冬の一日

第二十四話 冬の一日


「今日は暇?」


 朝食を食べながら、レオンは聞いた。


「私に聞いておられますか?」


「うん」


「レオン様の予定についてでしたら、午前はガレス殿との訓練。昼食後はニコ殿から昨日の件について報告。夕方には――」


「待って」


「はい」


「暇じゃないじゃん」


「そう申し上げようとしておりました」


 レオンはパンをちぎった。


「冬なのに」


「冬ですね」


「戦争も止まってるのに」


「止まっているのは大規模な戦闘です」


「みんな同じこと言うなあ」


 スープを飲む。


 薄い。


 昨日より少し薄い気がする。


「……これ、ニコ?」


「全体の食事量は減らしていないそうです」


「じゃあ何で薄いの?」


「料理人に聞いてください」


「聞いたら濃くなる?」


「ならないでしょう」


「じゃあいいや」


 レオンはパンをスープに浸した。


「夕方は?」


「治療所へ」


「怪我してないよ」


「ヴェラ殿に用があるそうです」


「誰が?」


「レオン様が」


「俺?」


「昨日、『また明日来る』と」


 レオンは少し考えた。


「ああ」


「思い出しましたか?」


「本、見せてもらおうと思ってた」


「治療の?」


「うん」


 ユリウスが珍しく少し意外そうな顔をした。


「レオン様が勉強を?」


「何その顔」


「いえ」


「俺だって勉強するよ」


「存じております」


「絶対嘘だ」


     ◇


 午前。


「もう一度!」


「ガレス」


「はい」


「昨日もやったよね?」


「昨日は退却です」


「今日は?」


「部隊の入れ替えです」


「似たようなもんじゃない?」


「全く違います」


「そうなんだ……」


 百五十人ほどの兵が訓練場に並んでいる。


 今日はボルクはいない。


 治療所で肩を診てもらっているらしい。


「戦い続ければ疲れます」


 ガレスが言う。


「うん」


「疲れた兵は弱くなります」


「うん」


「だから入れ替える」


「うん」


「では、やってください」


「説明短くない?」


「やれば分かります」


「最近みんな俺にそれ言わない?」


 やった。


 分からなかった。


「第四隊! 下がって!」


 伝令が走る。


 第四隊が下がる。


 代わりに第二隊が前へ――。


「邪魔!」


「押すな!」


「まだ退いてないぞ!」


 ぶつかった。


 味方同士で。


「……」


 レオンは遠くを見る。


 ガレスが横に立っている。


「何も言わないの?」


「やれば分かるかと」


「腹立つなあ」


 もう一度。


 今度は先に下がる道を空けた。


 上手くいった。


 と思ったら、交代した第二隊の隊列が整うまで時間がかかった。


「敵だったら?」


「攻めますね」


「だよね」


 三度目。


 交代位置を後ろへ下げた。


 今度は前線に隙間ができた。


 四度目。


 予備を間に置いた。


「お」


 少し綺麗に動いた。


 レオンが笑う。


「これじゃない?」


「悪くありません」


「褒められた」


「ですが、予備を使いました」


「……あ」


「この後、別の場所が破られたら?」


「使える人が減った」


「はい」


「軍って面倒だね」


「今さらですか?」


 最近よく言われる。


 レオンは兵を見る。


 百五十人。


 カレルでは、これより多くの兵を動かしていた。


 それでも。


 こうして一つのことだけをやらせてみると、簡単には動かない。


「ガレス」


「はい」


「千人だと、これ十倍?」


「いいえ」


「違うの?」


「もっと面倒です」


「聞かなきゃよかった」


 ガレスが笑った。


     ◇


 昼。


「食糧、増えた?」


「一日で増えるわけないでしょう」


「だよね」


 ニコだった。


 昨日作ることになった橇は、すでに三台が形になっていた。


 壊れた荷車の荷台を使い、底に木を取り付けている。


 ダリオと数人の職人が作業していた。


「早いね」


「形だけなら」


 ダリオが答える。


「実際に荷物を載せて壊れないか試します」


「何載せるの?」


 ニコが麦袋を指した。


「いきなり?」


「軽い物で試しても意味ないです」


「壊れたら?」


「直します」


「麦は?」


「拾います」


