プラットホームの向こう側
@yonayui
第1章 誰の1番でもなかったあの教室で
私は地元に向かうため、駅のホームに立っていた。
中学校の同級生たちとの飲み会に向かうためだ。
二日前に突然決まった集まりだった。
普段なら理由をつけて断るはずの誘いだったが、今回はなぜか、ふと気が向いた。本当に、ただの気まぐれだった。
指定された駅前の居酒屋に着くと、すでに五人の女子が席についていた。
「あっ、美佳だ!」
誰かが最初に声をあげたことで、「久しぶりー!」「全然変わらないね!」と口々に言葉が交わされる。冷たい夜風で強張っていた緊張が少しだけ解けて、私はあっという間に彼女たちの輪に迎え入れられた。
乾杯の後は、よくある近況トークだった。
今の仕事の話、学生時代は地味だったあの子が授かり婚したらしいこと。あの頃クラスで目立っていた悪ガキが警察に捕まったらしく、ネットニュースの画面を映したスマホが回される。
話題は移り行き、やがて通り過ぎた学生時代の思い出話になった。
フライドポテトをつまみながら、凪沙がふと遠い目をして呟いた。
「今ならさ、学生時代もう少し楽しめるかもなぁ。戻りたいよね、あの頃に」
その言葉に、周りの女子たちが一斉に「わかる」「今ならもっと上手くやれたよね」と深く共感した。誰かが「学生時代に馴染めなかった人って、大人になってから輝く人が多いらしいよ」と、どこかで読んだような雑学を口にした。
どちらかといえば、今の私はその後者(大人になってから輝く人)の枠にいる。週五日、深夜までの居酒屋バイトで足はいつも浮腫んでいて、貯金通帳の残高を見るたびにため息が出るような生活だ。それでも、あの教室にいた頃に比べれば、今のほうがずっと自分らしく息ができている。
だからこそ、私は死んでも学生時代になんて戻りたくなかった。
あの教室の閉塞的な息苦しさと、奇妙な居心地の悪さは、今思い出したくもない。
別にいじめられていたわけでもない。友達だって、それなりにいた。それでも私は、あの空間にどうしても馴染めなかった。誰かの1番になることも、特別になることもなく、ただ都合のいい数合わせのように、そこにいるだけの3年間だったから。
冷めかけたポテトを一本、口に放り込む。ケチャップの酸味が舌に広がった。過去の栄光にひたる彼女たちを冷めた目で見つめていると、不意に、斜め前に座っていた凪沙が、思い出したように私の顔を覗き込んできた。
「あ、そういえばさ、美佳。――創(はじめ)くんとは、あれからどうなったの?」
「え……?」
コーラを飲む手が、ぴたりと止まる。
創くん。どうして今、その名前が出てくるのだろう。
同じ学年で家も隣だけど、中学の3年間でほぼ一度もまともに話さずに終わったはずの、あのおとなしいお隣さんの名前だ。顔もろくに思い出せない他人の名前をなぜ今さら口にするのか、一瞬本気で理解が追いつかなかった。
「ほら、一ノ瀬創くんだよ。中学のとき、いっつも美佳の後ろを犬みたいにくっついて歩いてたじゃん。美佳のこと、世界で一番大事ですって顔してさ。二人で交換日記とかしてたよね」
隣の席の女子も「あー!いたいた!」と手を叩いた。
「美佳、いつも創くんと二人だけでぽつんと屋上にいたよね。クラスの輪には入ってこないから地味だったけど、あの二人の空気感、ちょっと羨ましかったな」
心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。指先が急速に冷たくなっていく。
「……何言ってるの? 私と創くん、中学のとき全然話したことないよ。ただのお隣さんだよ」
自分の口から出た掠れた声に、テーブルが一瞬で静まり返った。凪沙たちが、何を冗談言ってるの、という怪訝な顔で私を見ている。
「いやいや、忘れるわけないじゃん。美佳、あの頃『創が私の1番の理解者だから、クラスの奴らなんてどうでもいい』って言ってたじゃん」
頭の中が激しく混乱する。
お隣の創くんという存在は覚えている。でも、彼と過ごした特別な記憶なんて、私の頭の中には欠片もない。
けれど、凪沙たちの言葉が耳に触れた瞬間、脳の奥深く、自ら分厚いコンクリートで固めて封印していたような「別の記憶」が、メキメキと音を立ててひび割れ始めた。
(嘘……私、あの教室で一人ぼっちじゃなかった……?)
私が「誰の1番にもなれなかった」と思い込んでいた、あの灰色の中学時代。実は、私のことを「1番」に思ってくれていた男の子がすぐ隣にいて、私も彼を世界のすべてだと思っていた。そんな、嘘みたいな過去の残像が、脳裏に強烈に明滅し始める。
じゃあ、なぜ私はそれを「なかったこと」にしているの?
なぜ、彼と過ごした記憶だけが、私の頭から完全に消え去っているの――?
「美佳……? 大丈夫? 顔色悪いよ」
心配そうに顔を覗き込んでくる友達の声が、遠くのノイズのように聞こえた。私は自分の頭の異変に怯えながら、ポケットの中のスマホを震える手で握りしめた。
今すぐ地元のあの家の前へ帰り、ただのお隣さんのはずの彼の、本当の姿をこの目で確かめなければならないと、本能が告げていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます