第2章 うそつきと秘密のビー玉(一)
「ひとーつ、ふたーつ、みっつ……」
畳の上で、ゲン爺がちゃぶ台のまわりに皿を並べていた。三沢おばけ社のいつもの光景。けれど、数をかぞえる声に、すでにニヤニヤとした何かがにじんでいる。
「また始まったぞ、百物語ごっこだ!」
九枚目を重ねたところで、ゲン爺は得意げな顔。
「実はな、わしの親戚に、お菊さんの血筋がおってな……」
「絶対ウソでしょそれ〜!」
ドッと笑いが起きる中、櫻子だけは静かだった。その耳には、声の「色」が、ほんのり灰色に濁って聞こえていた。
――これは、ウソですね。
「……それ、本当ですか?」
場が、ぴたりと止まった。
「人の嘘は見抜けても、赤字は見抜けんのか。この大バカ社長が」
帳簿から顔を上げず、センがボソリと刺してくる。
「だ、大丈夫ですってば! 今月こそ黒字に!」
と、そのとき。
「ジリリリリリ!」
事務所の隅に置かれた黒電話が、けたたましく鳴りだした。センがすっと宙に浮かび、受話器を取る。
「はい。三沢おばけ社・夜間受付、センでございます」
その声は、冷蔵庫の中みたいに冷たい。
「小学四年生の娘さん。些細な嘘が続いている、と?」
電話の向こうから、かすれたような母親の声が聞こえてくる。
「『宿題やってる』って……たぶん、やってないんです。『だいじょうぶ』って笑うけど、本当は、元気がない気がして……」
その声に沈む『どうしていいかわからない』という気持ちが、櫻子の胸にじわりと染みた。
「派遣料は……まあ雀の涙ほどで。どうせまた赤字ですからな」
センは帳簿をめくり、赤いマイナスの山にため息をつく。そして、条件を書きこむ。
「今回の報酬は……七秒間、我が子の目を見て、『ほんとう』を言うこと。それが気持ちの対価です」
「えっ、子どもじゃなくて、お母さんが?」櫻子が目をまるくする。
「ああ。嘘をつくのは、大人の方が多いからな」
その瞬間。
チリン。
誰も触れていないのに、櫻子の机の引き出しから、小さな鈴の音が響いた。祖母から受け継いだ、イタコの鈴。
契約成立の合図だった。
「よーし、準備スタート!」
櫻子が紙袋をごそごそやりはじめた。中から出てきたのは、番傘に段ボールに小道具の山。
「また無駄な小道具を……だから赤字なんだ」
センがため息まじりにつぶやく。
と、そのときだった。
「ぷひ……」
足元から、うっすらゾンビ化した柴犬・ポチゾンビが顔を出した。もぐもぐと、なにかを食べている。
「って、それ伝票ーー!? ぎゃーっ! ポチ、それ食べちゃダメー!!」
「ぷひ?」
「ぷひじゃなーいっ!」
櫻子が全力でポチを追いかける中、センは無言で戸棚を開け、新しい契約伝票をスッと取り出した。さすが、おばけ社の経理担当。
そしてその夜、依頼者の家へと向かう一行は、ひときわ強い夜風の中に立っていた。
「ここが……咲良ちゃんの家」
門をくぐった瞬間、空気が変わった。風も街の音も、ぴたりと止まる。まるで、分厚いガラスの中に閉じ込められたような静けさ。
ピンポーン。
インターホンを押すと、しばらくして玄関がゆっくりと開いた。
現れたのは、疲れた表情の女性。緊張した笑顔で、遠慮がちに口を開く。
「こんばんは……あの、こんな依頼、本当に受けていただけるんでしょうか……」
声はおそるおそる震えていた。
「もちろんですっ!」
櫻子が、胸を張って答える。笑顔はまぶしいくらい元気いっぱい。
「三沢おばけ社に、おまかせください!」
そのひと言に、女性の頬がほんのわずかにゆるんだ。
「こちらへどうぞ」
案内されたのは、廊下の奥にある小さな部屋。
「咲良は、この中にいます」
母親がそっとドアを開けると、ぬいぐるみに囲まれた布団の中に、うつむいた少女がいた。
顔は前髪で隠れているけれど、きゅっと結んだ口元が見える。その緊張は、部屋の空気にまで張りつめていた。
「咲良、お客さんよ」
母の声にも、少女はほとんど動かない。ただ、ゆっくりと顔を上げる。
そして母親は、静かにドアを閉めた。
六畳ほどのフローリングの部屋は、どこもかしこも整いすぎていた。机には鉛筆一本ない。ぬいぐるみは全員、同じ方向に整列。本棚の背表紙は色がグラデーションになるよう並んでいた。
――きれいすぎる。
生活の気配が、どこにもない。
櫻子は、ほんの少しだけ胸が痛んだ。
櫻子はそっとしゃがみこみ、優しく問いかけた。
「咲良ちゃん、宿題……ちゃんと終わった?」
その瞬間だった。
ころん。
静まり返った部屋の中で、小さな音がした。
咲良の足元に、ビー玉のような、透明な玉が転がった。
櫻子は、それがどこからこぼれたのか、ちゃんと見ていた。咲良の口元から、ぷるんと、それがこぼれ落ちた瞬間を。
(……あれが、『嘘玉』)
櫻子の胸の中で、なにかが小さく震える。
「ぷる? それ、おやつぷる?」
櫻子の背後から、ぷよぷよのスライムおばけ・ぷるりんが首をにゅるりと伸ばしてきた。
「ち、違うよっ! それは『嘘玉』だよ!」
慌てて叫ぶ櫻子の前で、咲良がぽつりとつぶやいた。
「部屋の片づけ、自分でやった」
ころん。
また一つ、玉が転がった。
