幼馴染というやつは

閉店予定

第1話 

少しくらい秋めいてくれても構わないのだが、お盆を過ぎてもなお真夏日は続き、甲子園の決勝戦の組み合わせ予想が始まる頃になっても、熱帯夜は終わらない。


来月になれば少しは涼しくなってくれるのだろうか。


というか、涼しくなってくれなくては困る。


家の中ならどれだけでも快適に過ごせる工夫と気配りをしてやれるが外ではそうはいかない。


かと言っても移動の全てを車で、というのは当の本人が嫌がるし。


ここにきて急に降って湧いた幸せな悩みに、暁鷹はどうしたものかなぁと思いながら隣を歩く新妻を見下ろした。


夫の休日を待って買い物に行きたい、と言ってくれただけでもありがたいのだが…


これまでの彼女を知る人間なら、全員が大いに頷いてくれるはずである。


自分の足で自由にどこへでもと、庇護の翼を広げられ、愛情の限りを尽くされて大切に慈しまれた浅海家の一人娘は、生まれた時から志堂の娘も同然で。


紗羽は、親世代がそうあれと望んだままに、何のしがらみに縛り付けられる事もなく、好奇心と探求心の赴くままに素直に育った。


そうして、広くて大きな鳥籠のなかで、自分の意志で暁鷹を選んだ。


選ばれたのだ、と、思っている。


その誇りと共に贈られたのは、暁鷹の肩には余りある多大な責任。


紗羽に何かあれば、浅海家だけではなく実家からも集中砲火が浴びせられるのは明白。


唯一の味方になってくれそうな実弟に至っては、最前線で矛先を向けて来そうな勢いだ。


まあ、本人の安全を思えば、有り難いのだが。


やっと日が暮れて来た18時過ぎの梅田は、週末のせいか平日以上の賑わいを見せている。


本音を言えばこんな人ごみを歩かせたくはない。


が、本人の希望でもあるし、何より適度な運動は必須と医者からも言われている。


だからこそ、この先の変化も考えて、少しでも早く快適な秋を迎えたい暁鷹だった。


「匂いだけは実物見ないと分からないから、やっぱり来てよかったぁ」


満足げに笑う紗羽が、つば広帽をちょっと持ち上げて、20センチほど上にある夫の顔を見上げて来る。


火照った頬を綻ばせる様を間近で見ていると、それだけで口元が緩んだ。


ペットボトルよりも軽い紙袋を持つか持たないかで30秒ほど店頭で揉めたが、結局休日の夫の特権ということで荷物係を任された暁鷹は、紗羽と目を合わせて微笑んだ後で、手元のそれを確かめる。


健やかな日常生活において、睡眠は食事とおなじくらい大切だ。


ピローミストと言われてもピンと来なかったし、何でも売ってるネットで買えば?と言いかけて、飲み込んで正解だった。


今夜から枕元のお元に加わることになった優しい香りは、きっと紗羽の穏やかな眠りを守ってくれる。


仕事量を調整していくことは、両方の父親から了承を貰っているし(というか全力で勧められた)テレワークも積極的に導入するつもりだが、突発出張はこの先も出て来るし、傍に居られない夜は、どうしたって出て来る。


紗羽を家出一人で置いておくという選択肢ははなからないので、実家に戻すか、もろ手を挙げて歓迎するであろう母親に託すかなのだが、まあ、それはおいおい考えるとして。


「寝すぎて朝起きれないかも」


見送れなかったらごめんね、と先に両手を合わせて来る紗羽の手を捕まえて、汗掻いてると慌てた声を無視して指を絡ませる。


「熟睡してくれたほうが嬉しいよ。寝顔に見送って貰うから大丈夫。その時は起きたら電話しておいで」


「なにそれ」


「父さんが、そうしてたって」


「一鷹おじ……いや、ほら、義父さんはぁ……」


紗羽が言いかけた言葉を飲み込んで苦笑いを零す。


両親のおしどり夫婦ぶりは、子供の頃から聞かされていたし、実際目の当たりにもしてきた。


帰宅した父親を出迎えれば、子供たちの頭を撫でた後で当たり前のように妻の名前を呼んで所在を知りたがる人なのだ。


自分の愛情深さは父親譲りなのだろう。


「俺があの人の息子だってことを忘れないように。ついでに言うと、生まれた時から紗羽をうちの娘だって言い張っている母親もいるからね」


「あー…うん…まあ、もうそうなんですけど」


「紗羽ほど志堂(うち)にぴったりな子はいないから、早く慣れようね」


「……暁くんにも?」


結婚を期に呼び方を改めた紗羽が、おずおずと伺うような視線を向けて来る。


生まれた時からずっと全力の愛情を注いできたつもりの女の子から、まさか不安げに確認されるとは。


まだまだ修行が足りないなぁと、ひっそり自嘲気味に笑う。


紗羽ほど自分の心を向けられる存在を他に知らないし、この先も知らなくていい。


大切なものはきっともうすぐ増えるのだろうが、それでも最初に見つけた光はずっと一生そのままだ。


だから、絶対的な確信を持って。


「生まれる前から待ってたよ」


にこやかに宣言すれば、繋いだ指まで熱くして、紗羽が林檎のように赤くなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る