第3話 永遠を選んだ少女
少女は縁側に腰を下ろしていた。
差し出した湯飲みを、両手で大切そうに包み込む。
立ちのぼる湯気を、不思議そうに眺めていた。
「温かい……。」
その一言が、妙に印象に残った。
まるで初めて知るものに触れた子供のようだった。
「飲んだことがないのか。」
男が尋ねると、少女は小さく首を横に振る。
「いえ。知識としては知っています。でも、本物は初めてです。」
男は苦笑した。
「変な言い方をするんだな。」
少女は湯飲みに口をつける。
ほんの少しだけ目を丸くした。
「……おいしい。」
その声には驚きよりも、懐かしさが混じっていた。
しばらく沈黙が流れる。
山の風が軒先の風鈴を揺らし、澄んだ音色だけが二人の間を行き来していた。
「君は、どこから来た。」
男がようやく口を開く。
少女は空を見上げる。
青空の向こう。
細い光となって天へ伸びる軌道エレベーターを見つめた。
「あそこです。」
男も視線を向ける。
「軌道都市か。」
少女は静かに頷いた。
「正確には、もっと上です。」
「もっと上?」
「静止軌道より先。」
男は眉をひそめた。
人が住む居住区よりさらに外側。
そこには研究施設か観測基地くらいしか存在しないはずだった。
少女は穏やかに続ける。
「私は、人間でした。」
男の手が止まる。
「……でした?」
「百三十八年前までは。」
男は何も言えなかった。
少女は淡々と話している。
天気の話でもするような穏やかな口調で。
「病気でした。」
「治らなかったのか。」
「その頃の医療では。」
少女は湯飲みを見つめる。
「だから両親は私を眠らせました。」
「未来なら治せると信じて。」
男はその先を察した。
少女は静かに頷く。
「目を覚ました時には、みんな亡くなっていました。」
風が止む。
森が静まり返る。
「それから私は身体を失いました。」
男は少女を見る。
白い指先。
整った顔立ち。
呼吸する胸。
どう見ても人間だった。
少女は男の視線に気づき、少しだけ笑う。
「この身体は作られたものです。」
そう言って、自分の胸へそっと手を当てた。
「でも、ここにある記憶だけは、本物です。」
男は言葉を失った。
少女は続ける。
「私は永遠を手に入れました。」
その言葉には喜びも誇りもなかった。
「でも、永遠は少しだけ寂しいんです。」
男は思わず笑った。
「少しどころじゃないだろ。」
少女も笑う。
その笑顔だけは年相応の少女だった。
「そうですね。」
しばらく二人は黙って山を眺めていた。
蝉の声。
木漏れ日。
遠くを飛ぶ鳥。
少女は目を細める。
「地球には音があるんですね。」
「宇宙にはないのか。」
「機械の音ばかりです。」
男は庭を見渡した。
風に揺れる木々。
鳥のさえずり。
川のせせらぎ。
何十年も聞き慣れた音だった。
「私は。」
少女がぽつりと呟く。
「この音を聞くために帰ってきました。」
男は少女の横顔を見る。
その横顔は、永遠という長い時間を歩いてきた者だけが持つ静かな孤独を宿していた。
やがて少女は男へ向き直る。
「お願いがあります。」
「何だ。」
「失われた経典を、一緒に探してください。」
男は驚かなかった。
昨夜、本殿から消えていた経典。
少女はそのことを知っている。
それどころか、それを探すためにここへ来たのだ。
「どうして俺なんだ。」
少女は優しく微笑んだ。
「あなたは、この神社を最後まで守った人だから。」
その言葉に、男は返事ができなかった。
夕日が山の向こうへ沈み始める。
長い影が境内を包み、鳥居が黄金色に染まっていく。
旅は、まだ始まったばかりだった。
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