大変深く共感しながら読ませいただきました。
現場で表現に関わってきた方ならではの、肌感覚と構造理解が詰まった素晴らしい提言だと思いました。
私自身、わいせつ物頒布等罪のあり方には強い疑問を抱く一方で、その「法整備の難しさ」についても深く考えさせられます。
かつて昭和の時代、この条文は「ビニ本」などを通じた反社会的勢力の資金源を断つという、治安維持・組織犯罪対策としての強い実効の意味を持っていました。
しかし時代が変わり、その役割を終えた現代では、単に「やりすぎるなよ」という表現者を牽制するための、極めて曖昧な威嚇装置として機能してしまっているように見えます。
現状流通している成人向けコンテンツを見ても、判例の「徒らに性欲を刺激し、羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」という文言に厳密に当てはめれば、到底シロとは言えないものが大半だと思います。
それでも普通に販売できているのは、法的に完全に合法だからではなく、国家による「事実上のお目こぼし」に過ぎないと考えています。
警察が便宜上「モザイクの有無」を摘発基準にしつつも、いざ法廷に行けば「裁判官個人の常識や性的羞恥心」というブラックボックスで判断が分かれかねない。
そんな不安定な土台の上で、民間事業者やクリエイターだけが過剰な萎縮を強いられているこの構造こそ、真正面から問い直されるべき問題です。
一方で、この問題をさらに難しくしているのは「では、法律で細かく定義すれば解決するのか」という点ではないでしょうか。
法やルールを事細かに定義しようとすると、今度は「形式さえ満たせば実質をすり抜けられる」という、抜け穴探しの温床になってしまう危険があります。
たとえが他国の法制度の例で申し訳無いのですが、イスラム法で婚外交渉が厳禁されている地域において、一時婚の制度を悪用し、入店時に形だけの婚姻を結び、数時間だけ結婚、退店時に即座に離婚することで、実質的な売春を法的にすり抜けている実態が存在します。
「明確な形式基準」を設けてしまうと、人間は必ずその隙間を突く攻略法を見出し、制度そのものを形骸化させてしまうわけです。
もし刑法175条のわいせつ基準を厳密に数値や部位で定義しようとすれば、「この境界線の1ミリ外側ならセーフだろう」という脱法的な表現との終わりのないイタチごっこに陥る恐れがあります。
かといって現状のように曖昧なまま放置すれば、現場の過剰な自主規制と萎縮が続く……という、非常に厄介な二律背反を抱えていると感じます。
だからこそ、国家が曖昧な刑罰法規で国民を脅し続けるのではなく、投稿者様が仰るように「成人間におけるゾーニングや適切な情報提供」を前提とした、刑罰に頼らない別の枠組みへの根本的な転換が必要な時期に来ているのかもしれません。
思考を深める大変貴重なきっかけをいただきました。素晴らしい問題提起をありがとうございます。