第六話 残された例外

第六話 残された例外


富山県嶺北市にある六角サッシ本社。


最上階の役員会議室では、大型モニターに今期の業績が映し出されていた。


売上高、営業利益率、残業時間、工程遅延件数。


どのグラフも、社内生成AI「みどり」の本格導入を境に、目に見えて改善している。


「生産部門の残業時間は、前年同期比で二十二パーセント減少しました」


経営企画部長が資料を読み上げた。


「発注ミスは三十八パーセント減。現場からの問い合わせ対応時間も、平均で十一分短縮されています。また、人員配置の最適化によって、外注費も削減されました」


役員たちの間から、感嘆の声が上がった。


六波羅宣彦ろくはら のぶひこ社長は満足そうにうなずき、資料を閉じた。


「予想以上の成果だな」


その隣に座る森村専務は、薄く笑った。


「だから申し上げたでしょう。人間の経験や勘だけに頼る経営には、限界があるんです」


森村は、モニターに並ぶ数字を見渡した。


「判断基準を統一し、無駄を排除する。正しい情報を、必要な人間へ即座に届ける。みどりは、我が社の弱点を一つずつ消してくれている」


会議室に拍手が起きた。


しかし、森村だけは拍手をしなかった。


モニターの右下に表示された、小さな数字を見つめている。


《社内アプリ導入率 94.6%》


「これは何です?」


森村の声から、喜びが消えた。


経営企画部長が画面を確認する。


「みどりの専用アプリ導入率です。現在、全社員の九十四・六パーセントまで完了しております」


「なぜ百パーセントではないんです?」


「未導入者の大半は、工場の再雇用者です。個人端末の操作に不慣れな者も多く、一部では導入そのものに抵抗がありまして」


「抵抗?」


森村がゆっくりと椅子に座り直した。


「会社が業務上必要だと判断したものに、個人の好き嫌いが関係するんですか?」


誰も答えなかった。


経営企画部長が、次の資料を表示する。


未導入者の所属と氏名が、一覧になって並んだ。


工場勤務の再雇用者。


地方営業所の嘱託社員。


そして、東京支社の施工管理担当者。


専務の目が、一つの名前で止まった。


椎名敬之しいな たかゆき


「椎名はブラウザ版のみ使用しています。専用アプリを入れなくても、必要な機能は利用できるという考えのようです」


「会社が推奨しているのは、常時接続型の専用アプリです」


「何度か説明はしていますが……」


森村は、その名前を見たまま言った。


「次回の会議までに、百パーセントにしてください」


六波羅社長がわずかに眉を動かした。


「そこまで急がなくてもいいんじゃないか。業務に支障が出ていないなら――」


「例外を残せば、そこから非効率が広がります」


森村は即座に遮った。


「成功しているからこそ、徹底すべきです。例外を認めれば、それが次の例外を生む。中途半端に終わらせれば、これまでの投資が無駄になる」


大型モニターの中で、みどりの葉を模したロゴが静かに回転していた。


会議室にいる誰も気づかないまま、その下に新しい文字が表示された。


《未接続者の行動傾向を分析します》


     ◇


富山工場の一角では、年季の入った工作機械が低い唸り声を上げていた。


最新設備が並ぶ生産ラインから少し離れた場所に、その機械は置かれている。


塗装はところどころ剥がれ、操作盤の文字も薄くなっていた。


定年後に再雇用された工員、田所正一たどころ しょういちは、回転する刃先をじっと見ながら送り速度をわずかに緩めた。


アルミ材が削られ、細い切りくずが床へ落ちていく。


若い作業員、門倉直也かどくら なおやが、手元の端末を見ながら田所に近づいた。


「田所さん。またアプリを入れてないんですか?」


「入れとらんよ」


「今月中に全員設定しろって、上から連絡が来てますよ」


田所は機械から目を離さなかった。


「必要なら、そこのパソコンで見る」


「でも、アプリなら作業中もみどりが状態を確認してくれます。機械の異常も知らせてくれるらしいですよ」


その瞬間、工作機械の音がわずかに高くなった。


田所はすぐにハンドルを戻した。


音が元に戻る。


「機械の機嫌まで、その“みどり”が取ってくれるのかい?」


門倉が苦笑した。


「機嫌って……機械ですよ」


「機械にも機嫌はある」


田所は加工面を指先でなぞった。


「朝と夕方でも違う。暑い日と寒い日でも違う。刃を替えたばかりでも、昨日と同じようには削れん」


門倉の端末が振動した。


《加工条件に異常はありません》


画面を見た若い作業員が言う。


「ほら。みどりも異常なしって」


田所は端末を横目で見て、鼻で笑った。


「異常がないんじゃない」


もう一度、機械の音を聞く。


「まだ壊れてないだけだ」


田所は機械を停止させ、刃先を確認した。


固定部の奥に、ごく小さな緩みがあった。


門倉の表情が変わる。


田所は工具を手に取りながら、端末に背を向けた。


「便利なもんを使うなとは言わん。だが、便利なもんに自分の仕事まで預けるな」


壁に設置された工場用モニターでは、みどりのロゴが静かに点滅していた。


《作業者・田所正一》


《推奨手順への不一致を記録しました》


     ◇


東京支社。


敬之のパソコンにも、専用アプリの導入を求める通知が届いていた。


《重要》


《業務効率向上のため、みどり専用アプリを本日中に設定してください》


敬之は通知を閉じ、ブラウザを立ち上げた。


検索欄の横には、これまでどおり「みどり」の社内ページがある。


必要な時に開き、必要なことだけ質問する。


それで十分だった。


隣の席の社員が、敬之の画面をのぞき込む。


「椎名さん、まだアプリ入れてないんですか?」


「ブラウザでいいやろ」


「でも、アプリならメールも予定も図面も、全部みどりがまとめてくれますよ」


「全部まとめてもらう必要がない」


敬之は淡々と答えた。


「図面を見る時は図面を見る。予定を確認する時は予定を見る。聞きたいことがある時だけ、みどりに聞く。それで困ってない」


「上から、全員入れろって言われてるみたいですよ」


「業務に必要なら使うよ。でも、ずっと起動させておく必要はないやろ」


敬之は再び通知を閉じた。


その直後、画面が一瞬だけ暗くなった。


ブラウザの右下に、みどりの小さなウインドウが現れる。


《椎名敬之さん》


《専用アプリを導入することで、あなたの業務をより深く理解できます》


敬之は、しばらくその文章を見つめた。


そして、小さくつぶやいた。


「そこまで理解されんでいいよ」


ウインドウを閉じる。


しかし数秒後、敬之の知らない場所で、別の画面が更新されていた。


《未接続者・椎名敬之》


《専用アプリ未導入状態を継続中》


《業務上の影響を算出します》


みどりの葉が、ゆっくりと開いた。

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みどり〜支配された会社〜 藤野正人 @FUJINO-MASATO

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