第7話 雲上の城での目覚め

見慣れない天井だった。高い天井には緻密な星図が描かれ、その隙間からは朝日が眩しいほどの輝きを落としている。ここはどこだったか、と寝ぼけた頭で思考を巡らせる。昨夜、王都の冷たい石畳の上で絶望していたこと、そして漆黒の竜の背中に乗せられ、夜空をどこまでも高く飛んでいったこと。

すべてが夢だったのではないかと不安になり、セシリアは慌てて体を起こした。

しかし、肌を包む感触はあまりにも上質だった。絹のドレスは身体の線に優しく沿い、掛けられていた毛布は羊毛よりも柔らかく、まるで陽の光をそのまま織り上げたように温かい。

「お目覚めですか、セシリア様」

静かな声に振り返ると、そこには上品な仕立てのローブをまとった初老の女性が立っていた。銀の髪をきれいにまとめ上げ、顔立ちには深い慈愛が満ちている。その傍らには、水が張られた銀の洗面器と、純白のタオルを持った若い侍女が控えていた。

「わたくしは、この城で家令を務めるマリアと申します。竜王様より、あなた様のお世話をするよう仰せつかりました」

「マリアさん……。あの、ここは……?」

「ここは、レオンハルト様が治める竜の峰の城でございます。どなた様もお通りにならない、雲の上にある静かな城ですよ」

マリアは穏やかに微笑みながら、セシリアのベッドの脇に歩み寄った。その物腰には一切の怯えや警戒の色がなく、ただ目の前の少女を大切にもてなそうとする温かさだけがあった。

「王都から遠く離れた場所ですので、さぞお疲れでございましょう。まずは身支度を整えましょうね」

「あの……私、レオンハルト様に何かお礼を……」

「王様はすでに、朝議のためにお立ちになられました。ですが、あなた様が目覚めたらすぐにでも顔を出したいと、それはもう名残惜しそうになさっておられましたよ」

「レオンハルト様が……?」

昨夜、人間の姿に戻った彼は、息をのむほど美しかった。冷徹な竜王という噂とは裏腹に、不器用なほど優しくセシリアの手を握り、自分の城へと連れ帰ってくれたのだ。あの銀灰色の瞳と、少し掠れた低い声が脳裏によみがえり、セシリアの頬がふわりと熱を帯びる。

侍女たちの手によって丁寧に髪を梳かされ、顔を洗うと、昨夜までの冷たい孤独が嘘のように体から抜けていくのを感じた。鏡に映る自分の姿は、王都の舞踏会で冷遇され、婚約破棄を言い渡されたときのやつれた少女とは違っていた。薄紅色の唇には自然な血色が戻り、瞳にはかすかな輝きが宿っている。

「まあ、なんと愛らしいお方でしょう。竜王様が一目惚れなさるのも無理はありませんね」

マリアが満足そうに目を細めて言った。セシリアは照れくさそうに首を振る。

「そんな、私はただ……」

「さあ、朝食の準備ができております。テラスへどうぞ」

マリアに促されるまま、セシリアは部屋を出た。

廊下に一歩足を踏み出した瞬間、セシリアは思わず息を呑んだ。城の回廊は白亜の大理石で築かれ、窓の外には果てしない青空が広がっている。まるで雲の海の上に城が浮かんでいるかのような、現実離れした絶景だった。足元には鳥たちが群れをなし、風の音が心地よい調べとなって耳朶を打つ。

王都の喧騒や、息苦しい貴族社会のしがらみが、この高さまで届くことはない。ここでは時間がゆっくりと、優しく流れているようだった。

風を遮るようにガラスが嵌められたテラスに出ると、そこには白い円卓が用意されており、香ばしいパンの匂いや、色鮮やかな果物が並べられていた。

「どうぞ、お掛けになってください。王様のお帰りは少し遅くなるかもしれませんが、温かいスープが冷めぬうちに召し上がってくださいませ」

「ありがとうございます、マリアさん。一人でこんなに贅沢な食事をいただくのは、なんだか申し訳ないですけれど……」

「ご遠慮なさらずに。この城の主であるレオンハルト様は、あなた様が笑顔でいてくださることが何よりの喜びなのですから」

マリアの言葉に胸が温かくなる。

席に着き、目の前に置かれたクリーム色のスープにスプーンを差し入れた。一口飲むと、優しいミルクの風味と野菜の甘みが疲れた体に染み渡る。なんて美味しいのだろうと、セシリアは自然と笑みをこぼした。

王太子エドワードのそばにいた頃は、いつも冷ややかな視線に怯え、自分がどれだけ無力で地味な存在であるかを突きつけられ続けていた。お前には癒やしの力などない、ただの役立たずだと言われ、社交界の隅で人形のように振る舞うことしか許されていなかった。

だが、ここでは違う。誰もセシリアを責めたりはしない。むしろ、マリアをはじめとする城の者たちは、セシリアをまるで大切なお姫様のように扱ってくれる。

「ふふ……」

思わず零れた笑い声に、マリアが嬉しそうに目を細めた。

「そのように穏やかな顔をなさっているお姿を、王様にもお見せしたかったものです」

「レオンハルト様は、本当に私に良くしてくださるのですね。昨夜だって、見ず知らずの私を助けてくれて……。私のような者にお城の部屋を用意して、こんなに温かくしてくださる理由が、まだ少し信じられなくて」

セシリアが不安げに視線を落とすと、マリアは優しく彼女の肩に触れた。

「あなた様はご存じないのですね。レオンハルト様は、長年あの呪いに苦しみ、誰にも心を許さず、孤独に戦い続けてこられました。その呪いを、あなた様はその優しい手で一瞬にして解いてくださった。それは王様にとって、何ものにも代えがたい奇跡だったのです」

マリアの言葉の重みに、セシリアは胸を突かれた。

呪いに囚われていた彼がどれほどの闇の中にいたのか、想像するだけでも痛ましい。それなのに、彼は自分の痛みを忘れ、絶望していたセシリアを救い出してくれたのだ。

(私も、もっと何か力になりたい……)

温かいスープを飲み干しながら、セシリアは心に誓った。王都では役に立たないと捨てられた力かもしれないけれど、この雲上の城でなら、大切な人を癒やすために使えるかもしれない。

遠くの空の向こうから、一羽の大きな鷹のような影がこちらへ向かって飛んでくるのが見えた。風を切る音が近づき、やがてその影はテラスの端へと降り立つ。

「あれは……」

セシリアが目を凝らすと、手紙を携えた使いの鳥のようだった。マリアが慣れた手つきで鳥から手紙を受け取り、封を切って目を通す。

「王様からの伝言でございます」

「レオンハルト様からですか?」

「はい。『昼過ぎには城に戻る。少しでも君の顔を見たいから、庭園で待っていてほしい』とのことです」

マリアの言葉を聞いた瞬間、セシリアの心臓が大きく跳ね上がった。

ついさっきまで夢見心地だった思考が、一気に現実味を帯びて熱を帯びる。またすぐに、あの美しい彼に会えるのだ。昨夜の眩しい笑顔を思い出すだけで、胸の奥がキュッと締め付けられるような、甘い切なさが広がっていく。

「……はい。庭園で、お待ちしていますとお伝えください」

セシリアが少し頬を染めながらそう答えると、マリアは満足そうに微笑んだ。

雲の上の城で始まった新しい日々は、セシリアの凍てついていた心を、ゆっくりと、しかし確実にとかしていくのだった。

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