第16章 ゲン爺、最後の高座(こうざ)(二)

 重苦しい沈黙が事務所を支配して、どれくらい経っただろうか。

 カタン、と。

 古びた木製の郵便受けが、小さな音を立てた。


 「……手紙、でしょうか」

 櫻子が、おそるおそるポストを覗き込む。

 入っていたのは、一通の古風な封筒だった。和紙でできた、縦書きの封筒。宛名は、流れるような筆文字で『三沢おばけ社 御中』と書かれている。

 「うわ、これも昭和の香り……」

 くるみが、少しだけ反省した顔で覗き込む。

 櫻子が封を開けると、中から出てきたのは、原稿用紙が一枚。鉛筆で書かれた、力強い文字が並んでいた。


 『依頼書

 三沢おばけ社のみなさんへ


 ぼくは、小学五年生のリクといいます。

 どうか、ぼくのひいおじいちゃんを、こわがらせてください。』


 「……は?」

 センが、そろばんの手を止めた。

 「子どもを怖がらせる依頼は数あれど、老人を怖がらせろ、とは。妙な依頼ですな」

 櫻子は、手紙の続きを読み上げた。


 『ぼくのひいおじいちゃんは、むかしは、すごくこわい話がじょうずでした。

 ぼくが小さいころ、ふとんにもぐりこんで、「もう一回!」っておねだりすると、

 「しょうがないのう」って言って、また新しい話をしてくれました。

 こわいのに、ひいじいちゃんが話すと、なんだかワクワクしました。

 こわがらせたあと、「だいじょうぶか?」って、頭をなでて笑ってくれました。


 でも、ひいおばあちゃんが死んでから、ひいじいちゃんは、ぜんぜん笑わないし、なにも話してくれなくなりました。

 なにをきいても、「ああ」とか「そうか」とかしか言いません。

 ぼくは、さびしいです。


 だから、おねがいです。

 おばけの力で、ひいじいちゃんを、むかしみたいにドキドキさせてください。

 こわがらせて、こころをゆさぶってください。

 ぼくは、またひいじいちゃんと、こわくてたのしい夜をすごしたいです。


 おれい(たいか)は、ぼくのいちばんのたからものです。

 よろしくお願いします。』


 櫻子が読み終えると、事務所は、しん、と静まり返っていた。

 くるみは、スマホを握りしめたまま、うつむいている。

 センは、帳簿から目を上げ、じっと宙を見つめていた。

 「……なるほど。これは……」

 その時、縁側で寝転んでいたはずのゲン爺が、ゆっくりと、体を起こした。

 その目は、さっきまでの濁った光ではなく、炭火が再び熾(おこ)るような、静かな光を宿していた。

 「……ほう。わしにしか、できん依頼かもしれんのう」

 その声は、まだかすれていた。

 だが、確かに、火が灯っていた。



 「よし、決めました!」

 櫻子が、バンッ!と机を叩いた。その勢いで、飲みかけのお茶がこぼれ、センの帳簿に染みを作った。

 「ぎゃあああ! 今月の決算報告書が!」

 「ご、ごめんなさいセンさん! でも、やりますよ! ゲン爺リバイバル企画! 題して、『昭和怪談・一夜限りの高座』です!」

 櫻子の号令一下、おばけ社は、さっきまでの沈黙が嘘のように、一気にドタバタとした空気に包まれた。


 「よーっし! だったら、あたしが最高の演出つけますよ!」

 復活したくるみが、タブレットに構成案を書き込み始める。

 「ゲン爺の語りに合わせて、プロジェクションマッピングで幽霊出すっしょ! あと、ピクポクで『#昭和の闇語り』タグつけて、ライブ配信も……」

 「配信はならん!」ゲン爺が一喝する。「だが、照明や音響は、あってもよかろう」

 「ならば、PA機材は俺に任せろ」

 いつの間にか現れていた、元サラリーマンおばけのマモルが腕まくりをする。

 「昔、会社のイベントで使った音響機材が、まだ倉庫に眠っているはずだ。BGMは『ヒュ〜ドロドロ〜』でいいんだろ?」

 「ぷる〜ん! ぷるりんは、照明やるぷる!」

 ぷるりんが、体を目まぐるしく七色に発光させる。

 「ぼわ〜ん、ぼわ〜ん、って、おばけっぽく光るぷるよ!」

 「わんっ! わんわんっ!」

 ゾンビ犬のポチゾンビも、興奮して駆け回っている。

 「ポチは、宣伝部長だワン! このチラシ(さっきセンが乾かしていた決算書)を、街中に配ってくるワン!」

 「こらーっ! それは会社の最重要機密文書ですぞ!」


 センの絶叫が響き渡る中、ゲン爺は、事務所の隅にある桐(きり)の箪笥(たんす)を、ゆっくりと開けていた。

 中から取り出したのは、一枚の、黒い紋付羽織。高座に上がる時だけに着る、彼にとっての戦闘服だった。

 「……バカバカしい。まるで学芸会じゃ」

 ゲン爺は、そう悪態をつきながらも、その羽織のしわを、愛おしそうに手で伸ばしている。

 その横で、センは、真っ赤になった帳簿を前に、深いため息をついていた。

 「機材レンタル費、会場設営費、ぷるりんの発光エネルギー代……。これは、公演事業。どう計算しても、完全な赤字ですぞ……!」

 だが、その声は、いつもの怒号ではなく、どこか諦めと、ほんの少しの期待が混じっているようにも聞こえた。

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