前編PARTⅠの4 孤独の宿、MOSSY 

 翌朝。愛用のバッグのほかに、大きめのバックパックを背負って部屋を出た。駅に向かって歩いている時、カーカーカーとカラスの鳴き声がした。


 ノゾミが乗った高速バスは九時前に新宿バスターミナルを出発した。

 平日の高速バスはガラすき。昼前には本栖湖に着いた。


 バスを降りると、青く澄んだ神秘的な湖があった。空気はおいしかった。湖沿いの道を歩くと、あの写真のスポットに出た。


 トンネルの手前で、湖畔のキャンプ場に降りる道に分かれる場所だった。


 富士山の頭は雲に隠れていた。風が吹いていた。湖には波があって、湖面は輝いていた。逆さ富士は映ってはいなかった。


 逆さ富士スポットのすぐ先にあるMOSSYモッシーという宿に泊まってあしたの朝早く、逆さ富士スポットに行こうと思っていた。


 平日なので大丈夫だろうと思って、予約はしていなかった。


 坂道を降りて行くと、MOSSYのレストランの入り口があった。

 お昼を食べて、宿泊のことも頼もう。


 レストランに入る。誰もいなかった。窓際の席に座って、窓の向こうの富士山を見た。


 強い風が吹いているようで、少し前には雲に隠れていた富士山の頭が見え始めていた。


 富士山は頭に雪をかぶっていた。白い雪はキラキラと輝いてみえた。見ているうちに、自分をフッた時の上司のむき出した白い歯を思い出した。


 チクショウ、アンニャロー。いったいどういう女と? 君しかいないとか言ってたくせに。


 結局軽い奴だったんだ。それを見抜けなくて信じてたあたしもバカ・・・・。


 胸が痛くなった。


「あの、お客さん」

 明るい感じの声をかけられて顔を上げた。


 茶髪を三つ編みにした、三十歳前後の女性がお盆に水の入ったコップを乗せて微笑みながら立っていた。


「すみません、奥にいて、すぐに気付かなくて」

「あ、いいんです」


 女性は水をテーブルに置いた。


「オーダーが決まったら、教えて下さいね」

 彼女は会釈し、レジのところにいった。


 ノゾミはメニューを見た。ピラフと、それからホットココアを頼むことにした。


 失恋したときはチョコレートがいいということを、ネットで読んだのを思い出したからだった。


 運ばれてきたピラフを口に入れると暖かく感じた。複雑な心境だった。それが当たり前なのに。


 ピラフを食べ終えた時、三つ編みの女性がホットココアを持ってきた。それをテーブルの上に置く彼女に、ノゾミは尋ねた。


「あの、きょう、泊まれますか?」

「はい。たぶん貸切状態ですよ」


 ほかに宿泊客はいないという意味だった。


「じゃ、今晩一泊、お願いします。よかった、朝、逆さ富士を見たくて・・・・」


「富士山、お好きですか?」

「ええ、まあ・・・。本当は大好きなんですけど・・・」


 先ほど、自分をフッた上司の白い歯を連想してしまったため、そんな風に答えてしまった。


「そうですか。お部屋からも富士山は見られますよ」


 ココアを飲み、支払いを済ませたあと、宿帳に名前や住所を書き、二階の和室に案内された。


ノゾミは三つ編みの女性のあとについて二階の廊下を歩きながら尋ねた。


「こちらは、スタッフの方は何人でやってるんですか?」


「今はオフなんで、私と夫と二人でやってますが、シーズン中はアルバイトの人にも手伝ってもらってます」


――こういうところでアルバイトできたらいいだろうな。

 彼女のあとに部屋に入ると、窓越しに富士山が見えた。


「夕食は六時から七時までの間にレストランに来て下さいね。朝は七時から九時の間ということで」


「わかりました。あの、お名前を教えていただいていいですか?」

「はい。私は、大池美佐子おおいけみさこと申します。どうぞよろしくお願いします」

 

 部屋にバックパックを置いたあと湖の周辺の散策に出た。MOSSYの経営する湖畔のキャンプ場にも、その先にも人はなかった。


 水辺に膝を抱えながら座って湖とその向こうの富士山を眺めているうちに涙が流れた。


 人はみんな独りなんだ。人生ってうまく行かない。


 そういう思いで胸はいっぱいだった。

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