第9話

 レオンがうつ病と診断されてから、20日ばかりが経過した。


 レオンはまだ、ほとんどの時間をベッドの上で過ごしている。


 …以前と違うのは、私や他の誰かが、

それを「怠けている」と思わなくなったこと。

今や王城の使用人達ですら、レオンは病に伏せ、寝たきりという事実を知っている。


 うつ病は、私でも知らなかった程、アルヴェリア王国での認知度は低い。


 それでも、寝たきりになってしまうほど恐ろしい病気として

徐々に浸透しつつあった。


 …レオンは快復してきている。


 アリマ先生に言われた、変化を見逃さない、ということ。

おかげで、レオンの顔色も…良くなってきたのがわかる。


「レオン」


 私は日課のように部屋に出向いては、レオンのお世話をする。


「リゼ…いつもありがとう」


 優しく微笑み、笑顔でお礼を言ってくれる。


「…今日も、笑顔が素敵です」


「君のおかげ、かもね」


 2人、夫婦の時間。

笑い合うだけでも…楽しかった。





 そんなある日のこと。

アリマ先生がレオンの部屋に診察に来た。


 経過観察のため、度々宮廷医師がレオンの部屋に訪れ、

レオンの様子を医学的目線でしっかりと見る。


 私が同室することはあまり無いが、

今日は、レオンと一緒に聞いてほしい話があると

レオンの部屋で、レオンと私、そしてアリマ先生の3人で顔を合わせた。


「一つ、申し上げておきたいことがあります」


 アリマ先生がいつもの、レオンの診察を終えてから口を開いた。


「何でしょう?」


 私は椅子を2つ用意する。ひとつはアリマ先生、もうひとつは私。

レオンはベッドで寝たまま、目だけをアリマ先生に向けていた。


「殿下は長い間、ベッドで過ごしておられますね」


 レオンは、うつ病な上に、一度死にかけている。

それからというものの、ずっとベッドの上に横たわる生活だった。


「そのため、身体を動かす機会が減っています」


 体を動かす機会?

