鬼ごっこ

鬼に捕まったら、秘密を一つ話す



「鬼に捕まったら、秘密を一つ話す」


十六年ぶりに聞いた遊びの名前は、昔よりずっと悪趣味に聞こえた。


伊沢冬馬は、薄暗い体育館の中央に置かれた長机を見た。


机の上には六本の懐中電灯と、六つの白い封筒、それから赤い木札が十八枚。


壁の時計は午後八時四十七分を指している。


窓の向こうは雨だった。


ここは県北にある青葉青少年研修館。冬馬たちが高校時代、文化祭実行委員の合宿で何度か使った施設だ。五年前に閉鎖され、来月には取り壊される。


その最後の夜に、十六年前の六人が集められた。


冬馬。


高見沢美央。


久世亮。


西川茉莉。


安西拓人。


片桐誠。


全員、三十四歳。


全員、同じ高校の同級生。


そして全員、岸田理子という名前を知っている。


「帰ろうぜ」


亮が言った。


革靴のまま体育館へ入ってきたせいで、歩くたび床が乾いた音を返す。


「これ普通に気持ち悪いやろ。誰が予約取ったかも分からん。管理人もおらん。メールだけで山奥に六人集合って、俺らも大概やぞ」


「来た人が言う?」


美央が腕を組んだ。


「高見沢も来とるやん」


「理子の名前出されたら来るでしょ」


それで会話が止まった。


六人がここへ来た理由は同じだった。


三日前、それぞれのスマートフォンへ差出人不明のメールが届いた。


件名は一行。


《岸田理子について》


本文も短かった。


《十六年前の文化祭会計金紛失について、今夜、答えを出します》


《八月十二日 二十時三十分 青葉青少年研修館》


《六人そろわなければ中止》


《理子本人が残した記録があります》


理子本人。


その四文字が、六人を山奥まで連れてきた。


理子は二年前に死んでいる。


病気だったと、冬馬は同窓会の連絡網で知った。


高校二年の文化祭が終わった翌月、理子は転校した。それ以降、六人の誰とも会っていない。


転校の理由は、表向きは家庭の事情。


本当の理由を、六人は知っていた。


文化祭実行委員会の売上金は、帳簿上二十八万円あるはずだった。


翌日、理子の鞄から二万円が見つかった。


学校は、残る二十六万円が消えたと判断した。


警察沙汰にはならなかった。


理子の父親が、その二十六万円を弁済したからだ。


理子は盗んでいないと言い続けた。


それでも、二万円は彼女の鞄にあった。


そして一か月後、彼女はいなくなった。


「これ、誰かの趣味悪い同窓会なら笑えんぞ」


拓人が封筒を指で弾いた。


「開けていいんかな」


茉莉が言う。


「名前書いてあるし、自分のやろ」


誠が一つ取った。


六つの封筒には、それぞれ名前が印刷されている。


冬馬も《伊沢冬馬》を取った。


中には赤い木札が三枚。


それと紙が一枚。


《秘密鬼 最終ルール》


高校時代、彼らは合宿の夜によく鬼ごっこをした。


ただ走るだけではつまらないという亮の提案で、一度だけ妙なルールを足したことがある。


鬼に捕まった者は、他の誰も知らない秘密を一つ話す。


小さな嘘でも、好きな相手でも、隠している失敗でもいい。


本当の秘密なら解放され、また逃げられる。


高校生には、それだけで十分刺激的だった。


紙には、その遊びがほとんど同じ形で書かれていた。


《二十一時開始。零時終了》


《鬼は一人。黒い面をつけています》


《館内から出てはいけません》


《鬼に触れられた者は赤札を一枚渡し、体育館へ戻ってください》


《体育館のマイクで、真実の秘密を一つ話してください》


《秘密の内容は自由です。ただし嘘は禁止します》


《嘘を話した場合、こちらが一つ秘密を公開します》


《赤札を三枚失った者は体育館から出られません》


《零時までに、十六年前に二十六万円を盗んだ人物を六人で一人指名してください》


《正解した場合、岸田理子が残した記録を渡します》


《不正解の場合、記録は破棄します》


最後に一行。


《ゲーム中、鬼の正体を暴く必要はありません》


亮が読み終わって笑った。


「いや、そこちゃうんかい」


誰も笑わなかった。


誠が紙を裏返した。


「嘘を話したら、こっちが秘密を公開する。何を知っとるんや」


「はったりかも」


美央が言う。


「だったら試せば?」


亮が美央を見る。


美央は睨み返した。


その時、体育館のスピーカーが鳴った。


ざ、と古いノイズ。


六人が一斉に天井を見上げる。


女の声が流れた。


録音のように整った声だった。


《参加ありがとうございます》


若い声ではない。


落ち着いた女の声。


誰の声か分からなかった。


《二十一時に館内照明を一部消灯します。鬼は二十一時五分に動き始めます》


《それまでに好きな場所へ移動してください》


《なお、施設内の非常口は安全上、外から管理されています。緊急時は各階の赤い非常ボタンを押してください。ゲームは即時終了します》


亮が小さく舌打ちした。


「まともなとこもあるんやな」


《もう一つ》


声が続く。


《秘密を話すかどうかは、あなた自身が決めてください》


《誰かを守るための秘密もあります》


《誰かを傷つけるために隠した秘密もあります》


《同じ秘密でも、十六年たてば意味が変わります》


一秒。


《それでは、久しぶりに遊びましょう》


スピーカーが切れた。


時計は二十時五十二分。


冬馬は自分の三枚の赤札を握った。


帰ろうと思えば帰れる。


非常ボタンを押せばいい。


それなのに誰も押さなかった。


理子が残した記録。


十六年前、彼女が最後まで否定した二十六万円。


そして冬馬には、誰にも話していないことがあった。


理子は、二万円だけは盗んだ。


冬馬はそれを知っていた。



二十一時ちょうど、廊下の照明が半分消えた。


研修館は三階建てだった。


一階に体育館、食堂、浴室。


二階に研修室と宿泊室。


三階に小さな図書室、和室、倉庫。


六人は相談せず散った。


誰かと固まれば、鬼にまとめて見つかる。


それ以上に、今は誰とも一緒にいたくなかった。


冬馬は二階の東端、昔泊まった宿泊室へ入った。


畳の匂いはほとんど消えていた。


押し入れを開ける。


埃っぽい布団が二組。


さすがに中へ潜る気はしない。


廊下の非常灯が障子越しに青白く見える。


二十一時五分。


遠くで鐘が一度鳴った。


鬼が動き始めた。


冬馬は高校生の頃を思い出した。


あの時は、捕まっても笑っていた。


茉莉が「実は数学の小テスト三回カンニングした」と白状し、亮が「一年の時から美央が好き」と叫び、美央に蹴られた。


理子もいた。


理子は最後まで捕まらなかった。


足が速かった。


細くて、よく笑う子だった。


文化祭の会計担当を美央と二人でやっていた。


