第3話
「ここには、魔物1匹すら通さないからな!」
扉越しに、サザムの怒号にも似た叫び声が響き渡る。
レイは、そんなサザムの声を聞くのは初めてだった。
いつだって、彼にとっては優しい父親だった。
家族を愛し、皆に優しさを振りまく父親の姿は、まさしく憧れそのものだった。
彼の声に混じって、魔物の品性を感じさせない笑い声が響き渡る。
「ユウシャヲワタセ!」
「ユウシャヲコロセ!」
人間の言葉を真似た化け物が叫ぶ声。
それに重なる、サザムの怒号。
「てめぇら魔物なんかに、レイを渡すもんかよぉぉぉっ!!!!」
「ガ……!」
重たい肉を貫く音が聞こえた。
どさりと土に塊が崩れ落ちる音、ぬめりを帯びた地面を滑る音。
沢山の音のみが、納屋で縮こまるレイとサナへ情報として伝わる。
「ひっ……きゃっ……」
「大丈夫、大丈夫だから……父さん……」
外界の音に怯えきってしまったサナを守るようにレイは覆い被さった。それから、鋭い目つきで扉の方を睨む。
敵襲を警戒するように、しっかりとその右手にはシャベルが握られていた。
それは戦いと言うには、あまりにも生々しい物音でしかない。
血液の上を、念入りに研がれた金属が滑る。
喉笛を貫かれた魔物の気道から、ひゅうと空気が抜けていく。次の瞬間には、血みどろの中に叩き付けられる物言わぬ肉塊が転がった。
荒々しい苦悶混じりの吐息と、苛立ちの籠もった声音。
扉の向こうにいるのは、人間ではなかった。
ただ本能に任せて争い続ける、ただの獣だった。
「怖い、怖いよ……パパ、ママ……」
「……っ。どうして、どうしてこうなったんだよ……」
震えるサナを無理やり押さえつけるように、強く抱きしめた。
サナも不安を払拭するように、レイへとしっかりとしがみ付く。
レイにとって、それは最悪の誕生日プレゼントだった。
「お前らに! 愛する息子は渡すものかっ!」
荒々しい怒号が聞こえる。
「コロセ! イカシテオクナッ!」
魔物の怒りを滲ませた声が響く。
「ガッ……!」
魔物の胸から、空気の抜ける音が聞こえた。
どしゃりと、地面に何かが崩れ落ちる音が聞こえた。
「がふっ……! が、ぐっ……」
気道に血液が入り込む音が聞こえた。
「……ガッ……」
荒々しい戦闘の音は、徐々になりを潜めていく。
沢山の物音が、少しずつ消えて。
やがて。
「……」
静かに、なった。
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「……レ、イ……」
「父さんっ……!?」
扉の向こうから、くぐもったサザムの声が聞こえた。
レイはとっさに身体を起こし、扉を強く叩く。
安堵の混じったサザムの吐息が響いた。
「す、ま、ない……俺の……わが、まま……で……」
「……皆で逃げれば良かった……だろ、馬鹿……父さん……」
「……ゆう……しゃ……」
「え?」
サザムは唐突に”勇者”という言葉を呟いた。
レイはその真意を理解できず、呆けた声を漏らす。
だが、サザムは一方的に。
最期の言葉を続けた。
「……お前は、勇者だ。悪を討ち滅ぼす、希望の勇者だ……」
「何を、何を言っているんだよ。俺、勇者なんかじゃない」
「夜が明け……たら。村はずれにある木こりの家を……め、ざせ……お前の……力に」
「父さん! さっきから何を馬鹿なこと言ってるんだよ! 意味分かんねぇよ! なあっ! 皆はどうしたんだよっ!!」
「……すま、なかった……」
ぬめりを帯びた雑草が擦れる音が聞こえた。
白銀で出来た甲冑が、がしゃりと揺れる音が聞こえた。
血溜まりの出来上がった土を踏み抜く音が聞こえた。
何度も。
何度も。
そして、最期に。
納屋の近くにあった、川から巨大な水しぶきが吹き上がる音が聞こえた。
……。
……。
……。
「……うん、ん……」
納屋の隙間から差し込んだ日差しに、レイはゆっくりと意識を覚醒させる。
金槌のように重くなった頭を持ち上げて、それから納屋の隙間から外を覗く。
小鳥のさえずりが聞こえる。
ぱち、ぱちと木の焼ける音が聞こえた。
人の声は、聞こえなかった。
「……サナ」
「すぅ……すぅ……」
泣き疲れたのだろうか。
レイの隣で、目元を腫らして身体を丸めて寝ているサナがいた。
彼はサナへと静かに毛布を掛けて、慎重に扉を開ける。
まず、鋭い日差しがレイの網膜を焼いた。
レイは微かに目元を細める。
「……みん、な……?」
次の瞬間、レイの肌を鋭い熱が焼く。
風に乗った熱風が、レイの身を纏う布の服を揺らす。
黒く焼け焦げた灰が、舞い上がっていた。
視界いっぱいに広がる情報を飲み込んだレイは、何の躊躇もなくかけ出した。
木々の隙間から、炎に呑まれた村の光景が見えたからだ。
「おじさんっ!! おばさんっ!! みんなっ、みんなぁっ!!!!」
レイは足をもつれさせながら、それでも歩みを止めることなく駆け抜ける。
そこには彼の知る村など、どこにも残っていなかった。
炎から逃れようとしたのだろう。
沢山の村人だった死体が、井戸の中に転がっていた。
子供を抱きかかえたままの焼死体があった。
包丁を持ったまま崩れ落ちた、頭部のない死体があった。
倒壊した家屋の隙間から、誰のものとも分からない手が覗かせていた。
そんな最悪を更新し続ける世界の中を、レイはただ黙って歩く。
もはや、彼の感覚は麻痺しきっていた。
「……」
彼の意識が再び戻ったのは、かつての住処へと戻った時だった。
もはやそれが、かつての住処であるという保証などどこにもないというのに。
彼には焼け焦げたその家屋が、自分の家だと理解できた。
否、理解してしまった。
「……母さん。ただいま、帰ってきたよ……」
レイはぽつりとそう呟く。
だが、誰も彼を迎えることはない。
焼け焦げた灰の匂いだけが、レイを包み込む。
レイは縋るように、灰に薄汚れた顔で語りかける。
「俺さ、今日からちゃんと家事手伝いやるよ。水運びだって、大変だったろ。ちゃんとする、ずっと素振りばっかやってないでちゃんとする。ほら、だから、だからさ……」
瞳からぽつり、ぽつりと涙が滴っていく。
突然神経が断絶されたかのように、レイの身体は崩れ落ちる。
四つん這いになった身体で、縋るように叫ぶ。
「だからさぁ……なあ、スープ作ってくれよっ! 俺、俺っ……母さん、母さんっ……うああ、うああああ、ああああああ……!!」
「……レイ」
同じように目を覚ましたサナは、静かにレイの後ろ姿を見つめていた。
それから彼女は、自分の住処だった場所に視線を送る。
未だ消えることのない炎が、彼女の家だったものを包み込んでいた。
「……最後に見る景色が、幸せなものであって欲しかった……ね。こうなること、分かってたんだ」
サナは両の腕で、強く家から持ち出した魔法杖を抱きかかえた。
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