第3話

何代か前のご当主が、土地一体を買い占めて以降、高台の地域は志堂本家とその一族の永住の地になっている。


都心部へのアクセスも良好で、景観も申し分なく、何よりも不届き者が現れる可能性皆無の安全地帯から好んで転居したい者などいるはずもない。


だから、親戚とこういう街中で会うのは逆に違和感があるのだ。


出来のいい兄が王道路線に乗ってくれたおかげで、継承問題とは無縁の自由な学生生活を満喫させて貰っただけでも有り難いのに、好きなことがあるなら、と家業とは全く無関係の分野に進ませてもらい、その上、大学院にまで通わせてもらっているのだから、こういうたまのお願いには喜んで答えておかなければならない。


母親の機嫌は取っておくに越したことはない。


我が家の場合、芋づる式に父親の機嫌にも繋がっているから。


父親の”幸さん”至上主義は、子供が成人する前も成人した後も変わりなく、その気質を受け継いでいる実兄も、もれなく年下の新妻至上主義を貫いている。


笑えるほど幸せで、穏やかな日常。


世の中がどれだけ不景気だろうが、末代までの志堂の安泰は約束されているし、父親と兄を見ても、この先総崩れになる心配もなさそうである。


多少家業が傾いたところで、どうとでもやっていけるだけの資産があることももうすでに知っているので。


卒業後の進路は尋鷹に任せるよと、いう父親の言葉に裏がないことも確証済み。


兄は、家業を手伝うと言えば喜んで受け入れてくれるだろうが、尋鷹がこのまま違う道を進んでも、変わらず応援してくれるはずだ。


さてそろそろかな、と腕時計の時間を確かめる。


大学院の進学祝いにと祖父母から贈られたブランドは、学生がおいそれと手を出せるレベルのものではなく。


社会人の兄ならともかく、学生の自分にはまだ早いのではと慄いたが、厚意は拒むなとの両親からの教えに従い素直に手首に巻き付けることにしてみたら、驚くことに数か月もしないうちに体に馴染んだ。


今では、愛用の腕時計と言っても過言ではないくらいだ。


同級生たちからは羨ましがられるけれど。


たまにする彼女との待ち合わせは、とにかく分かりやすい場所を選んでいる。


でないと、箱入り娘が迷宮入りするからだ。


何度か駅前の道案内をしたことがあるが、毎回きょとんとした顔を返されるので、そのうち説明すること自体を諦めた。


たぶん、彼女のこういうところは父親ではなくて、母親の気質を受け継いでいるのだろう。


今日も一番分かりやすい、中央改札口を出たみどりの窓口の前、というチョイスにした。


御堂筋線の改札前まで行ってもいいのだが、逆に混乱させる可能性を考えてこっちを選んだ。


「尋鷹くーん!」


久しぶりに聞く呼び声に、ああ今日は迷わなかったな、とホッとする。


「無事に到着したな。何よりなにより」


お役御免になったスマホをポケットにねじ込んで、空いた手でつややかな黒髪をするりと撫でる。


「またでっかい荷物持って…いつ見ても凄いな……」


推し活のためだけに作られたビニールコーティングされた大きなバックをまじまじと見つめて、手を差し出す。


「愛花(まなか)ちゃん、どれか渡して」


以前、重たいだろうとカバンを受け取ろうとしたら、これは魂なので!と断固拒否された。


から、こういう聞き方になる。


これでも一応、女性に荷物を持たせておくべからず、と育てられたので。


「じゃあ、今日の戦利品を!」


こちらも推しのバッジが大量についたトートバッグを差し出されて受け取る。


「ノーパソでも入ってんの?」


「まさか!入ってないよー。シール帳とか、色々」


「あー…シール帳ね…また流行ってんな」


「遠い目しないで。ママにも言われた。小学校の時のシール帳見せたら物持ち良すぎるってパパにも笑われたし」


「会うたびシールくれたもんな」


「尋鷹くんが喜ぶと思ってたの。もうあげません」


「うん。で、目的は達成したの?」


「したぁ!パパにこっそりお小遣い貰ったのがあったから、何とか。あ、ママには内緒で!!」


至極真面目な顔で人差し指を立てる愛花(まなか)にはいはいと頷く。


「慧おじさんはほんとに一人娘に甘いな」


「でも無駄遣いするなよって釘は刺された」


「当たり前です……にしても難波からよくもまあこんな大荷物で…」


「あの通りにいる人はみんなこんなもん。キャリー引いてる子とかいるし」


「まじか…まあ、いい気分転換になって良かったよ、受験生」


同じ研究室にも、愛花(まなか)のように推し活に勤しむ輩がいるが、本当にどうしてこの手の人間が荷物が多いのか。


聖琳女子は短大までのエスカレーター方式だが、内部生も一応形だけの進学試験がある。


高等部3年生の愛花(まなか)は、外部するわけではないが、夏休み中も補習授業を受けに定期的に通学していた。


母親の母校だからと理事になった父親の鶴の一声で、あくせく勉強せずとも望めば短大入学が秒で決まるのだが、勿論そんなことは言わない。


「尋鷹くん、卒業したらどうするの?」


「んー…今んとこは、西園寺かなぁ」


「えっ!?西園寺ってロボット開発もやってるの?」


「いまは製薬系が主力だけど、地味に開発も続いてるよ」


「はー…将来有望な人は見てる未来も違う」


「いや、別に有望じゃねぇし……好きな方向に行かせてもらったことには感謝しかないけど。なに、愛花(まなか)ちゃんもそろそろ将来のことを考えるようになった?」


「んー……外部受験する子たちは完全に将来設計出来上がってて、もう会話が異次元すぎて……うちは、パパもママもおじいちゃんも緩いから……健康で幸せならそれでいいって…ざっくりしすぎ!!」


「まあ、未来なんてこっから選び放題だから、心配せずにのびのび大きくなりなさいよ」


「わあ…大人」


「きみより年取ってるのでね。それに、迷ってるなら志堂(うち)に来りゃいいよ。うちの親も大喜びするし。席なんてもうずっと前から用意されてるから」


志堂なら、いくらでも部署はあるし、父親と兄の目が光っている場所で、まして志堂の人間に悪さをしようと企む輩はいるまい。


安全パイのつもりで言葉にしたのだが。


「…え………っっ」


返って来た反応が想像と違いすぎていて、尋鷹は一瞬たじろいだ。


真っ赤になって瞳を潤ませるような感動的な提案を今自分はしただろうか、いや、してない。


「あ……あの…っ……尋鷹くん」


「んー?」


「し、真剣に!ちゃんと!考えるのでっ」


宣誓のように片手を上げて応えた愛花(まなか)に鷹揚に頷く。


じゃあ、帰ろうか、とゆっくり歩き出した尋鷹の隣に、いつもよりも緊張気味の愛花(まなか)が続いた。



この時の提案を求婚(プロポーズ)だと勘違いした箱入り娘が、尋鷹の妻になるまで、後三年。


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