クリスタル・セブン ―7つの世界と分断の神―

イミハ

プロローグ 異世界の出会いと育ての親

第1話 ビビ、という鳴き声


「マーク、こっちこっち!」


友達に呼ばれて、マークはボールを蹴った。


公園の芝生に、五歳の足音が弾む。土曜日の午後。空は青くて、雲ひとつない。


――はずだった。


「あれ……」


急に影が差した。顔を上げる。さっきまでの青空が、嘘みたいに真っ黒な雲に飲み込まれていく。


「なんか、変じゃない?」


友達が空を指差した瞬間、雲の中で光が走った。


ゴロゴロ、ではなかった。


バリバリバリッ!!


耳をつんざく音とともに、真っ白な光がマークの頭上に落ちてきた。


「うわあああああっ!!」


意識が、そこで切れた。


***


目を開けると、そこは公園ではなかった。


見たこともない紫色の空。太陽が二つ浮かんでいる。木の葉は青白く光り、虫の羽音がやけに大きい。


「……え?」


マークは立ち上がった。膝が震える。周りを見回しても、友達の姿はどこにもない。


「ママ……?」


呼んでみる。返事はない。


「ママ!」


声が裏返った。それでも誰も来ない。


「おうちに帰りたいよぉ……!」


しゃがみこんで、声を上げて泣いた。五歳児が出せる、精一杯の大声で。


***


ガサッ。


草むらが揺れた。


マークが顔を上げると、そこにいたのは犬より少し大きな、青い生き物だった。背中に小さな棘が並び、丸くて大きな目でマークをじっと見ている。


恐竜の絵本にそっくりだった。でも、もっと丸くて、間の抜けた顔をしていた。


生き物は首をかしげ、


「ビビ?」


と鳴いた。


「ひっ……!」


マークは悲鳴を上げて後ずさった。


「来ないで! あっち行けよ!」


生き物――のちにビビットと呼ばれることになるそいつは、びくっと身をすくめた。しばらくその場から動かなかった。


やがて、のそのそとどこかへ消えたと思ったら、また戻ってきた。口に、赤い木の実をいくつかくわえて。


差し出すように、マークの前にそっと置く。


マークは涙でぐしゃぐしゃの顔で、それを睨みつけた。


「いらない!」


パシッ、と払いのけた。


ビビットは「ビビ……」と情けない声で鳴いて、そのまま隣に座り込んだ。何もできない、というふうに。


それでも、離れなかった。


***


日が暮れても、マークは泣き続けた。ビビットは木の実を置いては引っ込め、置いては引っ込め、をひたすら繰り返していた。


夜になると、急に寒くなった。マークの震えが止まらなくなったとき――


ビビットの体が、ぴったりと寄り添ってきた。


温かかった。


うっすらと発光する体は、暗闇の中でランプ代わりになっていた。


マークは抗う気力もなく、その温もりに包まれて眠りに落ちた。


***


三日目。マークはまだ「帰る方法」を探して、あてもなく歩き続けていた。


「おうちは……どこだよ……」


振り返るたびに、慌てて隠れようとするビビットがいる。


その日の午後、マークはついに癇癪を起こした。


「もう嫌だ! ついてくんな!」


石を拾って投げつけた。当たらなかったが、ビビットは深く傷ついたように体を丸めた。


それでも、去らなかった。


マークは一人で走り出した。


「一人で帰るから! 待たなくていい!」


木々の間を、無我夢中で駆け抜けた。息が切れて、足がもつれても、止まらなかった。遠くでビビットの声がしたが、振り返らなかった。


やがて、視界が開けた。


そこには――巨大な影があった。


体長はマークの何倍もある、牙の生えた獣。赤い目がぎょろりとマークを捉えた瞬間、地面ごと震わせるような唸り声が響いた。


マークの体は、石のように固まった。


獣が跳ねた。


その刹那――


視界の端に、青い影が割り込んだ。


「ビビッ!!」


叫び声とともに、ビビットがマークの前に飛び出した。


牙が、その小さな体に突き刺さる。


ズドンッ!!


鈍い音。ビビットの体が宙を舞い、地面に叩きつけられて動かなくなった。


「ビビット……?」


震える足で近づく。ビビットの体から血が流れていた。目は薄く開いていたが、焦点が合っていない。


それでも、ビビットはかすかに首を動かして、マークを見た。


そして――安堵したように、目を細めた。


自分が無事だったことだけを、確かめるように。


「なんで……」


声が震えた。


「なんで、庇ったんだよ……」


答えはなかった。ただ、尻尾の先が弱々しくマークの足に触れた。


大丈夫だ、というふうに。


その瞬間、マークは初めて理解した。


このモンスターは、たった三日一緒にいただけの人間の子供のために、本気で命を張った。


木の実を拒まれても、石を投げつけられても、それでも離れなかった理由が――今、痛いほどわかった。


「ビビット……!」


マークは、血に染まったその体を、両手でしっかりと抱きしめた。


「ごめん……ごめんな……!」


薄紫の空の下、五歳の少年の泣き声がまた響く。


けれどそれは、最初の夜とは違う涙だった。


***


十年後。


十五歳になったマークの隣には、あの日抱きしめた小さな体が――今もまだ、いる。

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