(ほんとは……お母さんが、ほとんど片づけた。でも、『えらいね』って言われたくて、嘘をついた……)
「学校、楽しいよ」
ころん。
静かな部屋に、透明な玉の音が響く。
「ゲン爺さん、これって……?」
櫻子が小声で尋ねると、ちゃぶ台のそばで番傘を手にしたゲン爺が、にやりと笑った。
「うむ。古くからの言い伝えじゃ。『誠意のない偽りは、口より禍根の玉と化してこぼれ落ちる』とな」
「そばかすのおゆき事件、知っとるか? 嘘玉十個で井戸がひとつ吹き飛んだそうじゃ」
「えぇっ!? そんなの爆発物じゃないですか!」
櫻子が飛び上がる。
「うそじゃよぉ」
「やっぱり!!」
二人のやりとりに、一瞬だけ、咲良の表情がぴくりと動いた。
けれど、その目はまだ笑っていない。
床に散らばる透明な玉たち。そのひとつひとつが、咲良の心からこぼれた嘘の証。
ころん、ころん。
玉が落ちるたび、咲良の耳の奥で「カチ……」という音がした。
それは心の中の扉がひとつずつ閉じていくような、冷たい音だった。
「では、そろそろ本番といくかの」
ゲン爺が立ち上がると、風呂敷の中から怪しげな道具が次々と出てきた。
番傘、段ボール製の井戸、小さなスピーカー。
「わしの百物語、見せてやろう!」
ヒュ〜ドロドロ〜……。
スピーカーから流れる効果音にあわせて、ゲン爺の語りが始まる。
「う〜そをついたのは〜……どこぞのだれじゃあ〜……」
ちゃぶ台の上に皿を並べながら、のっそりと部屋を回るその姿は、まさに昭和の古典怪談そのものだった。
けれど。
「……やっぱり始めた……」櫻子がぽつり。
咲良は、部屋の隅でぬいぐるみを抱えたまま、身動きひとつしない。
音も光も届かない、氷のような空間に閉じこもっているようだった。
「むむ……通じんなぁ……」
ゲン爺が皿を重ねる手を止めた。
「わしの芸は、昭和、平成、令和を超えてきたというのに……!」
「要するに、ただ古くなっただけですね」
センの皮肉が、冷たく畳の上に落ちた。
そのときだった。
「ぐるるる……わんっ!」
ポチゾンビが部屋に飛び込んできた!
「ぽ、ポチ!? なに興奮してるの!?」
櫻子の叫びもむなしく、ポチは一直線に段ボール井戸へ――
ドッガーーーン!!
井戸は木っ端みじん。
番傘が部屋の隅でカラカラと回る。
「ぎゃあああ! わしの命より大事な『井戸』がああああ!」
「ぷひぃ……」
段ボールの残骸をくわえたポチが、尻尾をぶんぶん振っていた。
その場にいた全員が、しばし絶句。
「今の、もしかして嘘玉の爆発?」
櫻子が真顔で言うと、
「ちゃいます!!」
全員がツッコんだ。
――その瞬間だった。
無表情だった咲良の肩が、ふるりと揺れる。
「……なに、これ」
かすかに、息がこぼれるような笑い。
それは、声の奥にほんのりあたたかさをにじませた、咲良の「最初の感情」だった。
「いま、笑いましたよね!?」
「……笑ってない」
ころん。
八つ目の嘘玉が、床に転がった。
「確認。八個目」
センが帳簿に線を引く。
「ちなみに十個目で爆発……とか、迷信だけどな」
「やっぱり爆発するんですかっ!?」
青ざめる櫻子。
そのとき。
廊下からパタパタと足音が近づいてきた。
ドアの向こうで、誰かが立ち止まる気配がする。
カチャリ。
ゆっくりと開いたドアのすき間から、咲良の母親が顔をのぞかせた。
眉を下げたその顔には、戸惑いと不安がにじんでいた。
部屋の中には、おばけ社のメンバーが散乱した井戸の残骸の前に立ち尽くしていた。
段ボールの破片、ひっくり返った番傘、ポチゾンビの尻尾がカタカタと床を打っている。
「あ、えっと……ご心配なく! こちら、おばけ社のパフォーマンスの一環です!」
櫻子が慌てて頭を下げる。
センもペンを止めずに一礼し、ゲン爺は自慢げに「特製井戸、限定一発芸」とつぶやいた。
けれど、母親はそのどれにも返さず、ただ、咲良のほうをじっと見ていた。
「……咲良、大丈夫? びっくりしたよね……」
やさしい声。
でも、その声の奥には、微かな焦りの色があった。
櫻子には、それが見えた。
(ねえ、お願い。前みたいに笑って。私の子育てが間違ってなかったって――思わせて)
咲良は、ゆっくりと母の顔を見た。
少しだけ、微笑んでいるように見える。でも、目元がこわばっていた。
(心配してる顔。なのに、安心したふりしてる……)
咲良の胸の奥で、なにかがきゅっと縮こまる。
――どうして。
私はこんなに苦しいのに。
なのに、お母さんは、見てないふりするの?
心の中に、ぽつんと冷たい水滴が落ちる。
咲良は、声をしぼりだした。
「……お母さんだって、嘘ついてるくせに」
ころん。
その瞬間、咲良の足元で、小さな音が跳ねた。
床に転がったのは、これまでと少しだけ違う嘘玉。
淡い光をまとってはいるが、芯の色が、ほんのり白く濁っていた。
「っ……!」
櫻子は思わず、その玉を見つめる。
「ちょっと、これ……。今までの玉と、ちがいますよね?」
センが帳簿に目を落とし、冷静に呟く。
「第九玉。変質開始。内部に澱、結晶化の兆候あり。臨界まで――あと一つ」
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