「強い」


 試した。


 一台壊れた。


「……」


 雪の上に麦袋が落ちている。


 ニコが頭を抱えた。


「だから言ったでしょう」


 ダリオは平然としていた。


「壊れると思ってたの?」


「壊れるかもしれないから試したんです」


「なるほど」


 職人たちがすぐに集まる。


 壊れた箇所を見る。


「ここだな」


「板が薄い」


「荷台の時は下から支えてたからな」


「一本足すか」


 誰も落ち込んでいない。


 直し始める。


 レオンはそれを眺めた。


「失敗してもいいんだ」


「今なら」


 ダリオが答えた。


「戦場で壊れるよりは」


「ああ」


 確かに。


 冬だからできることもあるらしい。


     ◇


 夕方。


 治療所へ行くと、ヴェラは本を読んでいた。


「また来た」


「約束したから」


「したっけ?」


「ユリウスがそう言ってた」


「自分で覚えてねえのかよ」


「細かいこと気にしないで」


 今日は治療所が少し静かだった。


 重傷者の多くは峠を越えた。


 まだ寝たきりの者はいるが、カレルから戻った直後のような騒がしさはない。


 その分、ヴェラは本を読む時間が増えたらしい。


「何読んでるの?」


「昨日も見ただろ」


「中身」


 ヴェラは本を少し持ち上げた。


「身体の中」


「見せて」


「面白くねえぞ」


「いいから」


 本を渡される。


 開く。


 人体の絵。


 腹の中。


 胸。


 骨。


 血管。


 細かい文字。


「……気持ち悪い」


「返せ」


「待って」


 ページをめくる。


「これ全部覚えるの?」


「知らねえ」


「知らないの?」


「覚えろって言われた」


「大変だね」


「他人事だと思って」


「他人だし」


「帰れ」


 レオンは笑った。


 もう少しページをめくる。


「これ何?」


「肝臓」


「何するところ?」


「……」


 ヴェラが黙った。


「知らない?」


「今読んでんだよ!」


「ごめんごめん」


 本を取り返された。


 ヴェラがページを探す。


「ここだ」


 二人で読む。


 レオンには半分も分からなかった。


「難しいね」


「だから勉強してんだろ」


「魔法で治せばいいんじゃないの?」


 ヴェラが顔を上げた。


「お前、本当に何も知らねえな」


「だから聞いてる」


「傷塞ぐだけならできる」


「うん」


「でも、中で血が出てるのに外だけ塞いだら?」


「……まずい?」


「死ぬ」


「骨が変な方向にくっついたら?」


「まずい」


「腹の中のどっかが破れてたら?」


「まずい」


「何が傷ついてるか分からずに魔力流したら?」


「……まずい?」


「場合による」


「全部同じ答えじゃないんだ」


「だから面倒なんだよ」


 ヴェラは自分の手を見る。


「治癒魔法って、何でも治せるもんじゃねえ」


 傷を塞ぐ。


 血を止める。


 骨の修復を助ける。


 身体が本来持つ回復を強める。


 できることはある。


 だが、何をするべきか分からなければ意味がない。


「私、分かるんだよ」


 ヴェラが言った。


「何が?」


「危ない奴」


 治療所の奥を見る。


「顔色とか、息とか、腹の硬さとか。何か変だって」


「うん」


「でも」


 ヴェラは本を叩いた。


「何で変なのか分かんねえ時がある」


 レオンは黙って聞く。


「こいつを先に診ろってのは分かる」


「でも治し方が分からない?」


「そう」


 少し苛立った声だった。


「それ、一番腹立つ」


 誰が死にそうなのか分かる。


 なのに。


 手が届かない。


「カレルの時もいた」


 ヴェラが言う。


「私が先に診ろって言って、先生が来て」


 助かった者。


 助からなかった者。


「先生なら治せた奴もいる」


「うん」


「私じゃ無理だった」


 それだけ言って、また本を見る。


 レオンはしばらく黙っていた。


「じゃあ覚えれば?」


「簡単に言うな」


「冬、長いよ」


「……」


「暇だし」


 ヴェラが顔を上げる。


「お前今日何してた?」


「訓練して、ニコのところ行って、ここ来た」


「暇じゃねえじゃん」


「最近それに気づいた」


「遅えよ」


 レオンは笑う。


「でも戦争ないでしょ」


「今はな」


