第6話


「奥様。昨日閣下よりお話を承りました。今後奥様に関わることは、決定前に奥様へご確認いたします」

 翌朝、フレデリカの声も表情も昨日と変わらなかった。

 言葉だけが少し硬かった。


 思うところがないわけではないのだろう。ただそれを表には出さないようにしている、とイングリッドは判断した。

「本日は、私の寝室と衣装部屋、それから身の回りのリネンを確認します。現在の目録と、鍵を預かっている者を呼んでください」

 イングリッドはいつも通りにおっとりと言う。


「承知しました。私がご案内いたします」


「そう。では説明をお願いします」


 最初は衣装部屋だ。

 ローゼンハイムからイングリッドが持参したものの他に、アイゼンヘルトの城で保管されていたものも多数ある。

 部屋に入る時も、クローゼットを開ける時も、鍵は全てフレデリカが扱った。

 儀礼用の外套や毛皮、礼装が並んでいるのを見ながら、イングリッドはエルナに言った。


「エルナ、その外套を見せてちょうだい」


 エルナは振り返りフレデリカを見る。


「よろしいですか」


 フレデリカが頷いたのを確認してから、エルナは外套に手を掛ける。


「エルナ。私が頼んだのだから私に答えなさい。分からないなら分からない、できないならできないで構いません」


 イングリッドはエルナの目を見ながら、できる限り穏やかに聞こえるように言った。


「承知しました」


 エルナは一拍置いてから頷いた。


 しばらく夫人がいなかった城だが、手入れが良かったのだろう、衣装はどれも綺麗な状態だった。


「奥様がお持ちになった外套は美しゅうございますが、アイゼンヘルトの冬には少し寒いかと存じます。こちらの毛皮は裏地を変えれば今冬に間に合うかと」


「そうね。よく手入れされていて、とても美しいわ」


 イングリッドが答えると、扉が鳴った。


「失礼します。フレデリカ様」


 リネン室の侍女だった。イングリッドに礼を取った後、フレデリカに何事かを呟き、フレデリカが短く指示をすると、侍女は一礼して去る。


「失礼いたしました」


 そのまま衣装の見分は続き、エルナとミリーが控えていく。

 たまに他からやってきた使用人がフレデリカに確認してその都度、フレデリカが手を止める。

 遂には確認だけではすまなくなった。


「続けてください。すぐ戻ります」


 フレデリカは言ったが、鍵を持っているのはフレデリカである。続けるにも限度がある。

 イングリッドは白い毛皮を撫でながら言った。


「見事な毛皮ね。前の辺境伯夫人はいつ身につけてらしたのかしら」


 衣装部屋の係のマイヤが一歩進み出た。


「こちらは、先代の奥様が新年の謁見の際にいつもお召しになっていたものです」


「そう。手入れはどうするのかしら」


「風通しが基本です。あとは擦れないように、匂いが移らないようにと。次の奥様に良い状態でお渡しできるように」


 マイヤは笑みを浮かべていた。


「あなたたちのおかげね。ありがとう」


「また正統な奥様にお仕えできまして、心から幸いに存じます。アイゼンヘルト城も、ようやく正しい形に戻りましょう」


 衣装係達が頭を下げた。

 エルナとミリーが身じろぐ気配がする。


「ありがとう。私も嬉しいわ。でも、正しい形とは難しい言葉ね」


 イングリッドはいつも通り、おっとりと笑みを返した。

 扉がコンコンと鳴った。


「ただいま戻りました」


 フレデリカが帰ってきた。

 イングリッドたちは、何事もなかったように、また次のクローゼットを開けて見分を続ける。

 

 その中に、一際目を引く毛織物があった。

 深い濃紺で厚手の生地、毛皮の襟、留め具は銀でアイゼンヘルトの家紋を模っている。


「これは?」


「冬の城内で奥方様がお召しになる外套でございます。礼装ですので、儀礼の場でも失礼には当たりません」


「前の辺境伯夫人のものかしら」


 マイヤが口を挟む。


「はい。留め具だけは代々同じものをお使いでございます。ゆくゆくは奥様も新しく仕立てられましょうが、形も代々変わりはありません」


「今年は寸法だけ調整してこのまま使えるかしらね」


「もちろんでございます」


 イングリッドは鏡の前に立ち、近くにいたミリーに声をかける。


「ミリー、その外套を」


 ミリーは一瞬固まり、フレデリカに視線を向ける。

 フレデリカが頷くのを確認してからようやく外套を手に取って動いた。

 イングリッドは今度は何も言わなかった。ただ、鏡越しに、確かに見た。


「お似合いでございます」


 マイヤが外套を羽織るイングリッドを見て満足そうに頷いた。

 外套は重かった。

 だが鏡に映るその姿は、形にはなっていた。



 リネン室も回り自室に戻った後、エルナとミリーに休憩を言い渡したイングリッドは、ソファに腰掛けて力を抜いた。


「フレデリカも複雑な立場みたいね」


「オットー・ヴァルナーは、閣下が辺境伯に就任された際に、生家からお連れになった家宰だったとか。本城の古い使用人たちには今もそれを忘れぬ者もいるようです」


 グレーテがお茶を入れながら言う。イングリッドはカップを手に取った。


「閣下が分家筋から当主になった時は、混乱も大きかったでしょうし、少ない信頼できる者が実権のほとんどを握ることになってしまったんでしょうね」


 フレデリカが城の鍵の全てを持ち、侍女は返事一つするのさえフレデリカの顔色を窺う。

 必要とされるとはこういうことなのだろう。

 こうなれば追い出されることはないのだろうか。

 そう思いかけて、ふと指先を握る。

 だがその反動は確実にある。


「奥様、ヴァルナー親子に反感を持つものが、奥様を利用しようと近づいてくることもありましょうから、ご注意くださいませ」


「そうね。気をつけるわ」


 イングリッドはお茶を飲み干した。




 今日も夕食は一緒に取ることになっていたが、ディートリヒはしばらく現れなかった。

 はじめは食べずに待っていたが、厨房も困っているし、逆に気を使わせないように食べ始めた方がいいのかと悩んでいると、ようやくディートリヒが来た。


「遅れてすまない」


「ご多忙なのは存じております。気になさらないでください」


 ディートリヒは食べ始めてから、イングリッドが食事に手をつけていなかったことに気づいたようだった。


「次からは先に食べていてくれ」


「承知しました」


 今日の事を手短に報告すべきか悩んでいると、伝令が走ってきた。

 何事か耳打ちし、ディートリヒは席を立った。


「すまない、イングリッド。急用ができた」


「承知しました。お気をつけて」


 ディートリヒは一度だけ頷いて足早に去っていった。

 おそらく、結婚直後はあえて仕事をセーブし、できる限り食事を取ろうと努力してくれていたのだろうが、そもそもが多忙なのだろう。

 毎日夕食を一緒にというのはディートリヒにとっては負担に違いない。

 だが夜を共にしていない以上、顔を合わせられるのはこの時だけである。ただでさえ白い結婚で、食事すら共にしなくなればイングリッドの立場は軽くなるばかりだ。

 他の方法を考える必要があった。

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