言われてみれば当然だが、寝たきりなので動く事は少ない。


 私は頷いた。


「確かに…動く事、無いですね」


「はい…このまま長期間動かない状態が続けば、

筋力や体力が落ちてしまう可能性があります」


 私はレオンを見る。

確かに肌色は良くなったが、顔つきは…筋肉が萎んだようにも見える。


「……やっぱり?」


 レオンが小さく呟いた。自覚はあるようだ。


 これでも王子教育や他の過程で、

乗馬や剣術を学んでいた身だ。


 体の鍛え方や構造は…レオンも詳しいだろう。


「そんな…レオン…」


 私は不安そうな声が漏れる。

筋肉や体力が落ちるということは、

…うつ病が治っても、歩けなくなるかもしれない。


 アリマ先生に向き直り、尋ねる。


「…どうしたらいいんですか」


「対策はあります。まだ間に合いますよ」


「対策…どんな?」


 私が訊くと、微笑みを返してくれた。

そして、アリマ先生はレオンに向き直って、説明してくれた。


「いきなり歩く必要はありません。まずは座る。足を床につける。立つ。できることから少しずつです」


 ここでも、『焦らない』

できることから、ゆっくりと。


「……立つ」


 レオンは、噛みしめるように頷いた後、布団に包まれた自分の足を見た。


「立てるかな」


 自嘲にも似た呟き。

できるかどうかなんて、本人にすら、わからなかった。


 …でも、


「試してみる価値はあると思います」


 アリマ先生は頷いた。


 決してレオンを急かさない。

それでいて応援するような、優しい口調。


「ただし、今日できなくても構いません。体調が悪ければ、また別の日にしましょう」


「……うん」


 レオンはじっと自分の足を見ていた。

私はそれを横から見ていた。


「…レオン、…やってみる?」


「……」


 レオンはしばらく黙っていた。

やがて、決意を込めた目で、頷いた。


「……やってみたい」


 そう言った。




 私は手を差し出し、レオンの右手を支える。

アリマ先生は、左手だ。


 レオンは手を伸ばし、2人の手を握って上体を起こした。


「では、ゆっくりと、まずは座る所から。」


 レオンがベッドの端へ腰を移す。

すると、布団から長い事出ていなかったレオンの両足が、

久しぶりに、本当に久しぶりに床に触れた。


 つま先から、ゆっくりと、足の裏全体が、床に接地する。


「……重い」


 ぽつり、とレオンが呟いた。


「大丈夫?」


 私は顔を覗き込むと、レオンは苦笑していた。


「身体って……こんなに重かったっけ」


 私が握った手は、ふるふる、と震えていた。

きっと、体が悲鳴を上げているんだろう。


 私は笑わなかった。

「頑張ってください」とも、言わなかった。




 今はただ、彼が自分で決めるのを待った。



 またベッドに眠るのか、それとも、立ち上がるのか。




「…どっちでも構いません」


 レオンに、声をかける。


「今できなくても、…明日があります」


 私が微笑みかける。


 アリマ先生も、同様に微笑んでいた。


「…リゼ…」


 私の顔を見たレオンの目が、紅く、光を帯びた。


 そして――




 ゆっくりと身体を、ベッドから持ち上げた。



「……っ」




 ―立った。


 レオンは、…ひと月ぶりに、立ち上がった。


 膝は震えている。

身体は折れそうなほどふらついている。

それでも、レオンは…私と先生の手を離さなかった。


 支えられながらも、立ち上がった。


「レ、レオン…」


 喜びのあまり私が声をかけようとすると…


「……大丈夫」


 レオンが言った。


「僕、自分でやれるから」


 そう言って、…私と先生の手を振りほどいた。


「……」


 窓から差し込む光を背に受け、

レオンは自分の足で…立っていた。


「……っ!」


 私は、何も言えなかった。




「……立てた」


 レオンが呟いた。


 ゆっくりと横にいる私を向いて、微笑んだ。


「…立てたよ、…リゼ」


「…はいっ…!」


 私は思わず笑ってしまった。


 そして――涙が出た。


「…リゼ…なんで泣くの?」


 レオンが不思議そうに、こちらを見ていた。

きっと今、変な顔になっているだろうか。

レオンの顔が緩んでいる。



「嬉しいからです」


「そんなに?」


「はい…っ」



 レオンは困ったように笑った。


 私は涙を拭った。

けれど、笑顔は消えなかった。





 これは、ただ…レオンが立ち上がった瞬間ではない。




 レオンが、自分の意思で立ち上がった瞬間だった。






 ―…次の日、レオンは立てなかった。



 アリマ先生曰く、立てた事の喜びに反比例する形で

気持ちの波が沈んでしまったらしい。


 レオンの部屋で、私の傍にいた。


「…ごめん、今日は立てない…」


「いえ、レオンは悪くありません。むしろ、良い事です」


「え?」


 レオンは首をこちらに向け、驚いた顔をしていた。


「以前までのレオンなら、無理して立とうとしたり、

『ごめん』、しか言いませんでした」


「…」


「今日は自分で『立てない』と、おっしゃってくださいました」


 その言葉を聞いて、

レオンは体を起こし、顔を近くで見せてくれた。


「…良い事なのかな」


 レオンは困惑しながらも、少し笑顔を見せてくれた。


「良い事です」


 私は言い切った。


「…そっか」


 呟いたレオンは両手を使って上体を動かし、

足をベッドの外に伸ばしていく。


「…立つんですか?」


 私が心配そうに支えようとすると、

レオンは首を横に振った。


「座るだけ。…もう少し話がしたくて」


 その一言で、私はまた涙がこぼれそうだった。


 …自分の意思が言えるようになる。

それは、うつ病克服の兆候でもあった。


「ええ、…もちろん」


 ベッドでの隣合わせの2人。

会話はゆっくりだが、…心地よい時間が続いた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「今日は、外に出てみたい」


