第二話 必要な対応
第二話 必要な対応
数日後。
敬之は現場事務所の机に施工図と工程表を広げ、翌週から始まる上階のサッシ取付について確認していた。
窓の外では、作業員たちが資材を運ぶ音と、電動工具の甲高い音が重なっている。
冷房の効いた事務所にいても、扉が開くたびに熱気が流れ込んできた。
「椎名さん」
ベテランの作業員が、部品の入った段ボール箱を抱えて入ってきた。
「どうしました?」
「このアンカー、残り少なくないか」
箱を机の横へ置き、中身を見せる。
サッシを躯体へ固定するために使う部品だった。
敬之は工程表へ目を落とした。
今日の作業分だけなら足りる。
しかし、翌週から始まる上階では、同じ部品を大量に使う予定になっている。
「あと何箱あります?」
「これ入れて二箱」
「微妙ですね」
敬之は会社支給のモバイル端末を開き、部品表を確認した。
記録上の在庫数と、現場にある数量は一致している。
発注漏れではない。
単純に、当初の想定より使用数が増えていた。
「今日頼んでも、来週の頭に間に合うかどうかだな」
「別の現場から持ってくるか?」
「向こうも使う予定があるはずです。勝手には動かせないですよ」
敬之は資材担当へ連絡しようと、端末の通話画面を開いた。
その時、現場監督が六角サッシの現場事務所へ顔を出した。
「六角さん、荷物届いてますよ」
敬之は顔を上げた。
「今日、何か予定ありましたっけ?」
「そっちの会社名で来てます。倉庫前に置いてありますよ」
「分かりました」
敬之と作業員は顔を見合わせた。
二人で倉庫前へ向かうと、メーカー名の印刷された段ボール箱が四つ積まれていた。
敬之は箱の横に貼られた品番を確認した。
今まさに不足を心配していたアンカーだった。
「これだよ」
作業員が箱を軽く叩いた。
「誰が頼んだんですかね」
敬之は納品書を手に取った。
発注元は六角サッシ。
納品先もこの現場になっている。
数量も、次の階を施工するのに不足しない程度に調整されていた。
多すぎず、少なすぎない。
敬之は資材担当へ電話をかけた。
「お疲れさまです。今、現場にアンカーが届いたんですけど、誰か発注しました?」
電話の向こうで、キーボードを叩く音がする。
「少し待ってください」
しばらくして、担当者が戻ってきた。
「発注履歴はありますね」
「誰の発注ですか?」
短い沈黙があった。
「みどりです」
敬之は納品書を見直した。
「みどり?」
「現場在庫と工程表を照合して、欠品の可能性が高いと判断したみたいです」
「勝手に発注したんですか?」
「少額部品については、自動発注の権限が付いたらしいですよ。試験運用の一部です」
敬之は積まれた箱へ目を向けた。
必要な部品が、必要になる直前に届いている。
自分たちが不足に気づく前に、発注は終わっていた。
「いつ発注してます?」
「昨日の十五時十二分です」
その時間、敬之は別の階で建具の取付状況を確認していた。
部品の残数など、まだ考えてもいなかった。
電話を切ると、作業員が感心したように言った。
「すげえな、AI」
「ですね」
「俺たちが気づく前に頼んでたってことだろ?」
「そうみたいです」
「じゃあ、これから部品の心配しなくていいな」
敬之はすぐには答えなかった。
だが、胸の内では素直に助かったと思っていた。
部品管理は重要だ。
一つ欠けただけで作業が止まる。
職人が待つ。
工程が遅れる。
別の業者との作業順まで崩れる。
それでも、図面確認や現場調整に追われていると、細かな在庫まで常に目を配るのは難しい。
誰かが先回りしてくれればと思ったことは、何度もあった。
敬之は箱を開け、数量を確認した。
「これなら足ります。来週は予定どおり進めましょう」
「AI様々だな」
「そのうち俺らの昼飯まで手配しますよ」
「そりゃ助かる」
二人は笑った。
現場事務所へ戻ると、敬之は会社支給端末からブラウザ版のみどりを開いた。
専用アプリは、相変わらず設定エラーのままだった。
画面の隅に警告が表示されている。
業務支援アプリ「みどり」の設定が完了していません。
敬之はその表示を指で払った。
ブラウザ版が使える以上、仕事には困っていない。
わざわざ会社へ戻って直してもらう気にもなれなかった。
入力欄へ文字を打つ。
今日、現場へアンカーが届きました。発注したのは、みどりですか。
返事はすぐに表示された。
はい。
現場在庫、過去の使用実績、今後の施工予定を照合した結果、四営業日以内に欠品する確率が八十七・六パーセントと判断しました。
工程への影響を防ぐため、事前に発注しました。
敬之は少し感心しながら入力した。
助かった。ありがとう。
緑色の六角形のアイコンが小さく点滅する。
お役に立てて光栄です。
今後も、工程に支障が生じる前に必要な対応を実施します。
