第3話 直継との邂逅
義教の気まぐれは、藤子の心をさらに疲弊させた。彼は数日に一度、突然彼女を寝所に呼びつけたが、それ以外の日は彼女を放置した。呼びつけられる夜は、義教の欲望が藤子の体を傷つけ、心を踏みにじる繰り返しだった。彼の手は、愛情や優しさを知らず、ただ支配と征服を求めた。藤子は、行為のたびに母の狂った笑顔を思い出し、自分も同じ道を辿るのではないかと恐れた。
呼びつけられない日々、藤子は義教の邸の奥で孤独に過ごした。彼女の部屋は、薄暗く、窓の外には竹林が風に揺れるだけだった。侍女たちは藤子を遠巻きにし、義教の側室としての彼女を蔑む目で見つめた。藤子は、時間を持て余し、和歌を詠むことで心を保とうとした。彼女の筆は、かつて花の御所で賞賛された流麗なものだったが、今は悲しみと絶望が滲む。
月影に 心は沈む 竹の葉の
そよぐ音さえ 涙を誘う
和歌を詠む以外に、藤子は庭の草花を眺め、かつて母が愛した桜の木を思い出した。ある日、庭の片隅で小さな菫を見つけた彼女は、土を指で掘り、その花を小さな土器に植え替えた。菫の紫は、藤子の心にわずかな安らぎを与えたが、義教の召しの声が響くたびに、その安らぎは砕け散った。
直継との出会いは、そんな孤独な日々に光を投じた。直継は、義教の忠実な家臣として邸に出入りし、藤子に義教の命令を伝える役目を負っていた。三十半ばの彼は、戦場で鍛えられた体躯と、鋭い目つきを持ちながら、どこか哀しげな表情を浮かべていた。
藤子は、最初は彼を義教の狗として警戒したが、直継の言葉には他の武士とは異なる柔らかさがあった。ある日、藤子が庭で菫に水をやる姿を見た直継は、静かに呟いた。「辛いだろう。こんな場所で、そなたのような女が……」その言葉に、藤子は初めて心が揺れ、目を上げた。直継の瞳には、義教への忠誠と、藤子への同情が交錯していた。
その夜、藤子は庭で月を見上げていた。月の光は、京の夜を白く染め、竹林の影を長く伸ばしていた。直継がそっと近づき、彼女の隣に立った。「将軍の命は絶対だ。だが、俺にはお前をただの道具とは思えん」と彼は言った。
藤子の胸は、恐怖と期待で高鳴った。彼女は言葉を返せず、ただ月光に照らされた直継の顔を見つめた。彼の顔には、戦場の傷が薄く残り、口元には苦しげな笑みが浮かんでいた。
直継の手が、藤子の手に触れた。その瞬間、彼女の体は震え、義教の冷たい手との違いに息を呑んだ。直継は、藤子の目をじっと見つめ、「嫌なら、離す」と囁いた。
藤子は、母の警告「鬼に魂を売るな」を思い出したが、直継の瞳に宿る優しさに、心が溶けた。彼女は小さく頷き、直継の手が彼女の背中に滑った。麻の衣がゆっくりと解かれ、月の光が藤子の白い肌を照らした。直継の指は、義教の乱暴な手とは異なり、まるで壊れ物を扱うように慎重だった。彼の指が藤子の首筋を撫で、背中を滑ると、彼女は初めて自分の体が熱くなるのを感じた。
直継の唇が藤子の首筋に触れ、彼女の吐息が月夜に響いた。彼の手は、藤子の胸を優しく包み、爪痕を残さぬよう丁寧に動いた。藤子は、義教に汚された自分が、直継に触れられる資格があるのかと自問したが、直継の体温がその疑問を溶かした。
二人は庭の草むらに倒れ、月の光の下で一つになった。直継の動きは、藤子の意志を確かめるようにゆっくりと進み、彼女の体が反応するたびに、彼は囁いた。「お前は美しい。道具なんかじゃない」藤子は、快楽に溺れる自分を嫌悪しながらも、直継の腕の中で初めて「生きている」と感じた。彼女の体は、直継のリズムに合わせて震え、月の光が二人の汗に濡れた肌を輝かせた。
行為の後、藤子は直継の胸に顔を埋め、涙を流した。「これが不倫なら、私は罪人だ」と彼女は呟いた。直継は黙って彼女を抱きしめ、月の光に照らされた彼の顔には、義教への忠誠と藤子への愛の間で揺れる苦しみが浮かんでいた。
藤子は、直継の心臓の鼓動を聞きながら、初めて自分の存在が誰かに必要とされていると感じた。だが、その幸福は、義教の邸の冷たい空気の中で、脆く儚いものだった。
登場人物
◯藤子
主人公。二十歳を少し過ぎた女房で、花の御所に仕える公家の娘。父は公家の山科教言。母・葵は足利義満の愛妾として心を病み自死。藤子は母のトラウマを抱えながら、義教の側室として召される。義教の暴力と屈辱、直継との愛を通じて、奴隷から自由を求める女として成長。逃亡後は村で新たな人生を築く。
◯足利義教
室町幕府の将軍(第六代)。藤子の支配者で、冷酷な権力者。史実では1429年~1441年在位。残虐な統治で知られ、嘉吉の乱で暗殺される。物語では、藤子を性奴隷として扱い、直継を罰する。
◯直継
義教の忠実な家臣(武士)。藤子の愛人。三十半ば、戦場で鍛えられた体躯と傷を持つ。義教に仕えながら、藤子に同情と愛を抱く。裏切りが露見し、折檻・追放される。
◯葵
藤子の母。公家の娘で、足利義満の愛妾。義満の無体な振る舞いで心を病み、藤子が七歳の時に桜の木の下で自死。
◯山科教言
藤子の父。公家で、『看聞日記』の著者。史実では室町時代の公家。物語では、娘を義教に差し出すことを黙認し、家族の名誉を優先。藤子の事件を「家の恥」と記す。
◯足利義満
第三代将軍。葵を破滅させた過去の人物。史実では1378年~1408年在位。室町幕府の全盛期を築いた。
◯老女
藤子を拾う近江の村の住人。戦乱から離れた村で暮らし、藤子を「葵」として受け入れる。過去や詳細は語られず、慈悲深い存在。
◯侍女たち
義教の邸で藤子を監視・蔑む脇役。義教の他の側室や下働きの女たち。藤子を「公家の玩具」と嘲り、密告を通じて裏切りを露見させる。
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