第一章 悪意しかない王命結婚①

 第一王子に婚約破棄されてから、グランディール侯爵家の名は坂を転がり落ちる石のように失墜していた。

 世間では「見捨てられた令嬢」「哀れな侯爵家」とささやかれ、今やしきの使用人も半分以下になっている。

 夜もけた頃、侯爵家の居間では暖炉の火が小さく揺れていた。

 かつては調度品で埋まっていたはずの棚が、今はところどころぽつりと空いている。壁にかかっていた絵画も、いつの間にか外されていた。広い部屋がいっそう広く感じられるのは、そのせいかもしれない。

 アメリアと弟のエドマンドは、テーブルを挟んで向かい合う。

「エドマンド、例の商会の方はどうなの?」

「まあ、なんとか。細々とだけど、商人たちも今は面白がって話に乗ってくれている。だけど、グランディール家の赤字を補うにはまだ足りないのが実状だよ」

 アメリアとおそろいの銀髪を爽やかに揺らしながら、エドマンドは苦笑している。その瞳の奥には、珍しく疲労の影が見えた。

「このまま軌道に乗ればいいんだけど……今のところは、五分五分かな」

「……そう」

 低く落とされた声に、アメリアは静かにうなずいた。

 侯爵家が体裁をなんとか保っていられるのも、エドマンドのおかげだ。彼が商会を立ち上げ、昼夜問わず奔走してくれているからこそ、今日この屋敷にあかりがともっている。

 だがその働きにも、限界はある。目の前の弟の疲れた目が、それを静かに物語っていた。

「あなたにだけ苦労をさせてしまって、ごめんなさいね」

「姉さんが謝ることじゃないよ。父さんさえ大人しくしていてくれたらいいんだけど」

 アメリアに答えるその声音には冗談めかした軽さがあったが、エドマンドの瞳はけんのんな光を帯びている。

 彼の奮闘むなしく侯爵家の財政が立て直せていないのは、ひとえに父が再び詐欺まがいの投資話に引っかかったせいだ。

 せっかく商会の利益を少しずつ積み上げても、父の一手で水泡に帰してしまう。

(よいカモにされているようですわね)

 父はもともと画家を夢見ていた人だが、家督を継ぐ立場ゆえに諦め、領地の経営に真面目に向き合ってきたのだといつか母が教えてくれた。

 とはいえ商売や駆け引きはからきしで、人の言葉を疑うこともしない。今回の件も友人の借金を肩代わりしたことから始まり、次はいいもうけ話があるからと乗せられて……。

「お父様をどこかに縛り付けておけないかしら」

「僕も考えていたよ。母さんとも、離れに監禁しておこうかって話も出たくらいだ」

「困ったものね」

 アメリアは小さく息を吐く。

「エドマンド。あなた、わたくしに隠していることがあるでしょう?」

 世間話の延長のように柔らかく問いかけながら、アメリアはまっすぐに弟を見た。

 エドマンドの肩がわずかに跳ねる。普段は軽口ばかりたたく彼が、このときばかりは言葉を探すように口を閉ざした。

 小さい時から見てきた弟のポーカーフェイスを見破る自信はある。たとえ周囲の人を欺けても、アメリアには通じない。

「わたくしに縁談が来ているでしょう。あなたが握りつぶしているの? それともお父様?」

「なんのことだかわからないなあ」

「条件の悪い縁談ばかりなのでしょう」

 アメリアが問うと、エドマンドは観念したのか笑顔をやめて肩をすくめた。

「やっぱり姉さんはごまかせないな。話は来ているけど、姉さんにはふさわしくないから見せてないだけ」

 没落間近で婚約破棄をされた侯爵家の令嬢。通常の縁談が来ないことは承知の上だ。

 高齢な貴族の後妻や、裕福な商人あたりからの打診が来ていることは想像にかたくない。おそらくは、侯爵家への融資も持ちかけられていることだろう。

 その手段を取らずに済むよう、エドマンドは駆け回ってくれているのだ。

 だが、事態は深刻だ。手っ取り早く家の窮地を救うために打つ手があるのであれば、アメリアとしても本望だ。

「わたくしも、このままではいけないと思っているわ」

 そう告げると、エドマンドはあからさまに嫌そうな顔をした。

「姉さんにあんな金だけある年寄りの好色貴族なんて、絶対に似合わないよ」

「似合う似合わないなんて、言っている場合かしら?」

「僕だって義兄になる人はちゃんと選びたいんだよ。父さんよりとしうえの人を『お義兄にいさま』だなんて呼びたくない」

「あらあら。エドマンドは口うるさいじゆうとになりそうね」

「任せて」

 軽口を言い合って、二人は笑った。

 けれどその笑いもすぐにしぼみ、静かな間が落ちる。

(家のためになるのであれば、どこへでも嫁ぐわ。どんな縁談であっても構わない)

 グランディール家の長女として生まれ、貴族の一員として育ってきた。元より政略結婚の駒になることは覚悟している。

 暖炉の火がぱちぱちと音を立てる。

 アメリアは視線を落とし、カップを両手で包み込むように持ちながら、穏やかに笑った。

「心配しないで、エドマンド。どんな縁談がきても、わたくしならなんとかなるわ」

 紅の目は柔らかに細められ、けれどその奥にだけは揺るぎない光がある。

 それで弟が、このグランディール侯爵家が救われるなら迷いはない。

 そのいさぎよさに、エドマンドは言葉を失う。

「姉さん……」

 苦笑を浮かべかけた唇が、最後には何も言えずに閉じられる。

 頼りなげに燃える炎が、二人の沈黙を照らしていた。

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