を聞いてみてもらえないかな」

「でもそういうことは田端先輩のお父さんにお願いしたほうが……」

 真南が躊躇していると、翔馬がその頭を掴んでこね回した。

「マナミくんはアニメ大好きなんだよねえ? たしか熱狂的に好きな作品があるとか?」

「あ……種子島えきすぺ!……」

「そのアニメの監督がうちの学校のOBだって知ってた? しかも生徒会の先輩だし。彼のスカイプID教えてあげるから交換条件で」

「えっ、ちょっ、ほんとですか! それじゃ気象衛星ひまわり姉妹を全ておひとりでを演じてる声優の反町香さんともお話ししたいです反町さんって天才ですよね歌唱力も抜群でぼく彼女のアルバムも全部持ってますし高校生になったら秋葉原のイベントに行ってもいいって父さんが約束してくれててそのときにはぜったい握手会に」

 真南の声が三オクターブくらい跳ね上がったのと同時に、二階から大きな物音が響いた。


 どん、と床を踏みならす音。


「やべっ、燎平さんがまた【跳んだ】!」

「嘘でしょ、あんな躰で出て行ったらあのひと今度こそ生きて帰れない!」

 翔馬と梨佳が真南を突き飛ばして階段を駆け上がる。あたしたちも後を追って二階のドアを叩くけどもちろん反応はない。

 中に入ると無人だった。

 燎平の部屋は、あたしがイメージしていたよりもずっと散らかっていた。

 ベッドの上はぐちゃぐちゃで血塗れのシャツが散らばっている。本棚もめちゃくちゃ。机の上も雑誌で溢れてる。マンガも単行本も山ほど。白いカウチソファの上にはノートパソコンとブルーレイの映画ソフトが散乱していた。

 そして無理矢理引っこ抜かれて置き去りにされた点滴が痛々しい。

「うわ、汚なっ……。あのひと神経質なのは顔だけなのか」

 こんなときの真南の反応は常に正直だ。

 翔馬は窓から顔を出して遠くの空を凝視している。

「今度はいったい何処の出張だよあのクソバカめ……梨佳、ネットで探せ! ツイッターかニュース速報系の掲示板で、燎平さんが呼び出されそうな大きな事件か事故を。あのひとたしか今は日本の北陸と九州とカナダの何とかって地方を担当してるって言ってた」

「わかってる」

 梨佳はすでに燎平のノートパソコンを開いて電源ボタンを押す。あたしも思わず手を伸ばしかけたけど横から真南がとどめた。

「おまえが触ったら大変なことになるだろ」

 その通りだ。

 あたしは差し出しかけた手を握りしめる。視線の先では梨佳が何度も同じボタンを押してるけどパソコンは何の反応もない。

「……このPC壊れてる! そっちのデスクトップは?」

 梨佳が舌打ちして翔馬を呼ぶ。

 ぐちゃぐちゃになっている学習机の上に乗っかっているデスクトップパソコンを翔馬が触る。そしてすぐにかぶりを振った。

「駄目だ。オレのパソコンも昨日壊れてたし、そういえば今朝から家中の家電がポンコツだ。いったいどういうことだよ」

「あのう翔馬先輩」

 真南がぼそりと声をかけた。

「あまり関係ないかもしれませんが、この部屋にある時計、全部狂ってます」

 その指摘にあたしは思わず息を飲む。その通りだった。壁の時計。机のデジタル時計。各所に散乱している腕時計。すべてが狂っている。狂っている時計ばかりを並べているの?

「これ、オレのスピードマスターだ。止まってる」

 翔馬が大きな腕時計を拾い上げた。

「この宝石が並んでる悪趣味なやつは太郎ちゃんの腕時計。これも。これも、ああこれも! 燎平さんは家中の壊れた時計を集めてたのか? どういうことだよ?」


 そうじゃない。

 燎平は確認してたんだ。

 自分が触れた時計のすべてが狂っていることを確認したんだ。ここで。部屋をめちゃくちゃにして、家の中のデジタル製品のすべてを並べて。

 パソコンが壊れる、機械が止まる、時計が狂う、それはまるであたしの。


 まるであたしの。


「もしかしたら燎平の様子がおかしいのはあたしに関係が、」

 と言いかけたとき、真南のスマホが短い音をたてた。もちろん今はメールどころじゃない。真南は音を消そうと手に取り、そして表示を見て息を呑んだ。

 あたしはその画面を覗く。

 真南にメッセージを送ったのは小春だった。


『若月くんへ。あやちゃんに伝えてください。

 お望みどおり私は今から死にます』


 真南は無言であたしを見る。

 あたしは翔馬と梨佳を見る。ぼろぼろの燎平は消えてしまった。また仕事に出たのだと翔馬と梨佳は言う。燎平はおかしくなってる。あたしの力を【吸った】から? 次こそ生きて帰れないと梨佳は言う。あたしは真実を確かめなくちゃならない。

 そんなときだというのに小春が自殺予告メールを寄越してきた。

 人の命を何だと思ってるんだ。

 めちゃくちゃだ。

 小春はどれだけ迷惑をかければ気が済むのだろう。

「何かあったの?」

 梨佳が顔をあげてあたしを見る。真南が先にかぶりを振った。

「いいえ。何も、──おい、あや!」

 それもこれもすべてが小春のせいだ。

 そうではないことは判っていた。

 でも今辛いことも、今苦しいことも、すべてが小春のせいだとあたしは断じたかった。そう思わなければやってられなかった。燎平は何処に行っちゃったんだろう、無茶ばかりして、あのひと、どうして無茶ばかりしているのだろう。死にたいのかな。死にたいのかな、本当に燎平は、いや小春は。どうしてあんなメールを真南に送ってきたのかな。ああそうかあたしが、自分で、自分のケータイを壊しちゃったから。


 頭の中がぐちゃぐちゃだ。


 躰の奥が熱くなる。

 憎しみや、悲しみや、憤りや、自分で自分自身のどうしようもないことが次から次へとあたしの中から溢れて流れてくる。

 躰が熱い。

 視界が揺れる。混沌が押し寄せる。

 あたしは浮いた。

 躰が、浮いた。

 三人が同時に何か叫んでるのが遠く聞こえたけれど、すぐに風に紛れて消えてしまった。






§5舞踏会と点滴/了

§6に続く

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