十六年前の十月二十七日。


文化祭最終日。


午後五時四十分ごろ。


冬馬は体育館裏の非常階段で理子を見つけた。


理子はしゃがんでいた。


手に一万円札を二枚持っていた。


泣いていた。


『どうしたん』


冬馬が聞くと、理子はしばらく答えなかった。


やがて言った。


『二万だけ借りる』


『何の金』


分かっていた。


文化祭の売上金だった。


理子は母親と二人暮らしだった。


家賃が二か月遅れていると、その前の週に聞いていた。


母親が入院していた。


『月曜に返すから』


『やばいやろ』


『分かっとる』


『なら戻せって』


『今日だけ』


理子は泣きながら笑った。


『冬馬、見んかったことにして』


冬馬は十五秒ほど迷った。


そして言った。


『月曜絶対戻せよ』


それが十六年間、一度も話していない秘密だった。


翌日、理子の鞄から二万円が見つかった時、冬馬は何も言えなかった。


自分が証言すれば、理子が二万円を取ったことは確定する。


けれど証言しなくても、金は鞄にあった。


結果は同じだと思った。


違ったかもしれない。


理子が二万円を取ったのは事実でも、帳簿上の二十八万円全部を盗んだわけではない。


冬馬が最初から話していれば、学校は二万円と二十六万円を別の事件として考えたかもしれない。


考えなかったかもしれない。


十六年たっても答えはない。


廊下で床が鳴った。


冬馬は呼吸を止めた。


一歩。


二歩。


ゆっくり近づく。


懐中電灯を消す。


宿泊室の前で足音が止まった。


取っ手が動いた。


冬馬は押し入れの横へ身を寄せた。


戸が開く。


廊下の薄い光。


黒い面。


全身黒いジャージの人物が立っている。


鬼。


身長は百七十前後。


男か女か分からない。


冬馬は窓側へ走った。


鬼も動く。


畳を二歩。


冬馬が障子を開け、隣室へつながる欄間下の引き戸に手をかける。


開かない。


昔は行き来できたはずなのに、鍵が掛かっている。


振り返った時には遅かった。


鬼の手が冬馬の肩に触れた。


その瞬間、鬼は手のひらを出した。


赤札を寄こせ、という意味らしい。


冬馬は一枚渡した。


鬼は何も言わず、廊下を指した。


体育館へ行け。


冬馬は舌打ちしたくなった。


二十一時十二分。


開始七分で一人目だった。



体育館は明るかった。


中央のマイクだけが電源を入れられている。


誰もいない観客席へ向かって、一人で秘密を話す。


馬鹿みたいだった。


冬馬がマイクの前に立つと、スピーカーから女の声。


《一人目。伊沢冬馬》


館内放送だ。


他の五人にも聞こえている。


《秘密を一つどうぞ》


冬馬は考えた。


理子の二万円を話すべきか。


まだ早い。


このゲームが本当に十六年前の事件を解くためなら、いずれ必要になる。


だが最初から最大の札を切る必要はない。


ルールには「十六年前の秘密」とは書いていない。


冬馬はマイクへ顔を寄せた。


「三年前、会社を辞めた理由。親の介護って言いました」


自分の声が体育館へ響く。


「嘘です。上司と喧嘩して、次の日から行けんくなっただけです」


沈黙。


恥ずかしいが、人生が壊れる秘密ではない。


《真実です》


女の声。


冬馬の背筋が冷えた。


「何で分かるんや」


返事はない。


《伊沢冬馬、解放》


体育館の扉の電子錠が開いた。


冬馬は立ったまま動かなかった。


はったりではない。


少なくとも、主催者は冬馬が会社を辞めた事情を調べている。


どこまで知っている。


廊下へ出る前に、また放送が入った。


《二人目。久世亮》


亮の悪態が遠くから聞こえた。


数分後、体育館へ入ってくる。


「最悪や」


「早かったな」


「お前もやろ」


亮の手には、鬼へ一枚渡したあとの赤札が二枚残っていた。


《秘密を一つどうぞ》


亮は天井を睨んだ。


「高校二年の時、美央のこと好きやった」


冬馬は吹き出した。


亮がこちらを見る。


「何や」


「それ十六年前に本人へバレとったやろ」


「秘密やった時期はある」


放送。


《不十分です》


亮の顔から笑いが消えた。


《その秘密は、当時すでに複数人が知っています》


「秘密の定義まであんのかよ」


《別の秘密をどうぞ》


亮はマイクから離れようとした。


扉が開かない。


「……くそ」


冬馬は体育館の端へ下がった。


聞きたくなくても聞こえる。


亮はしばらく黙り、やがて言った。


「文化祭の金が消えた日」


冬馬の身体が固まる。


亮はマイクを見たまま続けた。


「俺、実行委員室の鍵を勝手に持ち出しました」


体育館から音が消えた。


「昼休みに借りて、返したのは六時過ぎです。先生には五時前に返したって嘘つきました」


冬馬は亮を見る。


初耳だった。


当時、売上金は実行委員室の鍵付きキャビネットに保管されていた。


部屋の鍵は担当教員と会計の美央、理子が持っていたはずだ。


「何で持ち出した」


冬馬が聞く。


亮は答えない。


放送が先に言った。


《真実です》


扉の鍵が外れた。


亮はマイクを置いた。


「お前、何のために鍵を?」


「次捕まったら話すわ」


「今言えよ」


「秘密は資源やぞ」


亮は笑わなかった。


「何でも最初に全部出したやつから負ける」


そう言って体育館を出た。


冬馬はその背中を追わなかった。


ゲームの意味が少し分かった。


鬼から逃げる遊びではない。


何を話すか。


何をまだ隠すか。


誰の秘密を先に引きずり出すか。


三枚の赤札は、残り時間ではなく、残りの嘘だった。



二十一時三十分までに、美央と茉莉も一度捕まった。


放送は館内のどこにいても聞こえた。


美央の一つ目の秘密。


《十六年前、文化祭会計の集計表を一度書き直しました。売上合計を三万円多く記録していました》


冬馬は三階の図書室で足を止めた。


美央の声がスピーカーから続く。


《本当は二十八万円じゃなくて、二十五万円だった可能性があります》


数秒後。


《一部真実です》


主催者の声。


《高見沢美央。あなたが集計表を書き直したのは事実です。ただし、理由の説明が不足しています》


「理由まで秘密に入るん?」


美央の苛立った声。


《秘密を一つ話す、というルールです》


長い沈黙。


やがて美央が言った。


《三万円、多く書いたんじゃない》


声が低くなる。


《最初に三万円足りなかった》


冬馬は図書室の扉を閉めた。


《私が昼の売店会計で三万円なくしてた。どこでなくしたか分からんかった。怖くなって、午後の別の売上を二重に足して帳尻合わせた》


つまり、文化祭終了時に「二十八万円あるはず」という前提自体が正確ではなかった。


《実際に実行委員室へ持っていった現金は、二十五万円前後だったと思う》


《真実です》


放送が切れる。


十六年前、学校は「帳簿上の二十八万円から、理子の鞄で見つかった二万円を除く二十六万円が消えた」と説明した。


理子の父は、その二十六万円を弁済した。


だが、最初から二十八万円なかった可能性がある。


冬馬は頭の中で数字を並べた。


二十五万円。


理子が取った二万円。


残り二十三万円。


次に捕まった茉莉は、もっと直接的だった。


《理子を疑う匿名の紙を、先生の机に置いたのは私です》


冬馬は思わず図書室から廊下へ出た。


放送。


《文化祭の次の日の朝。「岸田さんの鞄を調べた方がいい」って書きました》


理子の鞄から二万円が見つかったきっかけ。


十六年間、誰が密告したか分からなかった。


茉莉だった。


《真実です》


主催者は淡々としている。


茉莉が続けた。


《でも、私が盗んだわけじゃない》


それは秘密ではなく弁明だった。


《誰かに言われたから書いた》


冬馬は廊下のスピーカーを見上げた。


《誰に?》


今度は主催者が質問した。


初めてだった。


ルールに質問はない。


茉莉も気づいたらしい。


《それ言ったら二個目になるやろ》


主催者は答えない。


茉莉が小さく笑う。


《次に捕まったら》


放送が切れた。


ゲームは続く。


けれど六人の頭の中では、もう鬼より十六年前の地図の方が大きくなっていた。



二十一時四十三分。


二階西側の研修室で、冬馬は拓人と出会った。


二人とも互いに懐中電灯を向け、同時に下げる。


「驚かすなや」


拓人が言った。


「そっちや」


「一人?」


「見たら分かるやろ」


拓人は廊下を確認し、研修室へ入ってきた。


扉を閉める。


「美央の話、どう思う」


「二十八万が間違っとったってやつ?」


「理子の親父、三万余計に払っとる」


「そこかよ」


「大事やろ」


拓人は昔から数字に細かかった。


今は建設会社で積算をしているらしい。


「実際は二十五万。理子が二万。残り二十三万」


冬馬は拓人を見る。


「何で理子が二万って決めつける」


「鞄から出たやろ」


「誰かが入れたかもしれん」


拓人が一瞬だけ黙った。


冬馬はその表情を見逃さなかった。


「何」


「別に」


「今なんか思ったやろ」


「伊沢」


拓人は声を落とした。


「お前、何か知っとる?」


冬馬は答えなかった。


互いに秘密がある。


今までの同窓会とは違う。


この夜だけは、沈黙そのものが証言になる。


拓人が笑った。


「やっぱ全員あるんやな」


「お前もやろ」


「あるよ」


「何」


「捕まったら話す」


亮と同じ答え。


冬馬は苛立った。


「それで零時に一人選べるんか」


「だから情報交換しようや」


拓人は赤札を二枚見せた。


一度捕まっている。


冬馬はその放送を聞いていない。


「お前何話した?」


「先に一個教えて」


「嫌や」


「じゃあ俺も嫌」


本当に子どもの遊びみたいだった。


ただし賭けているものが違う。


十六年前の罪。


死んだ理子の最後の記録。


冬馬は考えた。


全部を話す必要はない。


「俺、あの日、理子と話した」


拓人の目が動く。


「いつ」


「金がなくなる前」


「内容は」


「一個分や」


「ずるいな」


「お前も一個」


拓人は廊下へ耳を澄ませた。


「俺はあの日、六時十分ごろ実行委員室に入った」


冬馬は眉を寄せる。


「何しに」


「次」


「鍵は?」


「次」


「亮が持っとった鍵?」


拓人の顔がわずかに変わる。


その時、廊下を走る音。


二人とも黙った。


足音が近づく。


拓人が窓側へ。


冬馬は反対の扉へ。


黒い面がガラス越しに見えた。


鬼。


扉が開く。


二人は同時に走った。


研修室には出入口が二つある。


冬馬は東。


拓人は西。


鬼は一瞬迷い、拓人を追った。


冬馬は廊下の角まで走り、振り返る。


拓人の背中。


鬼の手。


あと一歩。


その瞬間、拓人が叫んだ。


「伊沢、三階!」


鬼の顔が冬馬の方を向いた。


拓人はその隙に階段へ逃げた。


「おい!」


冬馬も走る。


鬼は標的を変えた。


数十秒後、冬馬は一階の食堂前で捕まった。


二枚目の赤札を渡す。


鬼の面の奥は見えない。


「今の聞こえたやろ」


返事なし。


「拓人の方行けや」


鬼が体育館を指す。


冬馬は中指を立てそうになってやめた。


三十四歳だった。



二十一時五十二分。


冬馬、二度目の告白。


館内に名前が流れる。


今度は迷わなかった。


「十六年前。文化祭の金がなくなった日、俺は理子が二万円取るところを見ました」


言葉にすると、十六年が急に短くなった。


「正確には、取った直後やと思います。体育館裏の非常階段で、理子が一万円札二枚持ってました」


自分の声が震えている。


「家賃に使うって。月曜に返すって言ってました。俺は止めたけど、最後は見なかったことにした」


どこかの館内で、五人が聞いている。


「翌日、理子の鞄から二万円出た時も、俺は黙りました」


冬馬は息を吸う。


「二万円に関しては、理子が取った。俺はそう思ってます」


沈黙。


《真実です》


女の声。


それだけだった。


冬馬はマイクを握ったまま言う。


「理子の記録にも書いてあるんですか」


返事はない。


「これ知っとるの、俺と理子だけやった」


一秒。


二秒。


《ゲームを続けてください》


冬馬は天井を見た。


理子が残した記録には、二万円を取ったことが書かれている。


そう考えるのが自然だった。


彼女は最後まで「盗んでいない」と言った。


それは帳簿上の二十八万円全部についてだったのか。


それとも、二万円すら認めなかったのか。


冬馬には分からない。


体育館の扉が開く。


その向こうに美央が立っていた。


逃走中なのに、わざわざ待っていたらしい。


「聞いた」


「やろな」


美央が冬馬の胸を両手で押した。


強くはない。


「何で言わんかったん」


「今言った」


「十六年前に!」


声が響く。


冬馬は何も返せない。


美央は目を赤くした。


「私、理子に聞いたんや。二万円だけでも認めれば先生らの見方変わるかもしれんって。理子、取ってないって言った」


「……うん」


「お前が見とったって言えば、二万円と残り分けて考えたかもしれんやろ」


同じことを、冬馬も十六年間考えていた。


「分かっとる」


「分かっとらん」


「分かっとるって」


「なら何で」


答えは単純だった。


怖かった。


