第33話 宛先

「うちのがねえ、この秋から、腰でねえ」

 別府さんの三か月検診の日、私は世間話のふりをして、家族の具合を訊いた。訊いてから、自分の質問の卑怯さに、うがい用のコップを握った。

 別府さんは、なんの屈託もなく答えた。長男さんが、この秋から腰を痛めて、整形に通っている、と。同居の、五十過ぎの息子さん。夏まではぴんぴんしていたのに、急に、朝、起き上がれなくなる日があるのだという。

「医者は、年だ年だと言うがね。あいつはまだ五十だよ。わしが六十のころは、山にだって登っとった」

 別府さんの腰は、いまも痛くない。夏に消えたきり、秋になっても、帰ってこない。

 私は、別府さんの既往を、カルテで知っている。二十年ものの腰痛症。右の腰。かがむときに、よっこいしょを二回に分ける、あの腰。

「息子さん、どのあたりが痛いって?」

「右のここらだと。わしのと、同じとこよ。親子だねえ、なんて笑っとった」

 右の、ここら。別府さんは、自分の右の腰を、とん、と叩いた。夏の商店街で、痛くない、と叩いてみせた、同じ場所だった。

 夏、別府さんが右足の蜂窩織炎で二週間、痛みに気づかず寝ていたとき、その足に最後まで気づかなかったのは、同居の長男さんだ。毎日同じ家にいて、父親が足を引きずるのを、年のせいだと思って見ていた家族。

 別府さんの、消えた腰の痛みが、その息子さんの右腰に、この秋から、住んでいる。

「別府さん。お大事に、息子さんも」

 私は、それしか言えなかった。言いながら、頭の中の帳面が、勝手に二列目を書き始めていた。一例では、偶然だ。私と悠真も、一例だ。二例でも、まだ足りない。

 その週、私は差分表の裏取りを、もう一度やった。今度は、患者本人ではなく、その家族に。番号は伏せる。夏に痛みが消えた人の、いちばん近くにいて、その人の不調にいちばん気づかなかった家族に、この秋から、新しい痛みが出ていないか。

 全部は、確かめられなかった。訊けない家もある。答えたがらない家もある。それでも、取れた範囲で、形は同じだった。

 番号〇八一五。物干し竿の打撲に、入浴まで気づかなかった女性。同居の娘さんが、この秋から、腕が上がらないと言っている。

 番号〇二三九。線香の水疱に、食事まで気づかなかった老人。世話をしている嫁いだ娘さんが、右手が痺れると言い出した。

 番号一四〇二。夏、三年ぶりに草むしりに出た、と近隣が言った男性。同じ屋根の下の奥さんが、この秋から、膝が笑うと言っている。

 消えた痛みは、消えていなかった。

 その痛みに、いちばん気づかなかった、いちばん近い大人へ、移っていた。

 部位まで、揃っていた。腰は腰へ。腕は腕へ。足腰の弱りは、足腰へ。痛みは、種類を変えずに、ただ、住む身体を変えていた。夏に私が作った差分表の右端に、今度は、家族の欄が一列、生えるべきだった。生えていなかったのは、私が、そこまで表を伸ばさなかったからだ。医院の中しか、見ていなかった。怪異は、医院の外で、静かに、続きを書いていた。

 私は、この「移る」を、夏に一度、捨てている。咲ちゃんと二人で、消毒室で、理屈をつけて捨てた。移るなら、消えた分だけどこかで増えているはずだ、と。増えていた。私たちが、見ていなかっただけだ。増えた先は、患者の家の中。私たちの帳面の、いちばん外側。差分表は、医院に来た人の分しか、書けていなかった。

 夜、家の帳面に、私は形を書いた。

 痛みは、消えるのではない。移る。左手を上げた人の痛みが、その痛みにいちばん気づかなかった大人へ、届けられる。

 なぜ、届けるのか。

 罰ではない。罰なら、痛みを与えたきりで済む。これは、届き続ける。別府さんの息子さんは、整形に通っている。原因がわからないまま、痛い、と訴えている。訴えて、初めて、家族が父親の異変を振り返る。あの夏、お義父さん、足を引きずってたわね、と。

 気づけ、という報せなのだ。

 あんたが気づかなかった痛みが、ここにある。気づくまで、送り続ける。宛先の大人が、ようやく、あのとき気づくべきだった、と気づくまで。配達は、終点ではない。通知だ。同じ報せを、受け取るまで、何度でも送る、再送だ。

 そこまで書いて、ペンが、止まった。

 再送。

 予約簿の、悠真の行。

 七月から、消しても消しても、戻り続けた。四か月。二重線、四十本。私は、あの予約を、怪異が悠真を診療台に呼んでいるのだと思っていた。あの子をもう一度、この土地の椅子に座らせようとしているのだと。だから、必死で消した。

 違った。

 あの予約は、悠真を呼んでいたのではない。

 配達先を、呼んでいた。私を。三年前と同じ場面へ——金曜の十六時、あの診療室、仕切り一枚の向こうに悠真がいて、久保井先生の合図の言葉が響く、あの一日の形へ——私を、引き戻そうとしていた。気づけ、と。あんたが見なかった手が、ここにある、と。四か月、毎週、同じ曜日、同じ時刻の升目に、私を、呼び続けていた。

 私は、先週、その椅子に、自分で悠真を座らせた。座って、先生の言いかけた合図を聞き、初診と同じ形の三十分を、今度は、見た。全部、見た。上がらない左手も。

 受け取ったのだ。三年遅れて、私は、報せを。

 翌日、医院で、私は予約簿をめくった。

 悠真の行が、ない。

 十一月の第一金曜のあとの升目に、翌週の枠に、その翌週の枠に、どこにも、ない。四か月、めくれば必ずいた行が、消えていた。私が消したのではない。私は、今週、消していない。勝手に、いなくなっていた。

 その日の昼、私は試しに、隣町の小児歯科に電話をかけた。もう予約は要らない。悠真の歯は、うちで治した。それでも、確かめたかった。

 一回目の呼び出しで、繋がった。

 あれほど、繋がらなかった電話が。あれほど、消えた予約が。受付さんは、明るい声で、いつでもどうぞ、と言った。障害の話は、もう出なかった。

 用件は、受け取られたのだ。

 だから、送るのを、やめた。

 電話を切って、私は診療室の壁にもたれた。腰が、いつものように、重かった。この腰は、これからも、私のものだ。予約が消えても、報せが届いても、届いた痛みは、送り返せない。怪異は、痛みを取り戻してはくれない。宛先を、間違えないだけだ。

 私は、宛先だった。三年、正しく。

 では、悠真の痛みは。

 配達されて、私に届いた。私は、受け取った。なら、悠真の身体の痛みの欄は、これからも、空のままか。空の身体で、あの子は、火にも刃にも骨にも、警報なしで、育っていくのか。

 届いた報せに気づくことと、送られた痛みを送り主へ返すことは、別のことだった。私は、片方しか、していない。

 もう片方の道が、どこかにあるのか。予約簿の升目は、もう、答えを書いてはくれなかった。

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