第61話 壊れた壁の落書きを残したら、避難所が初めて反応した

翌日から、湊は修理のやり方を変えた。


何を直すかを自分で決めるのをやめた。


地下街の中央へ板を置き、住民に書いてもらう。


《直してほしいところ》


《変えないでほしいところ》


《なくしてほしいもの》


《増やしてほしいもの》


最初は誰も近づかなかった。


昼前、最初の一枚が貼られた。


《南の階段。雨の日に滑る》


次。


《共同炊事場の煙が目に痛い》


《北通路の鉄格子を外してほしい》


《外さないでほしい。夜怖い》


同じ場所について、正反対の意見も出た。


湊は困った。


「どうする?」


レナが紙を並べる。


「両方正しい。鉄格子が監禁の象徴だった人と、防犯設備だった人がいる」


「じゃあ半分外す?」


「算数で解決しないで」


ルゥが格子の前にしゃがんだ。


匂いを嗅ぎ、周囲を見る。


「夜、ここ暗い。格子ないと怖い人いる」


「なら明るくして、閉めなくても安全にする?」


「それなら試せる」


格子は撤去せず、まず一週間開放することになった。


照明を増やし、夜は住民の見回りを置く。


シエラから通信が入る。


『見回り当番を義務化するな。志願者を募り、交代基準を作れ』


「シエラ、留守番なのに参加してる」


レナが端末を見る。


「警備の話だから当然でしょ」


続いてミナから。


『共同炊事場の換気を直すなら、鍋を置く高さも確認してください。背の低い種族には今の台、高すぎるそうです』


ヴェルナが感心する。


「現地にいないのに一番生活を見ているな」


「ミナだからね」


フィアからは、なぜか大量の植物候補一覧が送られてきた。


『地下でも育つ子たちなの! 勝手に植えたら怒るから、ちゃんと聞くなの!』


「最後が一番大事だね」


少しずつ、地下街が変わっていった。


綺麗になる、というより。


住民が自分たちで手を入れ始めた。


湊が補強材を作る。


住民が塗る。


レナが換気量を測る。


炊事場の女性たちが煙の流れを確認する。


ルゥが危険な死角を探す。


子どもたちが「ここも怖い」と追加する。


ヴェルナは魔族系住民と話し、地上登録を望まない理由を聞いた。


「名前を登録したら、親族まで調べられる」


若い魔族の男が言う。


「魔族領へ戻る気は?」


「ない。向こうじゃ人間の血が混じってるって言われる」


ヴェルナはしばらく黙った。


「そうか」


それだけだった。


だが帰り道、彼女は湊へ言った。


「私がここを選べたのは、帰る場所を捨てたからではなかったんだな」


「うん?」


「いや。今はまだいい」


夕方。


地上との暫定合意案が住民集会で読み上げられた。


ガドが尋ねる。


「残る奴も、出る奴も、どっちも裏切り者扱いしない。それでいいな」


何人かが顔を伏せた。


地上へ出たいと言えば、この街を捨てることになる。


残りたいと言えば、地上社会を拒絶することになる。


ずっと、そういう空気があったらしい。


湊が言う。


「どっちでもいいんじゃない?」


ガドが睨む。


「軽いな」


「だって家って、出かけても帰ってきていい場所じゃないの?」


地下街が静かになった。


ルゥの耳がぴくりと動く。


彼女は以前、自分で同じことを聞いた。


――外に出たら、帰ってきてもいい?


ルゥが小さく笑った。


「それ、好き」


ガドが長く息を吐く。


「……じゃあ、門を開ける話から始めるか」


その夜。


閉ざされていた北通路の鉄格子が、初めて施錠されなかった。


誰も逃げなかった。


誰も侵入してこなかった。


ただ、一人の青年が地上へ出て。


二時間後、パンの袋を抱えて戻ってきた。


門番役の老人が聞く。


「どうだった」


青年は答えた。


「眩しかった」


「戻ってきたな」


「晩飯あるから」


笑いが起きた。


その瞬間。


SYSTEMが鳴った。


【住民による出入りの自由を確認】


【帰還可能性を保持した自発的離脱を確認】


【共同帰属反応:上昇】


そして初めて。


【SANCTUARY CONDITION:32%】


湊は表示を見上げた。


「数字になった」


レナも見る。


「設備稼働率じゃない」


アデルが静かに呟いた。


「条件達成率……でございましょうか」


まだ三十二パーセント。


それでも。


この街は、設備を直した日ではなく。


誰かが自由に出て、自由に帰ってきた夜に。


初めてSanctuaryへ戻り始めた。

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