第9話 ノイズを買い占めろ
階段を下りきったところに広がっていたのは、想像を超える光景だった。
旧地下鉄のホームだった空間の中央に、ガラクタで組み上げられた巨大な塔がそびえていた。使い捨てカイロの発熱ユニット、旧型のヒーター、無数のアンテナ、化学薬品の缶。それらが幾重にも配線で結ばれ、一つの意志を持った生き物のように低く唸っている。
その中心に、真壁が立っていた。相沢の姿を認めても、真壁は驚く様子もなく、ただ最後の配線を一本、黙々と繋ぎ続けていた。
「来たか、相沢」
顔も上げずに言った。
「これを止めろ」
相沢は塔を指差し、声を張った。声が思ったより震えていることに、自分で驚いた。
「データセンターを潰せば、街の医療も交通も物流も、全部止まる」
真壁は答える代わりに、配線の最後の一本を繋ぎ終え、ゆっくりと顔を上げた。何も言わなかった。ただ、相沢の目を真っ直ぐ見た。その沈黙が、どんな言葉よりも雄弁だった。相沢はふと、真壁の足元に、あの履き潰されたスニーカーがまだあることに気づいた。五年間、同じ靴を履き続けている男。その事実の重さが、今さらのように胸を突いた。
相沢が一歩、塔に向かって踏み出した瞬間、ポケットの中の私物スマートフォンが震えた。画面には桐生からのメッセージが表示されていた。
『地下侵入者を確認。テロリスト扱いとして対処班を突入させる。お前が現場にいるなら、ノイズとしてまとめて処理対象だ』
相沢の指先から、血の気が引いていくのが分かった。桐生は、独自に真壁のアジトを突き止めていたのだ。相沢はメッセージをもう一度読んだ。それだけだった。続きの文はなかった。優しさとも、警告とも取れる一文はどこにもなかった。相沢は少しの間、その画面を見つめたまま動けなかった。桐生が何を考えているのか、この一文だけでは判断のしようがなかった。
真壁が主電源のレバーに手をかけた。
「お前はまだ選べない側の人間だ」
静かな声だった。
「だったら、選ばせてやるよ」
真壁がレバーを叩き落とす。塔全体が一斉に不気味な高音を発し始めた。相沢が思わず耳を塞いだ瞬間、頭上の配管から、プシューッという鋭い音とともに白い気体が噴き出した。データセンターの冷却系統に直結した排気管が、干渉波の逆流によって暴走し、有毒な冷却ガスをホーム全体に吐き出し始めていた。目が焼けるように痛み、喉の奥に刺すような刺激が走る。
「ガスだ、逃げろ!」
誰かが叫び、デジタル野良たちが我先にと出口へ殺到した。相沢の目の前を、あの痩せた少年が駆け抜けていった。少年は一瞬だけ相沢の方を振り返った。何かを言いたそうな顔だった。だが結局何も言わず、階段の方へ消えていった。
真壁だけが、塔の前から動かなかった。
地上からは、地鳴りのような悲鳴と警笛が、振動となって地下まで伝わってきた。プロフェットという神経系が、都市全体を巻き込みながら、確かに壊れ始めていた。
相沢のポケットの中で、スマートフォンが再びけたたましく鳴り響いた。プロフェットの画面が独りでに立ち上がり、赤い警告文字が躍った。
『有毒ガスの蔓延および物理的干渉波を検知。相沢晶様の生存上限時間を再計算しました。残り時間、15分00秒』
相沢は一瞬、混乱した。会社支給の端末はすでに自分の手で壊した。左手首の生体センサーも、あの晩ポケットに外してしまい込んだままだ。それなのにプロフェットは、この私物のスマートフォンのマイクとGPSだけを頼りに、周囲の音響データと気圧の変化から、相沢の生存時間を独自に弾き出していた。逃げたつもりの監視網は、結局どこにでも潜り込んでくる。その事実に、相沢は乾いた笑いがこみ上げた。
咳き込みながら振り返ると、階段の入口に、防毒マスクをつけた人影がいくつも現れ始めていた。先頭の一人が、マスク越しにこちらを見た。歩き方に見覚えがあった。桐生だった。
桐生は対処班を率いてきながら、まだ突入の合図を出していなかった。防毒マスクの奥の目が、真っ直ぐ相沢を見ていた。何を考えているのか、その表情からは読み取れなかった。助けに来たのか、それとも処理対象として自分を見ているのか、相沢にはまだ判断がつかなかった。
画面の数字が、容赦なく減っていく。十四分五十九秒、五十八秒。
ふと、玄関の椅子にかけたままの黄色いカーディガンのことが、脈絡もなく頭をよぎった。一度も袖を通さなかった服。あれをちゃんと着てみればよかった、という場違いな後悔が、この状況にはあまりにも不釣り合いな重さで胸に落ちてきた。
真壁の視線。動かない桐生の対処班。肺に染み込んでくる毒の気配。三方向から同時に迫る破滅の中、相沢の命を懸けた十五分間が、今、確かに始まっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます