北上凪咲は趣味が悪い
一月なのか
遠野は近くて遠い
01
わたしは相応に趣味が悪いのかもしれない。
それなりに騒がしい教室は読書をするのには向いていない。
にも関わらず、わたしがこの教室で読書をしているのは見たいものがあるからで、それは今開いているこの本ではなかった。
わたしは本を机に立てておき、盗み見るように――実際、盗み見ているのだけれど。
教卓の前。授業中なら先生の真正面になる居心地の悪そうな席で、遠野は猫背になってスマホを見つめている。
背中の半ばまで伸びた無造作な髪。
春先より少し伸びただろうか。もうそろそろ夏だけれど、切ったりするのかな。
相変わらず、話しかけづらい雰囲気。
教卓の奥、黒板の前で騒いでいる明るめな子たちは眼中にないのか、じーっとスマホを見つめているのが斜め後ろから見える。
しばらくしてから、指を動かして机に突っ伏した。
『ねえ暇』
彼女が突っ伏すと同時に、わたしのスマホにあめからメッセージが届く。
『暇そうだね』
『わかんの?』
続けざまに『なんかキモい』と理不尽なメッセージが飛んできた。
教室の様子からは想像できない口の悪さだ。
……なんて、伝えたら遠野はどんな風に取り乱すんだろう。
『ちゃんとお昼食べた?』
『チョココロネ』
単語だけの端的な報告、それもわたしは知っている。
今も口の端にチョコがくっついてること。
最近はチョココロネにハマっていて、お昼はずっとそれを食べていることも。
遠野は一度好きになったものを飽きるまで擦る人種だということを、わたしは知っている。
これも当分飽きることはないだろう。
『おひげ生えてそうだよね、あめって。なんかそんなイメージある』
『おひげなに』
『口の端にチョコとかくっついてそう』
『そんなわけないじゃん』
なんてチャットでは言っていたのに、遠野は手鏡を取り出している。
遠野の肩がびくりと跳ねて、口元を手の甲で拭ったのが見えた。
くすりと笑いそうになってしまう。
『ついてなかったよ』
『嘘つき』
『嘘じゃないし。たまにみかんって私の事見てるんじゃないかって思う』
今度はわたしの肩が跳ねる番だった。
恐る恐る遠野の方を見ても、彼女はスマホに夢中でわたしの方を見ることはない。
『なにそれ』
『なんとなく』
『というか、てことはついてたってこと?』
みかんなら、きっとそう返す。
遠野の思いつきを笑うように、話を逸らした。
『いつも見てるからね』
『こわ』
遠野は――あめは冗談として受け取ったらしかった。
遠野は顔をあげることもなければ、教室を見渡すこともない。
変わらずじっとスマホに指を滑らせている。
――振り向いてくれたらな。
承認欲求めいたものが芽を出しかけていることに気づいて、慌てて踏み潰す。
そのまま貧乏ゆすりを始めそうになる足を、わたしは必死に抑えた。
『思ったけど私ってみかんのこと全然知らないや』
『聞かれないからね』
『聞いたら答えるの?』
『興味あるの?』
『うーん、なくはなくもない』
遠野は頬杖をついて、退屈そうに欠伸をした。
興味ありますよ、とでもいいだけな文言に、スマホを握る右手に力がこもる。
けれど、わたしのスマホにあめからの質問が表示されることはなかった。
『逆に質問あったら答えてあげてもいいよ』
なんだそれ。
『じゃあ今何してるの』
少し時間を置いてから返事をしてみる。
遠野が机に突っ伏した上半身を起こしたのが見えた。
『みかんと話してる』
すぐに返事が返ってきた。
『なんかかわいい』
『えきもい』
ふふ、と今度ばかりは本当に笑いそうになって、口を手で覆う。
机に立てかけていた本はいつの間にか倒れていた。
あめとのコミュニケーションは、猫に構うのに少し似ている。
機嫌を損ねないよう距離を測りながら、気まぐれな反応が返ってくるのを待つ。
いつか画面越しではなく、遠野と顔を合わせてちゃんと話せたら。
わたしと遠野のあいだには、いつまでも二重かぎかっこがついている。
それをひとつ外したい。
そう思ってしまうことが、最近は多い。
でも、もし伝えてしまったなら。
あめは、遠野はきっとわたしから離れていく。
――あまり善い接触の仕方をできたとは、言えないから。
だから、言えない。
スマホから目を逸らした代わりに視界に収まったのは、チョココロネが入っていたビニールをぼーっと見つめている遠野だった。
チョココロネだって、いつかは飽きる。
みかんだって、いつかは――。
居た堪れなくて現実からも目を逸らし、代わりに窓から空を見た。
空の奥は灰色の雲で覆われていた。
もう間もなく梅雨がやってくる。
今がきっとベストタイミングなのだと思う。
本当のことを言うには。
そう思っているうちに、一週間が、一ヵ月が、半年が経ってしまった。
熟せば熟すほど、蜜柑はより甘美な香りを発し続ける。
気づけばわたしの中のみかんは随分と存在感を増している。
この調子だと、梅雨が終わっても、六月が終わっても、三年生になったとしても。……わたしは彼女に、みかんが北上凪咲であることを言う日は来ないんだろう。
ため息をつくと、手の中のスマホが小さく揺れた。
『無視しないでよ』
それを見て、頬が緩むのを自覚して、わたしはげんなりした。
やっぱり、わたしは趣味が悪い。
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