第16章 ゲン爺、最後の高座(こうざ)(一)

 秋の乾いた風が、事務所の古い窓ガラスをカタカタと鳴らしていた。

 三沢おばけ社の縁側。ちゃぶ台の前に座布団を敷き、ゲン爺は、まるで空気が抜けた風船のように項垂(うなだ)れていた。


 「……もう、ダメじゃ」


 ぽつりとこぼれた声は、畳の上に落ちて消えた。

 その背中はいつもの頑固な張りなど微塵もなく、陽に干しすぎた梅干しのように、小さくしなびている。

 無理もなかった。

 昨夜、ゲン爺は「夜更かしする子どもを懲らしめてほしい」という依頼で、単独出動したのだ。月明かりに照らされた障子に、ぬうっと番傘の影を映し、「ひとつ〜、ふたつ〜……」と、十八番(おはこ)の『皿屋敷』で怖がらせる。完璧な「間(ま)」だったはずだ。


 ところが。

 布団から出てきた子どもの反応は、悲鳴ではなかった。


 『あ! それ、知ってる! ピクポクのゆっくり解説で見たやつ!』

 『お皿、九枚まで数えたら「いちま〜い、足りな〜い」って言うんでしょ?』


 子どもたちは、スマホを構えてゲラゲラと笑うばかり。

 『おじいちゃん、次、「耳なし芳一」やってよ!』

 『「ろくろ首」もお願いしまーす!』

 ゲン爺は、リクエストに応える芸人ではなかった。あまりのショックに番傘を落とし、すごすごと退散してきたのである。


 「……というわけで、昨夜の派遣費用、三百円の赤字ですな」

 事務所の奥で、経理おばけのセンが、パチパチとそろばんを弾きながら冷たく言った。

 「交通費も回収できておりません。まあ、時代の流れです。昭和の古典芸能が、令和のデジタルネイティブに通用しないのは、自明の理」

 「うぐっ……!」

 センの正論が、ゲン爺のしなびた心臓をわしづかみにする。

 「ぷる〜ん……。でも、ぷるはゲン爺のお話、好きだぷるよ? こないだの『雪女』、ちょっと寒くて気持ちよかったぷる」

 床でとろけていたスライムおばけのぷるりんが、精一杯の慰めを口にする。

 「ぷるりんの感想は、何の参考にもならん」

 センの一言で、ぷるりんは「ぷぎゅっ」と音を立てて平たくなった。


 「わしの芸は……もう、誰の心にも響かんのじゃ……」

 ゲン爺は、ついに畳の上に突っ伏した。

 「もう引退じゃ。わしは、今日からただの『爺』になる。……いや、いっそ、成仏するわい……」

 「えええええ! そんなこと言わないでくださいよ、ゲン爺!」

 社長の小比類巻櫻子(こひるいまきさくらこ)が慌てて駆け寄ったが、ゲン爺は「ふん……」と鼻を鳴らすだけだった。

 あろうことか、事務所の隅にある小さな仏壇から線香を一本取り出すと、それに火をつけ、自分自身に向かって、ちーん、と鈴(りん)を鳴らした。

 「……わしに、合掌」

 「縁起でもないことしないでください!」

 櫻子のツッコミも、秋風にかき消されていった。



 「あー、わかるー。最近の子、マジでホラー耐性えぐいっすよね」

 事務所の隅でスマホをいじっていた新人おばけのくるみが、気のない声で言った。銀髪のボブがさらりと揺れる。

 その空気の読めない一言に、櫻子が「しーっ!」と人差し指を立てるが、くるみは気づかない。

 「でもさー、それって逆にチャンスじゃない? ゲン爺のその古さ、一周回って『エモい』っていうか。絶対バズると思う!」

 「ばず……?」

 ゲン爺が、片眉をピクリと上げた。

 「そそ! 見てくださいよ、これ!」

 くるみはスマホをひらひらさせながら、得意げに画面を見せてきた。

 そこには、昨夜の依頼現場の映像が、ちゃっかりと録画されていた。

 『うらめしや〜……』とポーズを決めるゲン爺。

 『あははは! そのカツラ、どこで買ったのー!』と腹を抱えて笑う子どもたち。

 映像には、『【衝撃】昭和の怖がらせ師、令和キッズにボコられるの巻www』という、悪意しかないテロップが踊っていた。


 「ど、どこから撮っておったんじゃ、貴様!」

 「いやー、昨日のゲン爺の出動、なんか面白そうだったから、こっそりついて行ったんすよ。そしたら案の定、神回ゲット☆」

 くるみは、何の悪気もなく続ける。

 「この『怖がらせようとしてるのに、逆に変顔されて笑われてる』とことか、最高にエモいっす! これ切り抜いてピクポクにあげたら、『古の芸人』ってタグでバズりますよ!」

 「わしをネタにするなぁぁぁぁぁっ!」


 ガッシャーーーーーーン!!


 ゲン爺の怒りの一喝で、ちゃぶ台が宙を舞った。湯呑みが割れ、お茶が畳に染みを作る。

 「お、お茶が……! お気に入りの湯呑みが……!」

 櫻子が悲鳴を上げる。

 「うるさい! わしの芸は、見世物ではないわい! いいねだかバズるだか知らんが、子どもの遊びと一緒にされるのは、我慢ならん!」

 ゲン爺は、肩で息をしながら、くるみを睨みつけた。

 くるみは、そのただならぬ気迫に「サーセン……」とスマホを背中に隠した。

 「わしの芸は……わしの芸は、昭和で死んだんじゃ……」

 そう言うと、ゲン爺は今度こそ、縁側にごろんと横になった。

 「もう、知らん。わしは、成仏する。……社長、わしの分の人件費、今月で切ってくれて構わんぞ」

 「そんな、本気で言ってるんですか!?」

 「本気じゃ。ほっといてくれ……」

 ゲン爺は、完全に拗ねてしまった。事務所の空気は、ジェット機の轟音よりも重く、冷たくなった。

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