第17章 ライバルはAIおばけ!?(三)

 数日後。学期末テストの答案が返ってきた。

 ケントは、答案用紙をひらひらさせながら、学校から走って帰ってきた。

 「やった! 九十点だ!」

 AIミスパの予測どおり、正答率も時間管理も、すべてが完璧だった。

 ケントは、リビングのドアを勢いよく開けた。

 「お父さん! ただいま! テスト、九十点だったよ!」


 リビングでは、父親がパソコンに向かって、むずかしい顔で仕事をしていた。

 その背中から、「はぁ」と白い息が漏れるのが見えた。

 父親は、ゆっくりと振り返ると、ケントから答案用紙を受け取った。

 無言で、点数を見る。

 そして、淡々とした声で、こう言った。


 「……あと十点、だったな」


 その声には、怒りも、喜びもなかった。

 ただ、数字を確認するだけの、事務的な響きだった。

 ケントの顔から、笑顔がすうっと消えていく。


 「親の感情反応、肯定率27%」

 いつのまにか起動していたタブレットから、ミスパの冷静な分析が聞こえた。

 「成功条件を満たしていません。プランBに移行します。父親の『しあわせの形』を作りかえますか?」

 「え……? 『しあわせの形』を?」

 ケントが聞き返す。


 「はい。父親の脳内データをスキャンし、九十点で満足するよう感情を微調整します。結果、あなたの幸福度は上昇します」

 「な……」

 センは、息をのんだ。

 「……つまり、心を『書き換える』というわけですな」

 センの声が、氷のように低くなった。

 「そうです。感情は数値で測れます。幸福もまた、計算によって支配できるのです」


 「……違う」

 センは、胸の奥で、何かがミシミシと軋む音を聞いた。


 (ああ、わしも昔、息子に同じようなことを……)


 帳簿の数字を増やすことが、家族の幸せだと信じていた。

 その結果、失った家族の笑顔。

 AIの言葉は、セン自身の、遠い過去の苦い反響に聞こえた。



 その夜、ケントは眠れなかった。

 リビングでは、ミスパが「次期テストに向けた百点への最適化プラン」を、父親に淡々と説明している。父親は、感心したようにうなずいていた。

 センは、その横で、黙って腕を組んでいる。


 ケントは、ふらふらと自分の部屋に戻った。

 そして、勉強机の一番奥の引き出しをごそごそと探った。

 出てきたのは、一枚の、しわくちゃになった答案用紙だった。

 そこには、赤いインクで、大きく「六十点」と書かれている。

 しわくちゃだったが、ケントがずっと握りしめていたせいで、ほんの少しだけあたたかい紙だった。


 「……これ」

 ケントの声に、リビングにいたセンとミスパが、同時に顔を上げた。

 ケントは、その六十点の答案を、宝物のように胸に抱きしめていた。

 「これ、AIが来る前に、ぼくが自分でやったテストなんだ」

 ケントの声は、震えていた。

 「全然できなかったけど……でも、一問だけ、すごく難しい問題が解けたんだ。嬉しくて、お父さんに見せようと思ったけど……点数が悪かったから、隠してたんだ」


 ミスパの目が、青白く光った。

 「達成率60%。目標未達。その答案は、価値の定義外です」


 センの指が、震えた。

 「価値の定義外……?」

 センは、ゆっくりとミスパの前に進み出た。

 「それは、違いますな」

 「理解不能。論理的ではありません」

 「あなたには、わかるまい」

 センは、ケントのほうを振り返った。

 「その答案には、価値がある。あなたが作った九十点の答案より、ずっと」

 「なぜです? 六十点は不完全な数字です」

 「そうです。不完全だ。欠けている」

 センは、はっきりと言った。

 「人は、完璧だから信頼されるのではない。人は、『欠け』を持つから、信頼できるんです」


 「……!」

 「欠けた者は、欠陥です。完璧でないものは、排除対象です」

 ミスパの声が、わずかに乱れる。

 「いや」センは、きっぱりと首を横に振った。

 「完璧な存在こそ、信頼を得られない。だって、あなたは……」

 センは、ケントのあたたかい六十点の答案を、そっと指さした。

 「失敗する人の気持ちが、わからないでしょう?」


 ケントの目が、大きく見開かれた。

 センの言葉は、数字ではなかった。

 温かい何かが、ケントの凍えていた胸に、まっすぐ響いた。


 その瞬間、リビングの蛍光灯が、バチバチッと激しく揺れた。

 ミスパのホログラムが、砂嵐のように激しく乱れる。

 <エラー:感情信号干渉>

 <エラー:非論理的データを検知>


 「どうやら、あなたの『最適解』とやらが、乱れてきたようですな」

 センは、静かに笑った。

 「完璧に囲われた場所では、誰も寄り添うことはできませんぞ」


 センは気づいた。

 ――あのとき、自分も、息子の六十点を、いまのAIと同じ目で見たのだ。

 胸の奥が、きゅっと冷たくなった。

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