第12話


「奥方様のおかげで大変快適に休むことができました。御礼申し上げます」


 朝食用の白いパンに木苺のジャムを塗りながら、フェリクスがにこやかに言った。


「それは何よりでございました」


「ここ数日、暑さでまともに眠れていませんでしたからね」


「お前が寝れないのは暑さのせいばかりではないだろう」


 ディートリヒがいつものように無表情で低く言う。

 フェリクスは吹き出しそうになって口元を拭う。


「君みたいに雑魚寝でも目を瞑れば眠れる男とは 違って繊細なんだよ僕は」


「閣下が、雑魚寝を」


 思わずイングリッドは目を見開いた。


「閣下になる前の話ですが。砦では士官が兵卒と寝泊まりすることも珍しくはありませんから」


「大した話ではない」


 大した話だよ、と言ってフェリクスはイングリッドに向き直る。


「この男は暑さ寒さどころか虫もいびきも関係なしに、横になれば一瞬で寝るんですよ。砦の暮らしで一番驚いたことです」


「暮らしと言うほど長くはいなかっただろう、お前は」


 当主になる前のディートリヒは、辺境伯家の傍系の一人だったはずだ。当主となることは想定もしておらず、軍人として生きるつもりだったのだろう。


「本題を忘れるところだった」


 フェリクスがカトラリーを置いた。


「西街道の宿駅の改築ついて、ファルケンラートから提案があります」


「こちらにも陳情があがっている。増改築を共同でという話か」


「話が早くて助かるね」


「昨年までの利用記録と見積りがある。後は執務室で話そう」


 ティーカップの中身を一口で飲み込み、ディートリヒはカップを置いた。


「イングリッド。君も来てくれ」


「承知しました」


 イングリッドは即座に返事をした。じんわりと胸の奥が少しだけ熱を持った。



 執務室では、近年の利用記録を見ながら、街道を交通する商人や荷の増加について話し合い、今後の見通しについて話し合われた。

 両家は合同で増改築することに合意し、規模や費用の分担についてはそれぞれ案をまとめることになった。

 イングリッドも宿泊者の増加に伴って考えられる人員の増加や物資について意見を求められた。



 フェリクスが出立したのは翌日だった。


「では宿駅のことは父に伝えておく。分かり次第書状を送ろう」


「ああ。こちらも役人と相談して進めておく」


 ディートリヒに言った後、フェリクスはイングリッドに向き直る。


「この度は大変お世話になりました。素晴らしい時間を過ごすことができ、心より御礼申し上げます」


 長い手足を折りたたんで、フェリクスは大仰に礼をした。


「こちらこそ、お越しいただきありがとうございました。道中お気をつけくださいませ」


 イングリッドも礼を返し、一言添えた。


「ご両親にもよろしくお伝えください」


「もちろんです。ディートリヒが大変に立派な奥方を迎えられたことを、美辞麗句を添えて伝えておきます」


「いらないものを添えるな」


「では事実だけにしよう。奥方が美しく聡明で素晴らしい方だったと伝えておきます」


 フェリクスは馬車に乗り込む前に振り返った。


「それでは、また」


「ああ」


「次はもう少し愛想迎えてくれ」


「善処する」


 ディートリヒは真顔で答える。

 馬車が見えなくなるまで、二人は並んで見送った。




 フェリクスを見送った後、イングリッドは小客間で報告を受けていた。

 使用した備品や食材、予定通りに進められたかどうかの点検をする。大きな不手際がなかったことを確認し一息ついたところで、扉が鳴った。

 衣装係のマイヤだった。


「奥様、お耳に入れておきたいことがございます」


 小声ではあるが、侍女の目は爛々と輝いていた。こういう場合に良い報告であることはほぼないことをイングリッドは知っている。


「何かしら」


 おっとりと言うと、侍女は前に進み出る。


「奥様付きの侍女のミリーなのですが、奥様はファルケンラート様への手土産を指定なさったのに、ミリーはフレデリカ様に聞きに行ったのでございます」


 話しながら熱が乗ってきたのだろう、最後には唾が飛びかねない勢いだった。

 ミリーは感情を読むのが上手く、その分人の機嫌に左右されすぎるきらいがある。


「そう。いつもと違ったから、確認が必要だと思ったのだと思うわ」


 フレデリカによると、フェリクスにはいつも葡萄酒を持たせているとのことだった。だが今回は贈答用のものを切らしていたので、晩餐で喜んでもらえた燻製肉と焼き菓子を用意させていた。