自分も共犯扱いされるのが。


理子に「見なかったことにして」と頼まれた約束を破るのが。


正しいことを言った結果、何が起きるか分からないのが。


高校二年の冬馬は、黙ることを選んだ。


三十四歳の冬馬は、それを説明できる言葉をまだ持っていなかった。


廊下のスピーカーが鳴る。


《三人目。西川茉莉。二度目》


美央と冬馬は同時に黙った。


茉莉の声。


《匿名の紙を書けって言ったのは、片桐です》


冬馬は顔を上げた。


美央も。


《誠が、理子が金を取ったの見たって。鞄の中にあるはずだから、先生に知らせた方がいいって言いました》


《私は誠の名前出したくなくて、匿名にした》


少し間。


《真実です》


美央が呟いた。


「誠……?」


冬馬は体育館を飛び出した。


赤札はあと一枚。


もう鬼から逃げるためではない。


片桐誠を探すためだった。



誠は三階の和室にいた。


冬馬が見つけた時、一人ではなかった。


亮と拓人もいる。


三人とも廊下側を気にしながら、低い声で話していた。


冬馬が襖を開けると会話が止まる。


「何の相談」


亮が先に答えた。


「お前待ち」


「嘘つけ」


「今の放送聞いたやろ」


誠が冬馬を見る。


昔とあまり変わっていない。


高校時代から人当たりがよく、誰とでも話せる男だった。今は地元で内装会社を経営している。


「茉莉には言ったよ」


誠はあっさり認めた。


「理子が金取ったかもしれんって」


「見たん?」


「見た」


「どこで」


誠は答える前に少し間を置いた。


「実行委員室の近く」


「何時」


「五時半過ぎ」


冬馬は時計を見る。


二十二時三分。


あと二時間弱。


「俺も見た」


冬馬が言う。


誠の眉が動いた。


「放送聞いた」


「じゃあ話早いやろ。理子は取っとった」


「二万だけ」


「二万でも盗みは盗みや」


「残りは?」


誠は肩をすくめる。


「知らん」


亮が口を挟んだ。


「俺の鍵の話もしとくか」


「何」


亮は壁に背をつけた。


「俺が鍵持ち出した理由。実行委員室で煙草吸っとった」


冬馬は一瞬、意味が分からなかった。


「高校生やぞ」


「知っとるわ」


「それで鍵?」


「裏の倉庫やと先生来るから。実行委員室、文化祭中は人の出入り多いけど終わった後なら誰も来んと思って」


拓人が呆れた顔をする。


「アホやな」


「十六年前の俺に言え」


亮は続けた。


「五時五十分くらいに吸いに入って、六時すぎに出た。その時、誠に鍵貸した」


和室の空気が変わった。


誠が亮を見る。


「お前」


「もうええやろ」


「それ、先生にも言ってないやろ」


「言えるか。煙草も鍵の持ち出しもバレる」


冬馬は誠を見た。


「借りたん?」


誠は舌で唇を濡らした。


「借りた」


「何しに」


「携帯忘れたから」


「実行委員室に?」


「そう」


「何時」


「六時五分とか」


拓人が小さく笑った。


「それは違う」


全員が拓人を見る。


「俺、六時十分にあの部屋入ったってさっき伊沢に言ったやろ」


「うん」


「誠、まだ中におった」


誠が黙る。


「俺が入った時、キャビネットの前に立っとった」


亮が誠から一歩離れた。


「お前、携帯探しとったんちゃうん」


誠は拓人を睨んだ。


「何で十六年黙っとった」


「お互い様やろ」


拓人が返す。


「俺も入った理由言えんかった」


「何しに入った」


冬馬が聞く。


拓人は赤札を一枚見せた。


「それは次捕まったら話す」


「まだやるんか」


「ルールはルールや」


誠が笑った。


「ほら。安西だって怪しいやん。俺だけ犯人みたいにすんな」


「キャビネット開けた?」


冬馬が聞く。


「開けてない」


「じゃあ何で前に」


「携帯探してた」


「キャビネットの前で?」


「机にもその辺にも荷物置いてたから」


答えは全部あり得る範囲だった。


十六年前なら、これで終わっただろう。


疑わしい。


でも証拠はない。


その時、廊下の端で鐘が鳴った。


鬼が近い。


亮が襖を開ける。


「散れ」


四人が別々に動いた。


冬馬は階段へ。


拓人は奥の宿泊室。


亮は図書室。


誠は西側廊下。


黒い鬼が角から出てくる。


一瞬だけ立ち止まった。


そして誠を追った。


「うそやろ!」


誠が走る。


冬馬は階段の途中で止まった。


鬼が誠を選んだ。


偶然か。


主催者は今の会話を聞いていたのか。


数十秒後、放送。


《四人目。片桐誠。一度目》


冬馬は階段に座った。


体育館から誠の荒い呼吸が流れる。


《秘密を一つどうぞ》


誠は長く黙った。


《片桐誠》


「分かっとる」


また沈黙。


やがて言った。


《俺はあの日、理子が金を持っとるのを見ました》


冬馬は眉を寄せた。


それは今、本人たちに話した内容だ。


《どこで?》


主催者。


《実行委員室の前》


《何時ごろ?》


《五時半とか》


間。


《真実です》


冬馬は立ち上がった。


誠の話は真実。


少なくとも主催者の持つ記録では。


《ただし、その秘密はまだ続きがあります》


誠の声が荒くなる。


《一個やろ》


《はい。今回は解放します》


放送が切れた。


続き。


主催者は何を知っている。



二十二時二十六分。


食堂に五人が集まった。


誠だけいない。


誰が呼びかけたわけでもない。


情報が増えすぎて、一人で整理できなくなった。


茉莉が紙ナプキンの裏へ時系列を書く。


「分かっとる範囲だけ」


十六年前の文化祭最終日。


十七時四十分前後。


美央と理子が実行委員室に現金を運ぶ。


金額は記録上二十八万円。しかし美央の告白によれば、実際は約二十五万円。


十七時五十分前後。


亮が鍵を持って実行委員室へ。目的は煙草。


十七時四十分から五十分ごろ。


冬馬が体育館裏で理子と会う。理子は一万円札二枚を持っていた。


十八時五分前後。


亮が部屋を出て、鍵を誠へ貸す。


十八時十分。


拓人が実行委員室へ入り、誠をキャビネット前で見る。


その後のどこかで、現金が消える。


翌朝。


茉莉が匿名の告発紙を教師机に置く。


理子の鞄から二万円。


「こう見ると誠やん」


亮が言った。


「お前が言うな」


茉莉が返す。


「鍵貸した本人やろ」


「だから言ったやん」


「言えば免罪符になると思っとる?」


「思っとらん」


美央が手を上げた。


「待って。安西が六時十分に入った理由まだ出とらん」


拓人が顔をしかめる。


「分かっとる」


「あと私も」


美央は紙を見る。


「理子が二万円持ってたのは分かった。でも、翌朝見つかった二万円が同じ二万円かは分からんよね」


冬馬は美央を見る。


「どういう意味」


「札に名前書いてあるわけじゃない」


確かにそうだった。


理子が二万円を取った。


翌朝、鞄から二万円が出た。


十六年間、誰もが同じ二枚だと思った。


そうとは限らない。


亮が言う。


「でも理子が返した証拠もない」


「ない」


美央は頷く。


「だから、理子の記録が必要なんやろ」


拓人が立ち上がった。


「主催者呼ぼうや」


天井へ向かって叫ぶ。


「聞いとるんやろ! 理子の記録見せろ!」


返事なし。


「零時まで待つ意味ないやろ!」


スピーカーが鳴った。


全員が止まる。


《残り一時間三十四分》


「それだけ?」


《ルール変更はありません》


「じゃあ聞くけど」


冬馬が声を上げた。


「鬼はあんたなん?」


少し間。


《鬼の正体を暴く必要はありません》


最初と同じ答え。


亮が苦笑する。


「律儀やな」


その直後、食堂の照明が消えた。


悲鳴。


真っ暗。


誰かが椅子にぶつかる。


「鬼!」


懐中電灯が一つ点く。


黒い面が入口にいた。


五人が同時に走る。


ゲームは話し合いの時間をくれない。



捕まったのは拓人だった。


二十二時三十二分。


《安西拓人。二度目》


放送。


冬馬は二階の階段踊り場で聞いた。


拓人は最初の一度目に何を話したのか、冬馬はまだ知らない。


《秘密を一つどうぞ》


拓人は大きく息を吐いた。


《あの日、六時十分に実行委員室へ入った理由》


冬馬は手すりを握る。


《俺、文化祭の打ち上げ代を抜こうと思ってました》


「は?」


冬馬は声に出した。


《一万円くらい。後で返すつもりやった》


またか。


十六年前の現金に、何人手を伸ばしている。


《でも俺が入った時、金はもうなかった》


冬馬は動きを止めた。


《キャビネット開けたん?》


主催者が初めて少し強い声になる。


《開けた。外側の扉は開いとった》


《中は?》


《金を入れとる青い缶、空やった》


一秒。


《真実です》


放送が切れた。


冬馬は階段を駆け下りた。


六時十分の時点で金は消えていた。


そして拓人が入った時、誠はキャビネットの前にいた。


ほとんど答えに見える。


しかし冬馬の中に引っかかるものがあった。


青い缶。


文化祭の現金は、青いブリキ缶に入れていた。


それは覚えている。


けれど十六年前、学校側の説明では「鍵付きキャビネットから現金がなくなった」としか聞いていない。


青い缶のことを知る人間は実行委員の中に多い。


決め手にはならない。


冬馬が体育館へ着くと、拓人が出てきた。


「お前も盗もうとしとったんかい」


「未遂や」


「自慢すんな」


「片桐が先におった。金はその時点でない」


「誠は何て」


「俺が入ったらすぐ出てった」


「青い缶は?」


「空」


「蓋は?」


拓人が冬馬を見る。


「何でそんなこと聞く」


「いいから」


「開いとったと思う」


「中の封筒は?」


「封筒?」


その反応。


冬馬は眉を寄せる。


「現金、封筒に分けとったやろ」


「知らん。缶しか見てない」


美央を探した。


食堂へ戻ると、茉莉と一緒にいる。


「美央。金って青い缶にそのまま入れとった?」


「何で」


「答えて」


美央は記憶を探す顔をした。


「そのままじゃない。売店ごとに茶封筒分けて、それを缶に入れた」


「何個」


「四つか五つ」


「缶開けたら見える?」


「もちろん」


冬馬は息を吐いた。


まだ何か足りない。


拓人は金がないと言った。


青い缶が空だった。


誠はその前にキャビネットの前にいた。


これだけなら誠。


では主催者が言った「誠の秘密には続きがある」とは何だ。



二十二時四十八分。


誠は二階の洗面所で見つかった。


冬馬、美央、茉莉、亮の四人で囲んだ形になった。


「何や、集団いじめ?」


誠が笑う。


誰も笑わない。


冬馬が言った。


「六時十分に安西が入った時、金もうなかった」


「聞いた」


「お前、その直前に部屋おった」


「だから何」


「キャビネットの前」


「携帯探しとった」


「亮から鍵借りて」


「そう」


「理子が金持っとるのも見た」


「そう」


「その情報を茉莉に流して、匿名で教師に知らせた」


「俺は匿名で書けなんて言ってない」


茉莉が口を開く。


「でも理子の鞄に金あるって言った」


「見たからな」


「どこにあるって?」


冬馬が聞く。


誠は少し黙った。


茉莉が代わりに答えた。


「内ポケット」


「右? 左?」


「左」


誠が茉莉を見る。


「そこまで言ったっけ」


「言った。赤い鞄の左の内ポケットって」


冬馬の胸が速くなる。


「何で場所まで知っとった」


誠はすぐ答えた。


「理子が入れるの見た」


「いつ」


「五時半過ぎ」


「どこで」


「実行委員室の前」


冬馬は首を振った。


「それは無理や」


「何が」


「理子、五時半過ぎには鞄持ってない」


誠の顔から表情が消える。


冬馬は覚えていた。


体育館裏の非常階段で理子と会った時、彼女は制服のポケットに二万円を握っていた。


鞄は体育館の舞台袖に置いたままだった。


冬馬がそこから持ってきてやろうかと言った。


理子は断った。


『今戻ったら美央に顔見られる』


そう言った。


「俺、理子と五時五十分くらいまで一緒におった。理子の鞄は体育館。実行委員室の前にはない」


誠の目が泳ぐ。


亮が一歩近づく。


「じゃあ何で左の内ポケット知っとった」


「時間勘違いしとるだけや」


「十六年前やしな」


誠は笑おうとした。


「お前らも記憶バラバラやろ」


正論だった。


十六年前の五分、十分を完全に覚えている方がおかしい。


冬馬も自分の記憶に絶対の自信はない。


その時、館内放送。


《片桐誠》


五人が天井を見る。


《鬼が近くにいます》


誠が顔を上げた。


「は?」


廊下の奥。


黒い面。


鬼が立っていた。


誠が反対へ走る。


冬馬たちは動かなかった。


鬼は誠だけを追う。


「お前ら!」


誠の怒鳴り声。


亮が小さく言った。


「自分で逃げろ」


誠は階段へ向かった。


鬼は速かった。


二十三時一分。


《片桐誠。二度目》


体育館の放送。


冬馬たちは廊下で聞く。


《秘密を一つどうぞ》


誠は何も言わない。


《片桐誠》


「……俺は盗んでない」


《それは秘密ではありません》


「理子が二万円取ったのは事実やろ!」


《秘密を一つ》


「俺が何話せって言うんや!」


女の声は変わらない。


《あなたが選んでください》


誠の息。


長い沈黙。


そして。


《俺は、理子が二万円を戻すところも見ました》


冬馬の身体から力が抜けた。


美央が口を押さえる。


放送は続く。


《五時五十分過ぎ。理子が実行委員室に戻って、金を缶へ入れた》


冬馬は壁へ手をついた。


理子は戻した。


月曜ではない。


その日のうちに。


冬馬と別れたあと、彼女は二万円を戻した。


《真実です》


女の声。


《片桐誠、解放》


誠が叫んだ。


「待てや!」


放送は切れた。


十一


五人は体育館へ走った。


誠はマイクの前に立っていた。


顔色が悪い。


冬馬が最初に胸ぐらを掴んだ。


「戻したん見たんやな」


「離せ」


「翌朝、何で理子の鞄から二万出た」


「知らん」


「お前、場所まで知っとった」


「知らん!」


「戻したの知っとるのに、茉莉に理子が盗んだって言ったんか!」


誠が冬馬の手を振り払った。


「俺が金取った証拠にはならんやろ!」


その通りだった。


理子が戻すのを見た。


それを黙った。


翌朝、鞄の場所を茉莉に教えた。


恐ろしく黒い。


でもまだ、決定的ではない。


美央がマイクを掴んだ。


「主催者! 理子の記録見せて!」


返事なし。


「もう分かったやろ!」


《残り五十五分》


「時間の話してない!」


亮が誠を見る。


「片桐。もう言えって」


「何を」


「俺の鍵使って部屋入った。安西が来る直前までおった。理子が二万戻したの見た。翌朝、理子の鞄の場所まで知っとった」


「状況だけや」


「十分やろ」


「警察なら逮捕できんぞ」


「警察ちゃうし」


誠は一人ずつ見た。


「お前ら全員、自分のこと棚に上げとるやろ」


冬馬。


「伊沢は理子が金取ったの黙った」


美央。


「高見沢は会計三万ごまかした」


茉莉。


「西川は匿名で告発した」


亮。


「久世は鍵盗んだ」


拓人はまだ来ていない。


「安西は自分も金盗もうとして部屋入った」


誠が笑う。


「俺だけ悪者にして終わりたいんか?」


誰も返せなかった。


その問いだけは正しかった。


理子を追い詰めたのは、一つの行為ではない。


冬馬たちの沈黙と嘘が積み重なった。


誠が犯人であっても、それで五人が無関係になるわけではない。


体育館の扉が開いた。


拓人が入る。


「何や全員おるやん」


話を聞くと、拓人は長く黙った。


それから誠を見た。


「一個だけ確認したい」


「何」


「俺が六時十分に入った時、青い缶空やった」


「だから俺知らんって」


「お前、十六年前先生に言ったよな」


誠の顔が変わった。


「何を」


「現金は封筒ごとなくなっとるはずって」


冬馬は拓人を見る。


「何それ」


「事情聴かれた時、廊下で聞いた。先生が片桐に『何か見てないか』って聞いて、こいつ『封筒ごとですか』って」


誠が笑う。


「普通に考えたら封筒やろ」


美央が首を振った。


「普通じゃない」


全員が美央を見る。


「現金を封筒に分けて缶へ入れたこと、知っとったの私と理子だけ」


亮が言う。


「いや俺らも見たことあるかも」


「普段は封筒じゃない。文化祭最終日だけ。売店ごとの売上確認のために、私がその日夕方に初めて分けた」


冬馬は誠を見る。


「お前、何で封筒って知っとった」


誠は答えない。


「理子が戻した二万見るだけなら、缶の中の封筒までは見えんやろ」


美央が続ける。


「理子は一番上の飲料売店の封筒に二万戻したはず。私は後で数えるつもりやった」


「推測や」


誠の声が小さくなる。


「十六年前の会話やぞ。安西が聞き間違えとる」


主催者の声。


《安西拓人》


全員が止まる。


《その会話について、あなたは最初の秘密ですでに話しています》


冬馬が拓人を見る。


拓人は目を逸らした。


「俺、一回目に捕まった時それ話した」


《記録と一致しています》


誠が天井を睨む。


「何の記録や!」


返事はない。


《残り四十七分》


ゲームはまだ終わらない。


十二


二十三時十五分。

先に捕まったのは亮だった。

《久世亮。二度目》

亮はしばらく黙ったあと、十六年前の文化祭の翌週、理子を階段の踊り場へ呼び出したことを話した。

「俺、『二万円だけなら返したって言えばええやろ』って言いました」

誰も知らなかった会話だった。

「理子は何も答えんかった。俺、腹立って『黙っとるなら疑われても仕方ない』って言った」

亮は一度、目を閉じた。

「次の日から理子、俺とはほとんど喋らんくなった」

《真実です》


二十三時十八分。

続いて美央。

《高見沢美央。二度目》

美央はマイクの前で、長いこと声を出せなかった。

「理子が転校する前、『美央は私のこと信じる?』って聞いてきた」

美央は指先を握った。

「私、『信じたい』って答えた。『信じる』って言えんかった」

一拍置いて、女の声。

《真実です》

二人の赤札は、それぞれ一枚になった。


二十三時二十分。


六人は体育館に残った。


もう逃げる意味は薄かった。


それでも鬼は来る。


赤札が残っている限り、秘密を要求する。


「あと誰が何枚?」


茉莉が聞く。


冬馬、一枚。


美央、一枚。


亮、一枚。


茉莉、一枚。


拓人、一枚。


誠、一枚。


「全員、一回ずつ捕まれば終わるな」


亮が言った。


「終わるって何が」


「隠し事」


誠が吐き捨てる。


「綺麗事言うな」


「綺麗やと思っとらん」


亮は誠を見た。


「俺、今まで理子のこと思い出すたび、片桐が一番まともやと思っとった」


「何で」


「お前だけ、理子の悪口言わんかったから」


誠は何も言わない。


「罪悪感やったん?」


「黙れ」


鐘。


体育館の入口に鬼。


今度は全員、逃げなかった。


黒い面がゆっくり入ってくる。


六人の前で止まる。


誰に触れる。


鬼は迷わず、茉莉の肩へ手を置いた。


茉莉が赤札を渡す。


「分かった」


自分からマイクへ向かった。


《西川茉莉。三度目。最後の秘密です》


茉莉はマイクを両手で持った。


「理子が転校する前の日、私、謝りに行きました」


冬馬たちは初めて聞く。


「匿名の紙書いたこと。誠に言われたこと。全部」


誠が顔を上げる。


「理子は怒らんかった」


茉莉の声が震える。


「『そっか』って言っただけ」


涙を拭う。


「それで、私に一個だけ聞いた」


『誠は、私が戻したの見てなかった?』


誠の顔から血の気が引いた。


茉莉が続ける。


「私、意味分からんかった。何を戻したんって聞いたら、理子は答えんかった」


冬馬は目を閉じた。


理子は知っていた。


