第18話 緊急臨時裁判
王宮の大法廷は、真夜中であるにもかかわらず眩いほどの光に満ちていた。
本来なら太陽の下で開かれるべき場が、今宵は無数の蝋燭によって照らされている。
揺れる炎が高い天井の壁画を照らし、歴代国王の肖像が、まるで沈黙の証人のように並んでエリシアたちを見下ろしていた。
空気は張り詰め、冷たい。
ざわめきは許されず、咳払い一つすら響き過ぎるほどだ。
中央の被告席に、パトリス・ノイダンが立たされている。
両手首には拘束具。
金糸で飾られた正装は剥ぎ取られ、簡素な衣に変えられていた。
ほんの数刻前まで、王冠を戴くはずだった男。
だが今、その背中は僅かに丸まり、かつての尊大さは影を潜めている。
それでもなお、彼のブルーサファイアの瞳には自分が裁かれる存在だという自覚はなかった。
高壇に立つのは、国際裁判所から派遣された裁判官。
白と金の法衣が床を引き、足音一つ立てずに歩み出る。
「これより、緊急臨時裁判を開廷する」
静かな声だった。
だが、その一言でノイダン王国の命運が決定づけられる。
「被告、パトリス・ノイダン。罪状は、聖女エリシア・クルーシーに対する聖女冒涜、強制接触未遂、および国際法違反」
言葉が、石床に落ちるように重く響く。
傍聴席には、王族、貴族、神官や、明日の戴冠式に出席する予定だった各国の使節。
エリシアは緊急にしては揃い過ぎた面子を見て、明日の戴冠式に国賓が集まるタイミングで王家の滅亡を仕掛けたのはブレイクだと確信した。
(パトリスを現行犯で捕まえる為に私を襲わせたのも貴方なのね)
エリシアはぎゅっと左手首のブレスレットを抑え、胸の痛みに堪える。
誰もが息を潜め、歴史の転換点を目に焼き付けていた。
「馬鹿馬鹿しい」
パトリスが低く笑った。
「聖女だろう? 癒しと慈悲を司る存在だ。愛を与えられたら、婚前だろうと受け入れるのも役目じゃないか」
その瞬間、法廷の空気が凍りついた。
「被告人、発言を慎みなさい」
裁判官の声は鋼のように冷たい。
「それでは証人を呼ぶ。聖女エリシア・クルーシー」
エリシアは一歩、前に出た。
無数の視線が突き刺さる。
期待、恐怖、猜疑、そして畏怖。
エリシアの証言により、一国が滅びようとしている。
「宣誓を」
差し出された聖印に、エリシアは手を置く。
「私は、真実のみを語ります」
声は震えていなかった。
「事件当夜、被告パトリス・ノイダンは、私の意思を無視し、婚姻前の関係を強要しました」
エリシアの証言に、ざわりと空気が揺れる。
「拒否の意思は、明確に示しましたか?」
「何度も。言葉で、態度で、明確に⋯⋯」
エリシアは恐怖を思い出し、再びブレスレットに触れ心を落ち着ける。
「それでも?」
「被告は、『君の居場所だ』『愛されていると実感すれば落ち着く』と述べ私の身体に触れました」
エリシアが嫌悪感を滲ませながら語る言葉にパトリスの顔が歪む。
「それは君を心配してやっただけだ!」
パトリスが激昂する。
「黙りなさい」
裁判官の一喝が、雷のように落ちた。
「聖女に対する接触は、本人の明確な同意がなければ、いかなる理由があろうと禁忌です。それを破った時点で、王太子であろうと免責はありません」
法廷の空気が、さらに重くなる。
「次に、十年前の王家の罪について証言させてください」
リオネルの発言と共に、ラリサ・モンドが召喚される。
「私、ラリサ・モンドは真実のみを発言すると誓います。十年前、私はルナ・ノイダン王女に黒魔術の存在を教え、王女はエリシア様が聖女と知りながら黒魔術を使いました」
法廷がざわめき出す。
エリシアは思わず吐き気がして口元を抑えた。
ラリサは自分に懐いてくれていて、友好な関係が作れていたはずだ。
自分の信じていたものが足元から崩れ去っていく。
(ラリサ⋯⋯私、貴女に何かした?)
エリシアの無言の問いかけに、最初に口を開いたのは彼女のすぐ傍に控えていたリオネルだった。
静まり返った法廷に、彼の声が落ちる。
「ラリサ・モンドは自らが王太子の婚約者の座を得るため、このような愚行に及びました。その行為は、王国法、国際法、いずれに照らしても極刑に値します」
重い断罪の言葉に法廷の空気が、さらに冷え込む。
その瞬間。甲高い声が、静寂を引き裂いた。
「お兄様! 話が違うわ! 全部話せば、命は助けてくれるって取引したはずでしょう!」
拘束されたラリサが、鎖を鳴らしながら身を乗り出す。
血走った瞳、乱れた呼吸。
先ほどまでの取り繕った令嬢の仮面は、完全に剥がれ落ちていた。
リオネルは、そんな妹を悲しげな目で見つめる。
怒りでも、軽蔑でもない、もう戻らないものを悼むような視線だった。
法廷中の視線が、ゆっくりとエリシアに集まる。
聖女の発言は王命よりも重い。
「全てを、話してください。ラリサ・モンド。貴女の愚かな企みも、その醜い心の内も全てです」
エリシアは静かに告げた。
その声は細いが、不思議なほど法廷の隅々まで届く。
一拍、間を置き、エリシアはっきりと続ける。
「司法取引は、絶対です。極刑には聖女エリシアの名においてさせないと誓います」
聖女が聖女の名において誓う事に、ざわめきが走る。
エリシア自身は、自分の言葉がどれほどの重みを持つかを、ほとんど理解していなかった。
だが聖女とはそういう存在だ。
一国の国王であろうと、帝国の皇帝であろうと、裁判官であろうとその名の下では頭を垂れるしかない。
「余裕ですね。やっぱり、エリシア様は狡い。本当に貴女が心底嫌いだわ」
ラリサが、かすれた声で笑った。
誰にも聞こえないと思ったのだろう。
だが、その言葉は確かに、エリシアの胸を刺した。
エリシアは、ラリサに嫌われている理由が分からず困惑する。
エリシアはラリサに優しく接してきた。
命令も、侮辱も、拒絶もした覚えはない。
だが、ラリサの告白はエリシアに“理不尽な嫉妬”という感情を容赦なく突き付けた。
裕福な侯爵家。
恵まれた容姿。
無自覚な善意。
エリシアが誰に対しても善良である事は難しい事ではなかった。
しかし、善良であり、誰にでも優しいことは誰からも好かれることとイコールではない。
(私、もう誰とも関わるのが、怖い)
視線が、自然と左腕へ落ちる。
琥珀の石が嵌め込まれた腕輪。
柔らかな光を放つそれは、今や冷たく不気味に見えた。
(盗聴魔法が掛かってるわよね)
これは、お守りでも同志の証でもない。
ブレイクーーセドリック・レイディンは、ノイダン王国を血を流さずに手に入れるため自分を“聖女”として利用したのだ。
(もう、誰も、信じたくない。傷つくのが怖い。このまま、消えてしまいたい)
エリシアは限界だった十年。
見捨てられ、拒絶された。
やっと心が通じ合えたと思った男は、最初から目的しか見ていなかった。
(聖女が人を虐殺した歴史⋯⋯私にも、力があるなら。人間なんて滅ぼしてしまいたい。どうして傷つけるの? 何がしたいの?)
エリシアの思考が、闇となって心を覆いかけた、その瞬間――重厚な扉が、ゆっくりと開いた。
「レイディン帝国より、セドリック・レイディン皇子殿下のご到着です」
ざわり、と法廷が揺れる。
真紅の礼服。
胸元に連なる数え切れない勲章。
眩い銀髪をオールバックに撫で付け、背筋は剣のように伸びている。
一目で格が違うと分かる。
その洗練された圧倒的オーラに誰が見ても帝国の皇子だと分かる。
補佐官ブレイクの面影は、そこにはなかった。
エリシアは、思わず目を見開く。
孤島で過ごした時間、銀髪の彼は自然体に見えた。
でも、あの時ですら“皇族らしさ”を消していた。
(どれが、本当の貴方なの?)
「この国で起きた不始末については、すべて把握している」
セドリックの低く威圧する声が響き、氷のような視線が被告席のパトリスを射抜く。
「久しぶりだな、パトリス・ノイダン。ところで、一番の罪人の出廷は、まだか?」
「も、申し訳ございません! 真夜中のため、ルナ王女殿下の取り調べは明日に⋯⋯」
慌てたリオネルが駆け寄る。
セドリックは、言葉は、それ以上不要だとでも言うように片手を上げて制した。
リオネルは目の前の皇子が、かつて知っていた“ブレイク”だということに気が付かない。
エリシアはセドリックは敢えて何時も同じ黒衣を纏っていたのだと理解した。
豪奢な礼服を着て、艶やかに手入れされた銀髪、華やかささえ感じる皇子。
地味に見えた補佐官ブレイクとは人に与える印象が真逆だ。
「ならば、寝ている間に、王女の首を落とすか? 刑は、既に決まっている。明日には、元王女だ」
セドリックは、冷酷なほど事務的な声で淡々と言い放った。
裁判など茶番だと、そう言わんばかりの断定。
その一言で、大法廷の温度は氷点下へと落ちた。
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