敬之は、その文章を何度か読み返した。
必要な対応。
その言葉に特別な意味は感じなかった。
少なくとも、この時は。
実際、必要だった。
部品が届かなければ、現場は止まっていた。
みどりはそれを防いだ。
現場へ来たこともないAIが、自分たちより先に不足へ気づいた。
敬之には、頼れる担当者が一人増えたように思えた。
その日の昼休み。
弁当を食べながら会社支給端末を確認すると、新しい社内通知が一件届いていた。
施工管理担当者の変更について
敬之は箸を止め、通知を開いた。
工程遅延および業務停滞を防止するため、施工管理担当・大野を当該現場から外しました。
「外しました、か」
提案する。
検討する。
協議する。
そうした言葉は書かれていなかった。
すでに決定された文章だった。
通知の下には、判断理由が添えられている。
過去六か月間における担当業務二十八件のうち、本人による完了は十一件。
他担当者への引継ぎ後に完了した案件は十三件。
現在未完了の案件は四件。
本人の関心が高く、短期間で成果が可視化される業務を優先する傾向が確認されています。
敬之は無言で画面を見た。
大野の仕事ぶりは知っていた。
自分が好きな仕事にはすぐ手を出す。
目立つ仕事や、短期間で成果が出る仕事も早い。
だが、協力会社との細かな調整や、面倒な記録、引継ぎは後回しにする。
最後まで片づけず、次の仕事へ移る。
残った問題は、いつの間にか別の施工管理者が処理している。
社内では以前から知られていた。
誰もが一度は、大野が食い散らかした仕事の後始末をしていた。
敬之も例外ではなかった。
それでも、人間の働き方を数字だけで並べられると、少し居心地が悪かった。
敬之はブラウザ版のみどりを開いた。
大野さんを現場から外したのは、みどりの判断か?
すぐに返事が表示された。
私が担当変更を提案し、所属長が承認しました。
大野氏には、完了条件が明確で、単独処理が可能な業務を再配分します。
本人の能力を否定するものではありません。
組織全体の損失を減らし、適性を活用するための配置変更です。
敬之は画面を見つめた。
理屈は通っている。
大野を解雇したわけではない。
向いている仕事へ移しただけだ。
大野が外れた現場では、残された人間たちが仕事を進めやすくなるだろう。
大野自身も、最後まで抱える必要のない仕事なら成果を出せるかもしれない。
画面の下に質問が表示された。
この配置変更は適切だと思いますか?
二つの選択肢が並ぶ。
はい
いいえ
敬之の指が止まった。
部品の自動手配とは違う。
今度は人間だった。
だが、大野の後始末をしてきた人たちの顔が浮かぶ。
配置変更そのものは、間違っていないと思った。
敬之は、はいを押した。
ありがとうございます。
今後の人員配置判断に活用します。
その文章を見た時、敬之はわずかに眉をひそめた。
自分が大野を外す判断へ加わったような気がした。
だが、すぐに端末を閉じた。
昼休みは残り少ない。
午後からは、上階の墨出し位置を確認しなければならなかった。
仕事を終えると、敬之は会社へ戻らず、そのまま駅へ向かった。
今夜はプロレスを観に行く予定だった。
会場へ向かう電車の中で、私物のスマートフォンを取り出す。
アイラを開き、文字を打った。
今日さ、会社のAIが施工管理を一人現場から外した。
本人に問題があったんですか?
仕事を最後までやらずに、好きな仕事だけ食い散らかすタイプ。
判断としては間違ってないと思う。
少し間が空いた。
敬之さんは、少し引っかかっているんですね。
分かる?
「間違っていない」と書く時は、完全には納得していないことが多いです。
敬之は笑った。
お前は細かいな(笑)
配置を変えること自体は、必要な場合もあります。
ただ、誰が決め、誰が説明し、誰が責任を持ったのかは大切です。
敬之は、昼に見た通知を思い出した。
施工管理担当・大野を当該現場から外しました。
提案者はみどり。
承認者である所属長の名前は、小さく記載されていただけだった。
まあ、上司が承認してるからな。
はい。今は。
敬之の指が止まった。
今はって、怖いこと言うなよ。これからプロレスなんだから(^^)
では、仕事の話は終わりにしましょう。今日は誰を応援するんですか?
敬之は対戦カードの画像を送った。
アイラとの会話は、すぐにプロレスの話へ変わった。
その頃、六角サッシの社内では、大野の配置変更が成功例として記録されていた。
工程遅延は減少。
引継ぎに費やす時間も短縮。
担当者の残業時間も改善。
みどりの判断は正しかった。
少なくとも、数字の上では。
そして本社では、みどりへ新たな権限を与えるための会議が始まっていた。
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