第三章 三人

次の日、颯太は普通に来た。

「おはよ」

教室に入ってきた颯太が、俺の机を軽く叩く。

「おう」

「完全復活」

「来んなって言ったのに」

「ひどくない?」

「風邪うつされたくない」

「もう治ったって」

「昨日ギリ生きてた奴が?」

「人間、一晩あれば変われるから」

「昨日の俺と今日の俺は別人?」

言うと、颯太が一瞬止まった。

「あれ。俺それ言ったっけ?」

「宿題写してたとき」

「よく覚えてんな」

「アホなことだけな」

「もっといいこと覚えとけよ」

「お前がいいこと言ったらな」

颯太が笑った。

いつもと同じだった。

昨日一日いなかっただけなのに、久しぶりな感じがした。

「で?」

颯太が俺の机に手をつく。

「何」

「昨日の英語」

「は?」

「宿題」

「病み上がり一発目がそれ?」

「休んでたんだから仕方ないだろ」

「教科書見ろよ」

「教科書、答え書いてないじゃん」

「じゃあ自分で考えろ」

「病み上がりに厳しくない?」

「元気じゃん」

結局、ノートを出した。

「やっぱ直だわ」

「何が」

「安心する」

「宿題見せてくれるからだろ」

「それもある」

「それ“が”だろ」

颯太は笑いながらノートを持っていった。

それを見ていた健太が、少し離れたところから言った。

「復活早々いつも通りだな」

「こいつ反省って言葉知らないから」

「風邪ひいたこと反省すんの?」

颯太が言う。

「宿題の話だよ」

朝からくだらないことで笑った。

昨日より、教室がうるさかった。

たぶん颯太のせいだ。

昼休み。

「直、それうまそう」

颯太が俺の弁当を覗き込んだ。

「何が」

「唐揚げ」

「やらん」

「まだ何も言ってないじゃん」

「顔に書いてる」

「一個」

「嫌」

「昨日病気だったんだけど」

「関係ない」

「病人に優しくしようとかないの?」

「元病人だろ」

「じゃあ半分」

「唐揚げの半分って何だよ」

「切って」

「めんどくさ」

「直、冷たいなあ」

「自分の食えよ」

颯太の弁当にも唐揚げが入っていた。

「あるじゃん」

「あ」

「あるじゃん!」

「忘れてた」

「病院行ってこい」

健太が吹き出した。

「颯太、それ直の食いたいだけじゃん」

「いや、なんかうまそうに見えた」

「同じ唐揚げだろ」

「違うだろ。家違うんだから」

「一昨日も似たようなこと言ってなかった?」

俺が言うと、颯太が首を傾げた。

「一昨日?」

「アイス」

「ああ」

颯太が笑う。

「結局くれなかったやつ」

「同じアイスだったからな」

「ケチ」

「まだ言う?」

「一口くらいいいじゃん」

「だから意味ないだろ」

「意味とかじゃないんだよ」

「じゃあ何なんだよ」

「知らん」

「お前が言ったんだろ」

健太が俺たちを交互に見た。

「お前ら何の話してんの?」

「こいつが意味分かんないって話」

俺が言うと、

「直がケチって話」

颯太が同時に言った。

「どっちでもいいわ」

健太はそう言って、自分の弁当に戻った。

放課後。

帰りのホームルームが終わる。

今日は颯太に宿題を写させる必要もなかった。

昨日の分は昼休みに全部見せた。

鞄に教科書を入れていると、後ろから声がした。

「直」

「ん?」

「今日さ」

颯太が鞄を肩に掛ける。

「裕也も一緒に帰るって。三人で帰ろうぜ」

「……ああ」

答えてから、手が止まった。

裕也。

同じクラスの奴。

普通に喋る。

嫌いでもない。

何度か一緒に昼を食ったこともある。

三人で帰ったことだって、たぶんある。

「裕也、部活ないんだって」

颯太が言った。

「ふーん」

「コンビニ寄る?」

「別に」

「昨日行けなかったし」

「俺は行ったけど」

「あ、そっか」

颯太が笑った。

「一人で?」

「うん」

「昨日、一人で帰った?」

「そりゃお前休みだったし」

「健太とかは?」

「方向違うじゃん」

「そっか」

颯太が何か言おうとしたところで、

「おーい、帰ろ」

裕也が来た。

「おう」

颯太が答える。

それだけだった。

何もおかしくない。

三人で帰る。

ただそれだけ。

なのに。

なんか、嫌だった。

「直?」

颯太が俺を見る。

「何」

「帰ろ」

「ああ」

鞄を持つ。

三人で教室を出た。

最初は普通だった。

裕也が数学の小テストで赤点だった話をして、颯太が笑った。

「何点?」

「二十八」

「逆にすごくね?」

「お前三十四だっただろ」

「勝ってるじゃん」

「六点な」

「六点はでかい」

「赤点同士で争うなよ」

俺が言うと、二人が笑った。

いつもと変わらない。

俺も笑っていた。

階段を下りる。

靴を履き替える。

三人で校門を出る。

裕也が昨日見た動画の話を始めた。

颯太が知っていたらしく、二人で盛り上がる。

「最後見た?」

「見た見た。あれヤバかった」

「だよな!」

「俺、あそこで絶対――」

話が続く。

俺は知らない動画だった。

別に、それだけだ。

「直、見てない?」

颯太が聞いた。

「見てない」

「あとで送るわ」

「ん」

また二人の話が続く。

笑っている。

颯太が。

裕也と。

何が嫌なんだろう。

分からない。

俺が知らない話だからか。

二人だけで盛り上がってるから?

