サボりがちな王子 ―病名は鬱病でした―

オーダマン

第1話

『人は見かけが全てではない。

その人の行動こそが、その人の全てだ。』


 …厳しかった母の言葉。今も私の胸にある。


 ここはアルヴェリア王国。

 海沿いに面した辺境国ではあるが、広大な土地を持ち

 たくさんの貴族が住まう、立派な国だ。


 私はリゼット。リゼット・アルヴェリア。

アルヴェリア王国の王子――レオンハルト殿下の正当な婚約者だ。


「リゼット様、おはようございます。お召し替えのお時間になります」

「ええ、ありがとう」


 メイドが私をナイトウェアからドレスに着替えさせる。

姿見に映る、母親譲りの金のロングヘア、父から受け継いだ、蒼い瞳。

そして、義父上、義母上…つまりは現国王と現王妃より賜ったドレスと装飾品。


 そのすべてが、私を形作る。

いや…形だけではダメだ。

全てが完璧でなければ、…王妃になんてなれない。


 窓から見下ろせる港町。アルヴェリア王国。

それらを支えるためには、王国の力だけでなく、周辺国との協力、

そして国を支える貴族との連携。


 王妃として、王族として、

それらを支えなければならない。

…もちろん、夫であるレオンハルトと共に。


 着替えが終われば、私は王宮にある学習室に向かう。

今日も、王妃教育の教師が待っているはずだ。


 王妃になる者には、それ相応の教育が必要になる。


 政治、外交、この国の歴史から、

礼儀作法、社交界での振る舞い。

果ては各地の産業や税制まで。


 指先の動きひとつでさえ、付け込まれる貴族の世界。

やがては、国王となるレオンハルトを支えるために…必要なことは全てこなす。


 …私はレオンハルトを愛している。

軽く聞こえるかもしれないが、彼と離れるという考えは

今後一切無いだろう。


 今日も朝からみっちりと詰め込まれ、ようやく最後の講義が終わった。

教師は私に向かって、礼儀正しくお辞儀をする。


「本日の王妃教育は以上となります。お疲れ様でした」

「ありがとうございます、明日もよろしく御願いいたします」


 私もお辞儀を返し、ようやく終わった、と両腕を天井に伸ばす。

 