誠が見ていたことを。


《真実です》


茉莉の赤札はゼロ。


彼女は体育館の端の椅子へ座った。


もうゲームへ戻れない。


鬼は次に、亮へ触れた。


亮が一枚渡す。


《久世亮。三度目。最後の秘密です》


亮は少し考えた。


「片桐に鍵貸した時、こいつから一万円もらいました」


誠が声を上げる。


「お前!」


「口止めやとは思ってなかった。煙草買ってこいって前に頼まれた分やと思った」


「そうや! 前の立替返しただけやろ!」


「うん。多分そう」


亮はマイク越しに誠を見る。


「でも俺、その金ずっと使えんかった」


「知らんわ」


「翌日、二十六万消えたって聞いたから」


《真実です》


鬼は次に美央。


《高見沢美央。三度目。最後の秘密です》


美央は迷った末、言った。


「理子の父親が弁済した二十六万円のうち、三万円は私のミスやって、私は先生に言いませんでした」


「卒業してから気づいた。でも言わんかった」


《真実です》


拓人。


《安西拓人。三度目。最後の秘密です》


「俺、片桐が実行委員室から出たあと追いかけました」


誠が拓人を見る。


「駐車場で、こいつが公衆電話から誰かに電話しとった」


「内容までは聞いてない」


「でも泣いとった」


《真実です》


最後に、鬼は冬馬の前へ来た。


鬼は冬馬へ手を差し出した。


冬馬は最後の一枚を渡した。


《伊沢冬馬。三度目。最後の秘密です》


冬馬はマイクへ立った。


話すことは決まっていた。


「理子が死んだって聞いた二年前、葬式に行きませんでした」


誰も動かない。


「場所も日程も知ってました。行こうと思えば行けた」


「でも、怖くて行けんかった」


冬馬は誠ではなく、自分の手を見る。


「理子の家族に会って、十六年前のこと聞かれたらどうしようって思った」


「結局また、自分が困るのが嫌で黙りました」


《真実です》


赤札ゼロ。


冬馬も椅子へ座る。


残るは誠だけだった。


十三


二十三時三十八分。


黒い鬼が、片桐誠の前に立った。


誠は一歩下がった。


「俺はもう話した」


鬼は手を出す。


「二回話したやろ」


最後の赤札。


誠は握ったまま動かない。


「これ渡さんかったら?」


スピーカー。


《非常ボタンを押せば、ゲームは終了します》


「俺だけ?」


《誰でも押せます》


体育館の壁に赤いボタンがある。


誠はそちらを見る。


押せば終わる。


理子の記録は得られない。


犯人の指名もない。


誠はボタンへ歩いた。


誰も止めなかった。


止めれば、今度は自分たちが誠を追い詰める鬼になる。


誠の指が透明カバーへ触れる。


そのまま数秒。


「……ずるいな」


誰に言ったのか分からない。


「十六年たって、今さら逃げたら認めたのと同じやん」


誠は戻った。


鬼へ赤札を渡す。


マイクの前へ。


《片桐誠。三度目。最後の秘密です》


誠は目を閉じた。


「俺の親父、当時、母親殴っとった」


冬馬は息を止める。


「学校では誰にも言ってない」


誠の声は落ち着いていた。


「文化祭の日、母親から電話あった。今日出ていきたいって。親父が帰ってくる前に」


「でも金がなかった」


公衆電話。


拓人が見た、泣いていた誠。


「アパート借りる初期費用と、しばらくの生活費が必要やった」


誠はマイクを握る。


「俺、理子が二万円取って戻すの見た」


冬馬たちは黙って聞く。


「理子が部屋出たあと、缶開けた」


「金が入っとった」


一秒。


「全部取った」


誰も声を出さなかった。


誠の顔だけが妙に普通だった。


「二十五万円ぐらい」


「正確な額は数えてない」


「その中から二万円、理子の鞄に入れた」


茉莉が顔を伏せる。


「理子が一回取ったの知っとったから、見つかったらそっち行くと思った」


「西川に言った。理子が金取っとった、鞄見た方がいいって」


誠の声が少しだけ詰まる。


「母親と、その日の夜に家出た」


「二十三万は、引っ越しと生活費に使った」


「高校卒業する頃には返せる金あった」


「でも返さんかった」


「理子の親父が払ったって聞いたから」


冬馬は誠を見た。


十六年前の高校生が、三十四歳の顔の奥に少しだけ見えた。


「理子が転校したあとも、言わんかった」


「成人してからも」


「会社作ってからも」


「理子が死んだって聞いても」


誠は笑った。


「返すタイミングなんか、毎年あったわ」


笑いはすぐ消えた。


「一回逃げたら、次はもっと簡単になる」


《真実です》


主催者の声。


体育館の時計。


二十三時四十五分。


あと十五分。


鬼が初めて、誠へ頭を下げた。


そして体育館の奥へ歩いていく。


黒い面を外した。


長い髪が落ちた。


六人の誰も知らない女性だった。


三十歳前後。


誠が呟く。


「誰」


女は面を机へ置いた。


「岸田澪です」


冬馬の胸が止まりそうになった。


「理子の妹です」


十四


理子に妹がいることは知っていた。


四歳下。


高校時代に一度、校門前で見た記憶がある。


今の顔と結びつかなかった。


澪はマイクの電源を切った。


もう館内放送ではない。


「姉が亡くなったあと、実家の荷物を整理していてノートを見つけました」


机の下から透明なケースを出す。


中に大学ノートが三冊。


「高校の頃から亡くなる半年くらい前まで、不定期に書いてた日記です」


冬馬は立てなかった。


澪が一冊を開く。


「文化祭の日のこともありました」


ページをめくる。


「姉は二万円取った」


冬馬の喉が詰まる。


「でも伊沢さんと別れたあと、怖くなって戻した」


誠が俯いた。


「実行委員室に戻った時、片桐さんが廊下の角にいた、と書いてあります」


「姉は、見られたと思った」


澪は次のページ。


「翌朝、鞄から二万円が出てきた」


「その時、初めて片桐さんを疑った」


誠が顔を上げる。


「でも姉には証拠がなかった」


「自分が一度二万円を取ったことも、言えなかった」


「言えば『やっぱり盗んだ』になると思ったから」


冬馬は聞いた。


「何で俺の会社辞めた理由まで知っとったんですか」


澪は少し困った顔をした。


「今回、皆さんに来てもらうために調べました」


「全部?」


「全部ではありません」


「じゃあ、秘密が真実かどうかどうやって」


「姉の日記にあるもの。昔の学校記録。同級生への聞き取り。皆さんの公開情報。それから、事前に一人ずつ別の方から聞いた話」


亮が眉を寄せる。


「別の方?」


「皆さん、自分だけの秘密だと思っていることでも、意外と誰かは知っています」


澪は言った。


「分からないものは『真実です』とは判定していません」