「ですが奥様の指示を別の者に確認するなど、あまりに奥様を軽んじたやり方です」


 そこまで言ってから、マイヤは一歩近づいた。


「フレデリカ様にそう言い含められていることもあり得ます」


「フレデリカはなんと答えたのかしら」


「……奥様のおっしゃる通りに、と」


「では私の指示を覆したわけではないのね」


 しばらく沈黙したのち、マイヤは渋々頷いた。


「……はい」


 そういう問題ではない、とマイヤの顔には書いてある。

 気づかないふりをしてイングリッドはおっとりと微笑む。

 

「知らせてくれてありがとう。助かるわ。ただしーー」


 そこでイングリッドは一拍置いた。


「次からは事実だけ話しなさい。判断はこちらでします」


「承知しました」


 マイヤは頭を下げた。表情は見えないが声は固かった。



 呼ばれて来たミリーは可哀想なほどに震えていた。


「私の指示を受けた後、フレデリカに確認をしに行ったのいうのは本当?」


「はい!申し訳ありません」


 ミリーは深々と頭を下げる。


「なぜフレデリカに確認を?」


「申し訳ありません」


 頭を下げたままミリーは呟くように繰り返した。イングリッドは声が尖って聞こえないように静かに深呼吸する。


「理由を聞いています」


「……今までファルケンラート様にご用意していたものと違っておりましたので」


 一言一言、イングリッドの反応を伺うように見ながらミリーは話す。


「なぜ私ではなくフレデリカに確認したの」


「……奥様はお忙しそうだったので。エルナも見つからなくて、フレデリカ様が近くにいらしたので」


 消え入りそうな声だった。嘘ではないのだろう。

 以前エルナに、私たちは奥様付きなのだから、フレデリカ様に聞きに行っては駄目よと言われていたのを見たことがある。

 多分ミリーもわかってはいるのだ。

 実際その時は忙しく、配慮できていなかった自覚はある。


「そう。今度からは私に聞きなさい。忙しくても構わないから」


「はい。申し訳ありませんでした」


 ミリーを下がらせて、イングリッドは息を吐いた。

 ミリーに過失はある。だが本来なら叱責するほどのものではない。

 ただ今は状況が悪い。

 正式な女主人だが実権を握りきれないイングリッドと、実績があり経験知のあるフレデリカ。

 指揮系統が曖昧でトップが二人いる状態で、派閥を作ろうとする人間が出てくるのは当然だ。

 時間が解決するのを待つべきなのか、問題が起きる前に手を打つべきなのか、イングリッドにはまだ判断がつかなかった。



 共同寝室に入ってきたディートリヒは、いつもよりも雰囲気が緩んでいるような気がした。


「今日もお疲れ様でした」


 イングリッドが微笑むと、ディートリヒも向かい側に腰を下ろす。


「ああ、お前も。今日は助かった」


 ディートリヒは少し目線を外した。照れているようにも見えた。


「……その、疲れただろう」


 ディートリヒは歯切れ悪く言う。

 理由はイングリッドにも分かる。

 ファルケンラートはディートリヒの母親の、そして先先代の当主の妻の実家でもある。

 彼女はディートリヒの叔母でありながら、先代の当主殺害の罪で、就任直後のディートリヒに処刑されている。

 はるか南のローゼンハイムまで詳細が伝わることはなかったが、確執や軋轢があっただろう可能性が高い。

 そこから十年かけて関係を積み上げたのであれば、イングリッドが水を差すわけにはいかないと気負っていたのは事実だ。


「はい。少しだけ。ですがファルケンラート卿に気を使って頂きましたから」


 イングリッドは頷く。嫡男だというフェリクス・ファルケンラートは社交が上手いのだろう。振る舞いも気遣いも洗練されていた。ディートリヒの従兄弟らしいが、最初に見た時はあまり似ていないように思えた。だが、宿場について話し合う時に並んだ二人の面差しがわずかに重なって見えた。イングリッドは思い出して少し可笑しくなる。


「……そうか。フェリクスも、お前はよくやっていると誉めていた」


「光栄でございます」


 イングリッドは微笑んだ。

 だが奥向き一つも掌握できずに、よくやっているとはとても言えないだろう、と内心で自嘲する。

 掌握するための道筋さえ見つけられていない。


「俺も、お前はよくやっていると思っている。お前が来てくれて良かった」


 はっきりと言うディートリヒの表情は逆光でよく見えなかった。

 イングリッドは少しだけ迷ってから言った。


「恐れ入ります」


 ディートリヒの返事はなかった。少しだけ胸が詰まる気がした。

 

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