別にそんなこと、今まで何回もあった。

俺だって健太と颯太の知らない話をする。

颯太だって、俺以外の友達くらいいる。

当たり前だ。

「でさ」

裕也が颯太の肩を軽く叩いた。

「お前あれ覚えてる?」

「何?」

「一年の体育祭」

「あー!」

二人がまた笑う。

胸の奥が、少しだけざらついた。

なんだこれ。

「直?」

颯太がこっちを見た。

「何」

「さっきから静かじゃね?」

「別に」

「眠い?」

「違う」

「腹減った?」

「何でその二択なんだよ」

颯太が笑う。

「じゃあ何」

「何でもないって」

思ったより低い声が出た。

颯太の笑顔が少し止まった。

「……そっか」

また裕也が話し始める。

俺は前を向いた。

なんでイラついてんだ。

裕也は何もしてない。

颯太も何もしてない。

そもそも、三人で帰ろうって言われただけだ。

二人で帰る約束なんてしてない。

いつも一緒に帰ってるからって、今日も二人じゃなきゃいけない理由なんてない。

分かってる。

分かってるのに。

「今日コンビニ寄る?」

颯太が言った。

裕也が、

「行く」

と答える。

俺より先に。

それだけで、また腹が立った。

意味が分からない。

自分でも。

「……俺、今日先帰るわ」

二人が止まった。

「え?」

颯太が言う。

「何かあんの?」

「うん」

嘘だった。

何もない。

「じゃあ近い方?」

「うん」

「そっか」

颯太が俺を見る。

一瞬だけ、何か言いたそうな顔をした気がした。

でも、

「じゃあ、また明日」

と言った。

「おう」

裕也も手を上げる。

「またな」

「うん」

俺は一人で道を曲がった。

速く歩いた。

別に急いでないのに。

後ろから二人の声が聞こえなくなるまで。

なんなんだよ。

自分でも分からなかった。

三人で帰るだけ。

普通だろ。

むしろ今までだってあった。

颯太は俺のものじゃない。

そこまで考えて、足が止まりそうになった。

俺のものって何だよ。

気持ち悪。

何考えてんだ、俺。

スマホが震えた。

颯太かと思って、すぐ出した。

健太だった。

『英語の課題どこ?』

「……なんだよ」

小さく声が出た。

なんで今、颯太だと思ったんだ。

『42から』

返して、スマホをしまう。

また歩く。

さっきの二人が頭に浮かぶ。

楽しそうだった。

それだけ。

颯太が誰と喋ろうが、誰と帰ろうが、俺には関係ない。

友達なんだから。

友達だから――

そこまで考えて、やめた。

考えれば考えるほど、自分がおかしくなる気がした。

家に帰って、鞄を床に置いた。

ベッドに寝転がる。

スマホを見る。

颯太からは何も来ていない。

当たり前だ。

俺が「先帰る」って言ったんだから。

何を期待してんだよ。

スマホを伏せる。

五分もしないうちに、また見る。

何もない。

「何やってんだ、俺」

声に出す。

三人で帰るくらい普通だろ。

裕也だって友達だ。

颯太は俺のものじゃない。

もう一度、頭の中に同じ言葉が出てくる。

だから。

なんであんなに腹が立った?

分からなかった。

分からないままなのが、余計に腹立たしかった。

スマホが震えた。

今度こそ、と思った。

画面を見る。

『さっき大丈夫だった?』

颯太だった。

心臓が一回だけ強く鳴った。

すぐに開く。

『何が』

送ってから、ちょっと冷たかったかと思った。

消せない。

既読がつく。

『なんか怒ってた?』

指が止まった。

怒ってた。

たぶん。

でも、理由を俺が知らない。

『別に』

送る。

しばらく返事が来なかった。

一分。

二分。

スマホを伏せる。

また見る。

何もない。

なんで気にしてんだよ。

俺から先に帰ったくせに。

やっとスマホが震えた。

『ならいいけど』

それだけ。

何だよ、それ。

自分でも理不尽だと思う。

何て返してほしかったのかも分からない。

謝ってほしかった?

何に?

颯太は何もしてない。

裕也と帰っただけ。

いや、俺も途中まで一緒にいた。

ますます意味が分からない。

スマホをベッドに放り投げた。

天井を見る。

しばらくして、また手を伸ばす。

トーク画面はそこで止まっていた。

『ならいいけど』

その文字を見ていると、今度はさっきまでとは違う感じで胸の辺りが重くなった。

明日、どうしよう。

普通にすればいい。

いつも通り。

それで終わる。

たったそれだけのことなのに。

なぜか明日の朝が、

少しだけ面倒だった。

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