「だから今のうちに覚えればいい」


「全部?」


「全部じゃなくても」


 レオンは本を指した。


「春のヴェラが、今のヴェラより一人多く助けられたら十分じゃない?」


 ヴェラが少し黙った。


「……一人かよ」


「少ない?」


「どうだろ」


「じゃあ二人」


「適当だな」


「十人って言ったら怒るでしょ」


「怒る」


「ほら」


 ヴェラは鼻で笑った。


 また本を開く。


 レオンも横から覗く。


「これ何?」


「脾臓」


「何するところ?」


「……」


「また知らない?」


「今から読むんだよ!」


 怒鳴られた。


     ◇


 しばらくして。


「レオン様」


 ユリウスが迎えに来た。


「夕食のお時間です」


「もう?」


「もうです」


 レオンは立ち上がる。


「じゃあ帰る」


「おう」


「ヴェラ」


「何だよ」


「飯食べた?」


 机の上を見る。


 朝から置いてあったのか分からない黒パンがある。


「食った」


「それ?」


「そう」


「足りなくない?」


「平気だよ」


 レオンはユリウスを見る。


「今日の夕飯何?」


「豆と肉の煮込みです」


「肉あるの?」


「少量ですが」


「一人増やせる?」


 ユリウスがヴェラを見る。


「一人分でしたら」


「だって」


「は?」


 ヴェラが顔を上げた。


「来る?」


「何で」


「飯」


「それは分かる」


「じゃあ来れば」


「……」


 ヴェラは治療所の奥を見る。


 老人の医師がこちらを見ていた。


「行ってこい」


「先生」


「今日はもう急患もおらん」


「でも」


「本は逃げん」


 ヴェラは少し迷った。


「……肉あるんだよな?」


「少し」


「行く」


「そこなんだ」


「うるせえ」


     ◇


 夕食にはガレスもいた。


 ダリオもいた。


 少し遅れてニコも来た。


「何でヴェラさんがいるんです?」


「肉」


「飯食べに来た」


 二人の答えが重なった。


「そうですか」


 ニコは疲れていた。


「ニコも食べなよ」


「食べますよ」


「食糧足りないって言ってたから遠慮するのかと思った」


「僕が倒れたら誰が運ぶんです?」


「偉い」


「当たり前です」


 ボルクはいない。


 治療所から宿舎へ戻され、今日は休まされている。


「明日見に行こうかな」


 レオンが言う。


「やめとけ」


 ヴェラが肉を食べながら答えた。


「何で?」


「お前行くと喋るだろ」


「喋るね」


「休ませろ」


「はい」


 ガレスがスープを飲みながら言った。


「明日は午後から訓練にしましょう」


「え」


「午前は休めます」


「やった」


「ただし座学を」


「休みじゃないじゃん」


 ダリオが笑った。


「何の座学です?」


「地図の読み方と部隊配置を」


「ダリオも来る?」


「なぜ私が」


「地形分かるでしょ」


 ダリオが少し考える。


「……まあ、ガレス殿よりは建物や道について話せるかもしれません」


「じゃあ来て」


「いいですよ」


「ニコも」


「僕は忙しいです」


「じゃあいいや」


「諦めるの早いですね」


「ヴェラも?」


「何で私が軍の勉強すんだよ」


「じゃあいいや」


「だから早えよ」


 笑い声が上がった。


 薄いスープ。


 少ない肉。


 硬いパン。


 豪華な食事ではない。


 それでも温かかった。


 窓の外では雪が降っている。


 明日も戦争はない。


 たぶん、その次の日も。


 けれど。


 ガレスは兵を鍛える。


 ニコは食糧を運ぶ。


 ダリオは壊れたものを直す。


 ヴェラは本を読む。


 ボルクは傷を治す。


 そしてレオンは。


「明日の座学、休んじゃ駄目?」


「駄目です」


「まだ何も始まってないのに」


「だからです」


 ユリウスが即答した。


 レオンはパンを齧った。


「冬、長いなあ」


「まだ始まったばかりですよ」


「……聞きたくなかった」


 また笑い声が上がる。


 その夜。


 ローデンに敵兵は一人も来なかった。


 誰も剣を抜かなかった。


 誰も死ななかった。


 そんな一日が、静かに終わった。

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