冬馬は思い返す。


自分の退職理由。


元同僚に聞けば分かる。


完璧な監視ではない。


けれど、秘密を持つ人間には十分だった。


美央がノートを見る。


「姉さんは、誰が盗ったか最後まで分からんかった?」


「はい」


澪は誠を見る。


「片桐さんじゃないかとは書いていました。でも決めつけてもいません」


「じゃあこのゲーム、片桐を自白させるため?」


「違います」


澪は首を振った。


「誰だったのか知りたかった」


「それと」


六人を見る。


「姉が何で十六年たっても、あの時のことを書き続けたのか知りたかった」


茉莉が小さく言う。


「私らのせい?」


澪はすぐには答えなかった。


「姉は、片桐さんのことだけ書いてたわけじゃないです」


冬馬。


「伊沢さんが何で何も言わなかったのか」


美央。


「高見沢さんが、最後に自分を信じてくれたのか」


茉莉。


「匿名の紙を書いた人は、本当に自分を憎んでいたのか」


亮。


「部屋の鍵がどうして自由に使われていたのか」


拓人。


「自分以外にも金を取ろうとした人がいたのか」


「姉は答えを知らないまま、ずっと考えていました」


澪はノートを閉じる。


「だから、私も一人だけ犯人を見つければ終わるとは思ってませんでした」


時計は二十三時五十二分。


ルールでは、六人で一人を指名する。


亮が言った。


「もう指名するまでもないやろ」


澪は首を振った。


「ルールです」


「まだやるん?」


「最後まで」


体育館中央の机に紙とペンが置かれる。


《十六年前に二十六万円を盗んだ人物》


その文を見て、美央が苦笑した。


「二十六万じゃなかったけどね」


澪も少しだけ笑った。


「姉もそこに気づいていませんでした」


実際に誠が盗んだのは約二十五万円。


そのうち二万円を理子の鞄へ入れた。


誠が手元に残したのは約二十三万円。


学校が「二十六万円」としたのは、美央の三万円の会計誤差が混じったから。


十六年間、事件の金額からして間違っていた。


冬馬は紙に名前を書いた。


片桐誠。


五人も同じ。


最後に誠自身がペンを取った。


「俺も書くん?」


澪が答える。


「六人で一人です」


誠はしばらく紙を見た。


そして自分の名前を書いた。


二十三時五十六分。


《正解です》


スピーカーから、最後の録音が流れた。


女の声ではない。


少しかすれた声。


冬馬は一度しか聞いたことのない大人の理子の声だった。


十五


『これ聞いとるってことは、澪が何かやったんやと思います』


最初の一言で、澪が顔を覆った。


『やりすぎてたら止めてください。あの子、昔から思い込むと止まらんので』


亮が小さく笑った。


すぐに笑いは消える。


録音は続く。


『文化祭の金のこと、私は二万円だけ一回取りました』


理子本人の声。


『すぐ戻しました』


『でも、そのこと言えんかった』


『言ったら全部私になると思ったから』


冬馬は拳を握った。


『冬馬が見てました』


名前を呼ばれ、十六年が一気に戻る。


『冬馬には悪いことしたと思ってます。見なかったことにしてって頼んだから』


『たぶん、あいつも言いづらかったと思う』


冬馬は下を向いた。


理子は責めていなかった。


それが余計につらかった。


『誰が残りを取ったか、私は最後まで分かりませんでした』


『片桐かなって思った時期はあります』


誠は動かない。


『でも、違ったら嫌やし』


『自分が一回盗ろうとした人間が、人のこと泥棒って言うのも変やし』


少し笑う声。


『だから、もうええかなって思った時期もありました』


間。


『でも、たまに夢に出るんです』


『先生に鞄開けられるとこ』


『みんなが私を見るとこ』


『誰も何も言わんとこ』


体育館で誰も動かなかった。


『あの時、一番嫌やったの、金なくなったことじゃないです』


『誰が信じてくれて、誰が疑っとるか分からんかったこと』


『みんな普通に喋るから』


『それが一番怖かった』


冬馬は十六年前の教室を思い出す。


理子が転校するまでの一か月。


誰も露骨に責めなかった。


普通に挨拶した。


普通に授業を受けた。


普通に昼食を食べた。


その裏で全員が何かを隠していた。


『もし澪がみんなに会うことあったら、別に謝らせんでいいです』


澪が泣いている。


『ただ、聞けるなら聞いてみたい』


『あの日、ほんとは何しとったんって』


録音が少し途切れる。


『私もほんとのこと言えてなかったから』


最後に、理子は笑った。


『みんな同じやったんかな』


音声が終わった。


時計が零時を指した。


鐘が一度鳴る。


ゲーム終了。


十六


誰もすぐには帰らなかった。


誠は体育館の端で澪と話した。


何を話したか、冬馬は聞かなかった。


警察へ行くのか。


金を返すのか。


理子の父親はもう亡くなっている。


法的に何ができるか。


十六年という時間が長すぎて、簡単な答えはなかった。


それでも誠は、翌朝には澪と一緒に警察へ相談すると言った。


美央は三万円について理子の家族へ返すと言った。


澪は断った。


美央は「じゃあ勝手に振り込む」と言った。


亮は煙草と鍵の話を、今さら学校へ報告する意味あるかな、と言った。


茉莉に「ない」と即答された。


拓人は、自分が一万円盗もうとしたことだけは墓まで持っていきたかった、と笑った。


「もう館内放送されたぞ」


冬馬が言うと、拓人は頭を抱えた。


午前零時二十分。


外へ出ると雨は止んでいた。


駐車場のアスファルトが濡れている。


六人はそれぞれの車へ向かった。


誠だけは帰らず、澪の車へ乗った。


冬馬は自分の車のドアを開ける前に、澪へ声をかけた。


「一個聞いていいですか」


「はい」


「鬼、ずっと澪さんやったんですか」


澪が少し笑った。


「秘密です」


「まだそれやる?」


「捕まえたら話します」


冬馬も笑った。


ほんの少しだけ。


車へ乗る。


エンジンをかける前に、スマートフォンを開いた。


連絡先を検索する。


《岸田理子》


番号は十六年前のまま残っていた。


当然、つながらない。


冬馬は削除しなかった。


代わりにメモ欄へ一行だけ書いた。


《二万円は戻していた》


それだけでは足りない気がして、もう一行。


《俺は見ていた》


保存した。


駐車場を出る時、バックミラーに研修館が映った。


来月にはなくなる建物。


冬馬はバックミラーの中で、それが木々の向こうへ消えるまで見ていた。
















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