 ふぅ、と一息ついて窓の外を見る。

…終わる頃には、外はすっかり夜になっていた。


 教材を閉じ、私は小さく息を吐く。

周辺国の宗教から、テーブルマナーまで、今日も今日とて背筋が張る内容であった。


 …正直疲れた。


 けれど、これくらいで音を上げるわけにはいかない。


 私は未来の王妃であり、王子を支えるパートナーなのだから。

…これが私の日常。


 窓から見える海辺はすっかり朝の輝きを失い、

月が海面に、波で形を変えて歪に映っていた。


「……そういえば」


 ふと、向かいに控えていたメイドに声をかける。


「ご苦労様、今空いている?」


「リゼット様、本日も王妃教育お疲れ様でした

 何かご入用でしょうか」


礼儀正しく頭を下げるメイドに今日1日気になっていた、

あの件について尋ねてみる。


「レオンハルト殿下は、今日は?」


「殿下ですか?」


「ええ。今日は公務の予定があったでしょう?」


「……はい」


 メイドが少し言い淀んだ。


「…殿下は、本日も1日、お部屋におられました…」


「…、また?」


 思わずため息が漏れる。

王子の婚約者としてよろしくない振る舞いだが、これにはワケがある。


 …ここ最近のレオンハルト…レオンは、とにかく公務を休みたがる。


 記憶にある限りでは、昨日も、一昨日も、その前も。


 王子という立場にあり、まもなく次期王の座、

つまり王太子の任命が控えているのにも関わらず

仕事がある日には決まって体調が悪いと言い出す。


 ……最近は、体調が悪いと言うことすら最近は少ない。

何かにつけては、部屋に籠もり、ベッドから抜け出そうとしない。


「今日は食事は?食べてもらえた?」


眉間に皺が寄らないように気を付けながら、尋ねた。


「昼食をお持ちしましたが、召し上がっておりません」


「夕食は?」


「まだです」


「……仕事は?」


「本日の公務について、お伺いはしたのですが……」


 メイドは困ったように目を伏せた。

代わりに次のセリフを言う。


「『やる気が出ない』と」


「……」


 メイドは無言で肯定した。

頭が痛くなってくる。

これが昨今の悩みである。溜息ひとつ、許してほしい。


 ここ最近は、毎日、この調子だ。

…以前は、ひと月に1度程度、休んでいたのだ。

それが1週間に1度、1週間に2度、3度…

だんだんと休む日が増えていった。


 はじめは病気かと思って、あらゆる医師にも見せた。

しかし体はどこにも異常がない。

ついに出た王家の結論は、「王子はサボり魔である」だ。


「本人は、公務がなんなのか理解しているのでしょうか」


 つい、そんな言葉が口から出た。

私としても、王子はサボっている、というのが本音である。



「やがて王太子としての責任が降りかかるというのに……」


「……」


 メイドは無言で、私の愚痴に付き合ってくれた。

しかしその眼は訴えかけてくる、「いかがいたしましょうか」、と。


「いえ。私が直接話します」


 私はレオンの部屋へ向かった。

歩く途中でも、窓際から漏れる月明かり。

海辺はこんな夜でも松明が燃えて、港を照らす。

今から漁なのだろうか。

そんなことを考えていたら、王子の部屋にたどり着いた。


 コンコン、扉を叩く。


「レオン。私です。入っても?」


「……うん」


 返事はあった。

毎日のように声をかけると、必ず、返事は返ってくる。

けれど、扉は開かない。


「入りますよ」


 扉を空けて、中へ入る。

部屋は薄暗かった。

カーテンは閉められ、廊下に灯されたろうそくの明かりなんて

ほとんど入ってこない。


寝台の上には毛布が山を作り、中に誰かいるようだ。


「……レオン」


もぞり、と毛布の山が動く。


「なに」


「今日の公務は?」


「休んだ」


「どうしてです?」


「……ごめん」


 まただ。

また、それだ。


「…話す時ぐらい、毛布から出たらどうですか」


「…」


レオンは観念したかのように、顔を見せる。

いつもの国王譲りの綺麗な紅い眼は、暗い部屋のせいかどんよりと曇り、

眼の下はクマが黒く染まっている。

黒い髪は、しばらく洗っていないのか捻じれて、だらしがない。

…なんだか、頬も細くなり、痩せたようにも見える。


「…本日も、私は王妃教育を受けました。丸一日かけて」


「…うん」


「……、あなたは、何をしましたか?」


「…、ごめん」


また、ごめん。

最近のレオンは何かあるたびに謝る。


 叱れば謝る。


 仕事の話をすれば謝る。


 食事を取っていないことを注意しても謝る。


 毎度同じイントネーションで、つぶやくように。


…けれど、反省しているようには見えない。

いつも声は平坦で、こちらを見ようともしない。


「食事も取っていないそうですね」


「……うん」


「お腹は空かないんですか?」


「別に」


 眼すら合わせないまま、声だけが返ってくる。

…心の中に、ちくちく、とトゲが刺さるような、苛立ちを感じていた。


「では、何か食べましょう」


「……いい」


「どうして?」


「…食べれる気がしないから」


「……」


 私はついに言葉を失った。

…レオンは、昔はもっと…よく喋る人だった。

冗談を言って、私をからかって、時には父君である国王陛下にすら軽口を叩いていた。


 けれど――


 私は、いつから彼の顔を、明るい所でまともに見れていないのだろう。

いつから、まともな会話をしていないのだろう。

今だって、暗い部屋の中で顔を見ている。

声を投げても、単語の返事を受け取るばかりだ。


「明日の公務は、どうするおつもりです?」


「……わからない」


「…明日も午後からお茶会です、周辺貴族との交流会ですよ。

 …どうするつもりですか。」


「……ごめん」


 何が、ごめん、なのだろう。

手に、力が籠ってしまう。


「…謝れば済む問題ではありません!」


 思わず声が大きくなる。

その声に驚いたのか、レオンの肩が少し揺れた。


「……うん。ごめん」


 その言葉に、私はまた苛立った。


 どうして。


 どうしてこの人は、こんなにも無気力なのだろう。


 王子という立場を理解しているのだろうか。

次期国王という称号の重さを理解しているのだろうか。

今この時だって、働いている国民もいるというのに。


 公務を行うということは、次期国王として顔を売る側面だってあるはずだ。

そして悪には睨みを効かせ、アルヴェリア王国のタガを締める大事な役割だってあるはずだ。


 それらは全て、未来の国王として果たすべき責任である。

なのに、この人は今日も寝台から動こうとしない。


 …しかし、今はもう夜だ。

今から怒った所で…何になるというのか。


「……明日は、ちゃんとしてくださいね」


「……うん」


 私はそう言い残して、部屋を出た。

扉の前で、聞こえないように深く息を吐く。


…いつしか聞こえた、貴族達の悪口。

サボりがちな王子。

それが、今のレオンのあだ名であること。


「…、頼みますよ、レオン」


 …聞こえていなくても、期待を込めてつぶやいた。


「…ごめん」


 いつもの謝罪が、背中に投げられた。

振り返り、言葉をかけてから扉を閉じる。


「おやすみなさい、レオン」


「…おやすみ」




 この時の私は、知らなかった。


 レオンがなぜ食事を取っていないのか、


 なぜ、いつ声をかけても返事が返ってくるのか、


 何をするにも「やる気がない」としか言えなかったのか


 何かにつけて「ごめん」と繰り返していたのか。


 私は、見逃していたのだ。


 …それらすべてが、レオンの病気を示す、


 大切なサインだったことを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る