強い執念とか想いとか、その果てに「現実」を凌駕していく迫力が強烈でした。
第一話は、一人の男が「岩に鬼を彫る」姿が描き出されます。災厄から周囲を守るための「醜い鬼」を彫るという。
その執念の結果として、男自身が次第に鬼へと変貌していく。
この姿だけでも相当な迫力があり、「何かを創り出す」ということに己のすべてを賭け、肉体が変質してしまうほどまでに一つのことに没頭してしまう。そんな狂気とも祈りともとれる姿が強く読む者の心に響きます。
そして第二話となり、鬼の話は一個の伝説となり、現代でオカルト話のように紐解かれるように。そして現代に生きるライターが「鬼」となった彼と邂逅することにより、彼の中にある執念や強い想いの正体が紐解かれていくことに。
この感じは、手塚治虫の「火の鳥 鳳凰編」に登場する隻腕の仏師・我王の姿なども彷彿とさせられます。
どうしてそこまで一つのものに執着するのか。全てをなげうってまで注ぎ込もうとする「想い」の正体とはなんなのか
創作に賭ける強い想いが生まれた根底には、その人その人の中に「抑えがたい衝動や感情」があるのかもしれない。
仏や鬼を彫るだけでなく、小説や絵画や音楽。世の中のすべての創作に携わる人間には、多かれ少なかれ「注ぎ込まねばならない強い何か」が存在しているのかもしれない。本作を読んで、改めてそんなことも考えさせられました。
何かを本気で生み出すためになら、それ以外のすべてを捨てても構わない。人であることも捨てても構わない。
そんな強い想いには憧れすら抱かされることもある。でも、その想いはただの創作への熱意だけでなく、もっと根底にある人間的な叫びや祈りのようなものなのかもしれない。
読後、創作という行為そのものについても改めて問い直してみたくなる、強いテーマ性の感じられる素晴らしい作品でした。
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鑿が橄欖岩を穿つ。
それがどれほどの困難であることか。
嘗て、その村には一人の男がいた。
巨大な磨崖に、仏ではなく鬼を彫ろうと
否、今も刻々と鑿を振う
自らを鬼と成ったその男は。
村を襲った疫病風を、もう二度と吹かせぬ
様に。神も仏もないのであれば
鬼を彫る。
鬼に成る。
翻って、現代の村に一人のライターが
伝説を追って 鬼を追って
山へと足を向ける。
鬼との対話は一体彼に何を齎したのか。
人との対話は、鬼に何を齎したのか。
見事な構成により過去と現在が、そして
化生と生身とが 邂逅する。
何を失い、何を得たのか。何を思い出し
何を捨てたのか。
実に見事な怪異譚。
読後には爽やかな風が山から吹いて来る。