 レオンは部屋で窓の外を眺めていた。


 アリマ先生からの指示で、

立てる日は窓から日の光を浴びるように、と言われていた。


 日の光は、人の心を落ち着かせる、だとか。


「ついていきます、庭まで歩きましょう」


「うん、頼むよ」


 私はレオンの手を取り、部屋の外へ歩きだした。

ドアノブに手をかけ、私が先に廊下へ出る。


 レオンがひとつ深呼吸した後…

一歩、ドア枠の縁を乗り越え、廊下に歩み出た。


 …久しぶりに、レオンが部屋から外に出た。

およそ30日ぶりのことである。


「…出れた」


「…ええ、出れました。おめでとうございます」


 優しく笑顔で微笑みかける。

するとレオンも優しく微笑んでくれた。




 寝たきりで衰えた筋肉は、かなり負担がかかってるらしい。

庭に出るころには、レオンの額に汗が滲んでいた。


「冷たい水を用意させますね」

「頼むよ」


 私は侍女に水を用意させ、持ってくるまでの間、

庭にあるテラスに2人で向かう。

30日ほぼ寝たきりの人間にとって、かなりの遠出だ。


 レオンの汗をハンカチで拭き、届いた水を2人で飲む。


 私はレオンに提案した。


「このままお茶会にしますか?」


「…それは素敵だな」


 侍女にティーセットを持ってくるよう指示すると、

嬉しそうにキッチンに向かっていった。


 穏やかな時間、2人で過ごす空気は

とても暖かく、それでいて、…幸せだった。


「レオンハルト様、リゼット様、お茶が入りましたよ」


 侍女がティーセットを運んできた。

風に乗って運ばれてくる紅茶の香り、それとお皿に乗せたスコーン。


「レオン、さ、いただきましょう」


 暖かい紅茶を2人で飲む。

いつ以来だろうか、2人でこのような穏やかな時間を過ごしたのは。


 隣でレオンが呟いた。


「…美味しい」


 …美味しい。と。

…レオンが、味について感想を言ったのも、久しぶりだった。


「味がわかるというのも、心身共に健康になっている証拠、だそうですよ」


 アリマ先生から言われたことを思い出し、それを教えた。

レオンは暖かく微笑み、「よかった」、と返してくれた。


 レオンは自らスコーンを手に取り、二つに分けて片方を齧った。


「…嬉しいな、味がわかると…食事も楽しいだなんて」


 私も共にスコーンをかじる。

バターの香りとほどよい塩気が、紅茶によく合う。


「……レオン、今日、貴方とここに来れてよかった。」


「…僕もだよ、リゼ」


 暖かな日差しの中で、2人で顔を寄せていく。

唇が触れそうな瞬間、声が聞こえてきた。



「王子殿下!」



 野太い声が、庭園の中に響いた。

声の方向を見れば、ガタイの良い筋肉に、

金の刺繍の入った軍服を身にまとった大男。

 波打った長髪に髭を伸ばしたこの男は、

軍務大臣、バーランドだ。


「バーランド、いかがなさいました」


 私が矢面に立って応対する。

が、最初からバーランドはこちらを見ていないようだった。


「王子殿下、ご健在で何より。こちらにおられるという事は、病は完治したので?」


 私を無視して王子に話しかける。

レオンは、怪訝そうな顔をしながら答えた。


「まだ完治はしていない。今も療養中だ」


「いえそんなはずはありません。」


 強く言い返すレオン、バーランドはそれでも引かない。


「立てる、という事は動ける、ということ。

動ける、ということは働ける、ということ。

我が軍ではそう教えてきました」


 無茶苦茶な理論に私は眉間に皺が寄りそうだった。

レオンは今、歩けるだけでも奇跡に近いのに…、働けと?

私は思わず口を挟む。


「それで、バーランド。何かご用事ですか?」


やっとこちらを見たバーランドは私に一枚の書類を見せてきた。


「ええ、リゼット様、最前私が以来した提案書、

あなたに否決されてしまいましてね。

王子であればご理解いただけると思い、持ってまいりました」


 差し出されたそれは、以前、私が見て否決した提案書。


 隣国、ローリア帝国の新兵器。

対空大砲の購入提案書、500基分。


 その金額は…現在の軍事予算の倍、

従軍している兵士の給料を全て持っていき、ようやく500基が買える程。


 もちろん新兵器というだけあって、導入された実例はほぼ無い。

ローリア帝国でも実験記録が数ケース出ているか、いないか。


 しかも我が国の半分は海に面しており、

攻め入るなら海岸に船を停めるのが定石。

陸に面した近隣国も、空から攻めてくるような関係でもなければ

そもそも空から攻め入る兵器もあまり出回ってはいない。


 我が国には必要ない。この国における誰にとっても、そう思える代物だった。

…この男を除いて。


 私は溜息混じりに再度言った。


「…以前も言いましたが、これを導入するメリットが我が国にはございません」


「備えあれば憂いなし、と言います!」


 そう反論すれば、バーランドはレオンに向き直った。


「レオンハルト殿下、女性には軍務や防衛のことなどわかりません。

おわかりになるのは、王子殿下にほかなりません!

さぁ、判子を!」


「…っ」


 レオンはあからさまなパニックになっていた。

目は泳ぎ、口は何かを言いたげに開いては閉じた。


 私は慌てて止めに入る。


「バーランド、いいかげんに…」

「貴様は黙っておれ!!」


 大声に、私とレオンは身じろぎする、

レオンは、さらに萎縮してしまい、バーランドから目をそらす。

これはチャンスとばかりにバーランドはまくしたてる。


「王子殿下、やはりここは政務に長ける王子殿下にしかわからないかと思います

これを購入することで、ローリア帝国との接点も産まれます。

セレスティア王国との貿易なぞに漕ぎ出している場合ではないのです!

防衛のためには仕方ない事です、さぁ、承認を!」


「…ぼ、僕は…」


「王子殿下!あなたは王子なのです!歩けるなら働けるでしょう!

いい加減サボらず、働いてください!」


 その言葉に思わず私は掴みかかろうとした。


「バーランド、あなた…!」


 その時、レオンは…声を振るわせた。


「い、やだ…!」


 頭を抱えて、防御の姿勢、そして




「いやだ!!いやだ!!」



「お、王子殿下?」


「いやだーーーーー!!!!!あああああーーー!!!!!」


 レオンは自分の両手で耳を塞ぎ、

大声をあげて、バーランドを拒絶した。


 そして、


 耳を塞いだまま倒れこんだ。


「レオン!!」


 椅子から転げ落ちるように倒れ、体を震わせてうずくまる。

私は近寄って声をかける。聞こえていないのか、パニックなのか、

レオンはこちらを見ることすら出来ていなかった。


「レオン!!誰か!誰か!!レオンを運んで!!」


 慌てて侍女を呼び出し、担架でレオンを運び出す。

バーランドは、ただ唖然とし、何もできずオロオロとしていた。


 先ほどまでの威勢を失くしたバーランドに、振り返って一言。


「バーランド、この事は国王に報告させていただきます」


「し、しかし…」


 何か言おうとするバーランドを後目に、

私はレオンを連れて医務室に向かった。


「レオン…!」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 医務室についてからは散々だった。


 パニックになったレオンが、侍女や医師に暴力を振るい、

私の顔を認識し、ようやく落ち着いたようだった。


「レオン…大丈夫?」


「…うん…ごめん」


 私はレオンが眠るベッドの縁に座り、優しく頭を撫でてやる。


「大丈夫よ、レオン。」


「…」


 いつからか、落ち着かないレオンの頭を撫でるのが日課になっていた。


 病と戦い、気持ちが落ち着かないレオンに…良い夢が見れますように、と。


「…」


 レオンは黙ったまま、私の手を受け入れていた。

その目は遠く、何か違うものを見ているようだった。


 そして、ぽつり、と呟くように言った。


「…リゼ」


「はい、ここにいますよ」


 優しく落ち着かせるように。

しばらくの沈黙の後、レオンはまた呟いた。





「…僕、王子を辞めたい」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る